乳酸飲料なダンディ

Episode1 宅配業者は二度鼻を鳴らす

Section1-0 プロローグ

　秋雨。

　昼過ぎから降り出した雨は街の汚物を洗い流したが、人々の心に潜む闇までは洗い切れなかった。

　黒い憎悪と赤い殺意――。

　都会人の気持ちをじっとりと含んだ雨が、降り続く。

　そんな折、目に刺さるような青白いヘッドランプを点灯した一台の車が、地上40階建てのタワーマンションの前に辿り着いた。

　シルバーのワゴン車だった。

　がちゃりと音を立ててドアが開き運転席から出てきたのは、青い上下作業着を身に着け、それとお揃いの色の帽子を深く被った男だった。

　まさに降り注ぐ雨の恰好の標的だ。

　男は、ゆっくりと後ろ扉を開けて荷台から段ボールの箱を持ち出すと、マンション玄関へと向かって歩き出した。自ずと、アイドリング状態の１台の車がマンション玄関前の路上にとり残される。

　しとしとしと――。

　天からの滴が、青い作業着を濡らしていく。

　しとしとしと――。

　雨は、彼の表情を覆い隠す帽子の庇（ひさし）を濃い群青色に染めていった。庇に書かれた白い「ミルデュー宅配便」の文字が、夕闇の中ではっきりと浮かび上がる。

「……」

　箱を抱えたまま、男がマンションの共同玄関へと進む。

　ピンポーン……。ピーンポーン……。

　マンション40階にある部屋の番号を２度押して住人を呼び出してみるが、インターホン・モニターからの返答はない。

「ちっ……留守かよ。時間指定してるのにな」

　懐から取り出した一枚の紙に何やら文字を書きこんだ彼は、郵便受けへとそれを放り込んだ。とそのとき、静かな共同玄関の空間で微かな音がした。カチカチという感じの機械音――金属の歯車が回っているかのような音が。

　どうやらその音は、男の抱える段ボール箱の中から聞こえてくるものらしい。

「ふん……まさか、ね」

　首を左右に大きく振った男が、薄暗い外を見遣った。

　雨はどうやら本降りと化したらしかった。冷たく道路を叩く音が、彼の耳にまで届いて来る。これから自分の身に降りかかるであろう雨の冷たさを想像した男は、小さな溜息を吐いた。

　意を決し、口を真一文字に結ぶ。

　その後、冷たく透明な弾丸の標的（ターゲット）となるべく、安息空間――共同玄関から雨降りしきる非情な世界へと小走りで戻って行ったのであった。