~停滞~6.5


 私は静かになった部屋で天井を見ている。こんな長々と話すつもりはなかったが話の途中静川さんが水を差すことはなかった。そして終わった今も何も喋らない。正直こうなることは予想できていた。簡単に受け止められる話ではないし、戸惑うのもわかる。

 時計を見ると丁度年を越したところだった。


「静川さん。明けましておめでとう。今年もよろしくお願いします。」


 静川さんはいきなり自分の布団を飛び出し私に覆い被さるように抱きついてきた。

 どうやら泣いているようだ。


「静川さん ... ?どうしたんですか...?」


 不思議と嫌な感じはしない。私は何も言わずに顔を埋めている静川さんの頭に手を置いた。


「ごめんね。ごめんね彼方。うち、勝手に知りたいなんか言っちゃって。そんなのあんまりだよ。すごく辛いよ。なのに土足で彼方の心に入るようなことしちゃって。今もこんな ... うちやっぱり自分が大っ嫌い!」


 あぁそうか。そうだったんだ。私は静川さんと三咲が似ているから気になってたんだ。他人を気にするあまり自分の感情とは逆の行動をとってしまう。今だってそうだ。静川さんは本当はこんなことしたくないんだろう。私が哀れに見えてこうしてくれている。やっぱり優しいよ。


「俺は、好きですよ。あなたが嫌いなところも含めて。きっと優しすぎるからです。優しい人は自分を許せないんですよ。」


 静川さんは泣き顔を上げる。月光に照らされたその顔は夕日色に染まる三咲の顔に似ていた。

 ゆっくり静川さんの顔が近づいてくる。


「彼方に理解してもらえて ... 嬉しい。彼方を理解したい ... 。」


 私の腕は自我とは別に静川さんを抱き締める、そして静かに目を閉じた。

私たちは自分の弱いところを慰め合うように   抱擁した。

 私は弱いままだ。




 季節は過ぎ、時間はあっという間に経っていた。仕事も身体に馴染み、私を含めた旅館に違和感が無くなる。

 全ては自分の夢を成就させるために頑張った。今ではみんなに多少認められていると実感できる。

 当初の目標であった五十嵐さんはというと、最初の頃は旅館に顔を出していたが最近はしばらく見ていない。きっと吉井支配人のもとで厳しい修行をしているに違いない。

 差は縮まらないが今は少しでも力になれればという思いの方が強くなっていた。

 六月。丁度私がこの旅館に来て一年が経つ。そして今新人社員を迎えようとしている。この時期に決まって採用しているわけではなく、タイミングなのだが私と同じ時期に入ってくるなんて自分と被って少し懐かしい気持ちになる。

 この旅館は新人研修に特別な処置はなく、大まかな作業は私が教えるのだが基本的に自分から人に教わりにいかなければ上達しない。

 そういう人間性がここの職場では必要になってくるのだ。上が決めたことなので不服はないが当然現場勤務なのでみんなの顔も今から不安そうになっている。きっと私が来るときもこんな感じだったんだろうな~なんて他人事のように思って微笑む。

