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 アデル村はそれほど大きな村ではない。森が近い為木こりや材木加工を行う職人が多い、ごく普通の村だったようだ。


 クレイはゆっくりと進みながら、あたりを観察して回った。

 村に入ってすぐに、道にそって数軒の家々が立ち並んでいる。レンガで家を囲っており中の様子までは分からないが、確認せずとも分かる。人の気配は皆無だった。


 ちらりと見えた、木枠で出来た窓。家の中から立派なつるが伸びており、軒先の小さな畑に向かって長い腕を垂れている。枯れかけた黄色の花弁の中から小さな実が生っているのをみると、あれはどうやらウリ科の植物のようだ。


 他の家や建物も似たようなものだ。開け放たれたドアから草木が繁茂している。色とりどりの花が咲き乱れている。かつての木材加工場は、その屋根を突き出して数本の樹木が生えていた。


 村の中心に、綺麗に整備された池があった。少し離れた森から川が流れており、それを生活用水として使っていたのだろう。柵で覆われているが、それよりも高い位置に桃色の大輪の花が咲いている。蓮の花だ。


 クレイはそっと、その池に近づいた。驚くほど澄んだ水の中で、蓮が複雑に絡み合い、水の中で網のように広がっている。池魚達が縫うように泳いでいた。

 しかしクレイは、眉根を寄せて水底をじっと凝視していた。蓮の足元、その根本を。


「……可哀そうに」


 人だったものが、大の字になって果てていた。

 青々とした太い幹は、彼か彼女か分からないものの腹部から伸びていた。腕部や太ももからは別の種類の水草も生えている。露呈ろていした手先の骨はすでに木根と化し、土の中に埋まりかけていた。


 クレイはそっと目を閉じて、ゆっくりと首を振った。少しばかりの黙とうを捧げずにはいられなかった。

 これまで見てきた家々の中にも同じように、植物となりかけている人々が倒れているはずだ。

 緑化病りょくかびょう――治療薬のない病に侵され、この村は壊滅していた。それは噂通りだった。


 クレイの胸中に鈍痛が走る。自分の故郷でもないのに、郷愁のようなものが駆け巡る。

 顔をあげ、さらに村の奥へと続く道を見た。その先に、他の家よりも少しばかり大きな建物が見える。あれはきっと村長の家だろう。


「イリア、あれだろう。君の家は」


 帰ってきたよ。そう声をかけて、時石の他に胸元に下げている小袋を取り出した。優しくそっと両手で包み込みながら、その建物に向かう。


 イリアを弔う為に。


 レンガ造りの立派な家だった。一般住宅にしては珍しい三階建ての建物で、もしかすると一階部分は役所としての機能も兼ね備えていたのかもしれない。門扉の間からそっと伺うと、ひときわ大きな扉と中まで見渡せそうな窓が据え付けられてた。


 クレイは小刀で蔓を切りながら、鉄格子の門を押す。しかし複雑に絡み合ったつたに、なかなか開かない。やむなく体を前に押し出すようにして敷地内に入った。

 建物まで太い真っすぐな道が続く中、左右にまるで葉脈のように小道が広がり、それに沿うように淡藤色の小さな花が、絨毯の如く咲き乱れている。


「イリア、君が言っていた花の庭……これのことだね」


 両手に包んだ小袋に向かってそっと呟く。彼女はよく以前住んでいた家の話、つまり現在クレイが訪れている家の話をしていた。


――よく、お母様と一緒にお庭に出て花の手入れをしていたの。季節が巡る毎に色んな花が咲いてね……


 緑化病に侵された者の周りでは、不思議な事に他の植物の成長が異様に早くなり、発育がよくなる。

 まるで緑化病の進行に共鳴するかのように幹は太く、喜びの声をあげるように蕾が膨らみ花開くのである。


 ここも例外ではない。村ごと緑化病に侵食されたアデル村は、今や植物の楽園と化しているのだ。緑化病によって世話するものがいなくなったからこそ、より一層、花畑は輝きを増している。


 皮肉なことだが、イリアの弔い場として、ここ以上に相応しい場所があろうか。なるべく花を踏まないように注意しながら、彼はその真ん中に歩みを進めた。

 手で少しだけ、土を掘る。小袋の中に入れていた白髪の一部と、茶色の種を二つ程入れ、土をかぶせた。


「大きくなれば、きっと村中が見渡せる。虫も鳥も動物もやってくる。賑やかになるぞ、イリア」


 大丈夫だ。俺も傍にいるから。

 クレイはそこでふと、ある事を思い出した。そうだった、植物を育てるには、水をあげなければならない。

 彼は背中に背負っていたバッグを取り出した。しばらく所持品を見るが、生憎水を汲めそうなものを持っていない。

 ちら、と建物のほうを見やる。少し前まで人が暮らしていた空間だ。台所に向かえば、コップの一つや二つくらいあるだろう。


(少しばかり拝借するとしよう)


 クレイは建物の中に入ると、二階部分を目指した。ざっと一階部分を見回したが、いくつかのカウンターテーブルや待合室があるところを見ると、やはりそこは公共的な場になっていたのが推し量られたからである。


 木製の階段が久しぶりの人間を迎えてギシギシと鳴った。上がりきると、長い廊下がクレイの目の前に広がった。右に三つ、左に四つの扉が見える。

 あまりむやみに開けないほうがいいだろう。何せ、どこにかつての人間が眠っているか分からないから。


 さて、どれを開けよう。と思案しかけたところで、気が付いた。一番近い扉、目の前にプレートがかけられている。


【客間】


 ふむ、と声をあげる。見るとどの部屋にも、似たようなプレートがかかっているらしい。

 これは助かった。と、クレイは一つずつその文字を見て回った。


(風呂場、居間、ロランド……これは村長の部屋かな)


 右側の三つ目の扉を確認し終えたとこで、左側の四つの扉に差し掛かる。それには個人の名前が記されていた。


(ローラ、フレディ、エド……)


 ゴン。そんな音がしたのは、エドのプレートを視認した、その時だった。

 クレイは足を止め、息を潜めながらエドの部屋を凝視した。

何だ、今の音。何かをドアに向かって投げたような、そんな鈍い音がした。


「誰かいるのか」


 クレイは警戒しながら声をかけた。だがしかし、待てどもその中から返事は聞こえてこない。

 ゆっくりと近づいた。左手でポケットをまさぐり、小さく砕いた陰陽の電気岩でんきがんをそっとグローブに装着する。これで、このグローブが相手に触れれば、感電させる事が可能だ。

 扉の目の前に行って再度耳を澄ますが、音は何も聞こえてこない。意を決して、扉を開けた。


「……?」


 扉を開けたその真下。一冊の本が落ちていた。

 クレイは本を拾った。ぱらぱらとめくるが、挿絵に少しの文字が書かれただけのものだ。どうやら、絵本らしい。

 しかし先ほどの音の正体が分からない。部屋の入口近くにこれが落ちているのも不可解だ。


 閉め切られた室内。部屋を見渡して、そして気が付いた。

 ここは子供部屋だ。窓辺に小さな勉強机があり、その反対側、部屋の壁に沿うようにベッドが備え付けられている。一人の子供がそこに、目を閉じて横たわっていた。


 黒い、伸びきった髪。栄養が不足しているのか服から見える腕は骨が見える程細く、頬は痩せて角ばっている。顔色は青白く、そっと額を撫でてみると、ひんやりと冷たくなっていた。


 この子は緑化病には罹っていないようだ。体のどこからも植物は生えていない。

 しかしそれだけだ。残念だが、子供は既に冷たくなっている。クレイは部屋をあとにする事にした。


「……て」


 だが、まさに部屋を出ていこうとした時に、その声が聞こえた。聞き間違いかと思いながら、子供のほうを振り返った。

 少しだけ、ほんの少しだけ。その瞼と口が開いて。


「たす……け、て」


 その瞳は、間違いなくクレイを捉え、射抜いている。

 蚊が鳴くようなその声を、クレイは今度こそはっきりと聞いたのであった。

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