 コンコン。


「失礼します!」


 早速勤務初日の新人が事務所に入ってくる。朝礼時、大体のメンバーが揃うこの時に新人は自己紹介をやらされる。


「私この度こちらでお世話になる石川 信輝と申します!私はこの業種は未経験なので精一杯...」


「ストップ!ストップ。朝礼まだだから。一応全員集まってから自己紹介しよう。」


 緊張しているのはわかるが入って早々見切り発車の自己紹介は気が早い。


「すいません。空気読めなくて。」


 急に落ち込んだ。逸る気持ちはわかるがまずは落ち着きたまえ。


「なーに偉そうに。お前なんか、彼方です。よろしくお願いします。だけだったじゃねぇかよ。無愛想よりはマシだと思うけどなぁ!」


 自分の席に座っている静川さんは何故か私に啖呵を切る。


「お兄ちゃんは人見知りなだけだよしずしず!悪く言わないでよ!」


 何故か香に擁護される。


「まぁキャラ作ってたんでしょ?アホな彼方くんは数日とキープできてなかったけどね。」


 翼にはけなされる。


「みんな。新人の石川くんの前だから光ちゃんをいじめるのはダメよ。まぁいじめたくなるのはわかるけどねぇ。」


 いや長谷川さん。俺のフォローから向こうのフォローに行くのが早すぎますよ。


「ハっ、ハハ。なんだかすごく賑やかですね ... 。」


 はぁ~。そのひきつった笑顔と哀れむ目線を俺に向けるのはやめておくれ。ようするに変わった職場っていいたいんだろ?わかるよその気持ち。


「まぁなんだ。嫌がらずに早く慣れてくれ。慣れれば楽しくもなるさ。気軽にいこう。」


 結局フォローは俺がするのか。

 ふと目を静川さんに向けると目があった。先程は強気に攻めてきたが今はとろんとした目で見てくる。なんだその目は。

 そして朝礼の時間になり石川くんの自己紹介は無事に終わった。


「じゃあ石川くん。さっき渡した紙をもって倉庫に行っててくれる?俺もすぐ後を追うから!」


 石川くんは元気のよい返事を返してそのまま事務所を出た。

 さーて研修研修。

 するといきなり後ろから衝撃が襲ってきた。


「さっきはごめん。あんな態度して。」


 その正体は静川さんで、私は後ろから抱きしめられている。


「いえ、気にしていませんよ。でも職場でこういうことは控えましょうね。誰かに見られでもしたら大変です。」


 抱きしめてくる力が一瞬強くなり内蔵が飛び出るんじゃないかと生命の危機を感じたもののその手はすぐに離れた。


「ニシシ!充電完了!じゃあうちも行ってくるね~!」


 そういうと静川さんは調理場に向かった。二人の時だと人が変わったようだ。

 このままじゃいけないよな。心ではわかっていても直接言う勇気がない。不甲斐ないがあの出来事から私たちはより密接な関係になってしまっている。

 それに対してか自分の中で由比の存在が遠くなってしまっていることが怖い。

 しばらくは由比のことを考え更けることが無くなってきた。仕事に集中できてると思えばそれは立派なことなのだが、どこか寂しく大切なものを失っていく感覚にも思える。


「何をやってるんだろうな。」


 そう呟き私は仕事に戻った。








「よーし!今日はこんなところかな!お疲れ!」


 私は一日石川くんに付きっきりだった。今更ながら私なんて居なくともこの旅館はまわるのだがみんなには少し迷惑をかけた。まぁこれも石川くんが一人立ちするまでの間。私も同じことをしてもらってたのでこればかりは仕方がない。


「お疲れ様です。あれ、彼方さんどこに行くんですか?ロッカーはこっちじゃ ... 。」


「あぁ、俺は事務作業やってから帰るから先に帰ってていいよ。事務作業についてはまた今度ね!」


 石川くんはお疲れ様です!と元気に挨拶をしてロッカーへ去っていった。

 私はそのまま事務所に足を運ぶ。

 事務所に着くと静川さんが一人パソコンで作業をしていた。


「お疲れ様!お腹空いてない?ごはん用意しようか?」


 入るや否やいきなりの労いだ。だがお腹が減ってるのも確かだしここはご厚意に甘えよう。

 すると誰かが走ってくる。


「光さん!由比さんが帰ってくるって!じーちゃんが話したいことあるから駐車場まで来てって!」


 事務所に顔を出したのは香だ。年明けの出来事以来話す機会があったので長谷川さん、香、翼。そして静川さんには由比のことの表面上だけ伝えてある。別に隠すことではないので不思議なことはないが飲み会の時に自然とその流れになったので話しておいた。

 私は香の報告に息が止まる。


「ほんと ... か ... ?」


 私は一瞬全てを忘れて由比が帰ってくるということだけが頭の中を支配した。

 気づけば私は笑っていた。

 振り向くと静川さんは目を反らし悲しそうな顔をしている。


「あ、静川さん ... ごはんは ... 。」


 静川さんはそのまま私を見ずに口だけを動かす。


「うちのことはいいから ... 行ってきなよ。」


 私の足はたまらず駐車場に走り出す。なりふり構わないで目的地に急いだ。

 駐車場には飯波さんが待っていた。


「わざわざ申し訳ない。ただ彼方くんにだけ伝えなければならないことがあったからこうして呼び出してしまった。」


「いえ、そんなことは全然平気です。で?由比はいつ帰ってくるんです?どこに?日程は?」


 すると飯波さんはいきなり笑いだした。


「ハッハッハ!大西様が仰った通りだ。まずは少し落ち着きなさい。大丈夫。無事に帰ってくるよ。」


 私はそれを聞いてホッとした。足の力が抜けてしまいそうになるが堪える。


「見苦しいところをお見せしました。それで。話したいこととはなんでしょうか。」


「落ち着いたね。それでは詳しいことを話そう。」


 私は飯波さんの言葉を聞き漏らすことのないよう注意深く聞いた。

 由比は四ヶ月後、またはそれより早く帰ってくるようだ。そして待ち合わせ場所は空港内のカフェ。車で来ること。そして一応の心構えをしておくこと。

 最後の言葉だけ少し引っ掛かったがまぁ何はともあれ帰ってくる。由比がここに。それだけが嬉しくて気づけば私は少し泣いていた。


「それでは私はここで。よかったね、彼方くん。」


 私は飯波さんが去った後もしばらくそこから動けずにいた。

 こんなに嬉しいのかよ。なんだこの気持ち。


「彼方さん ... ?今の話って ... 。」


 木陰から出てきたのは石川くんだ。なぜこんなところに、とりあえず私は涙を拭く。


「ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったんですけど、聞こえちゃって。今のって ...。 」


「別になんでもないよ。」


「だって泣いてたじゃないですか。あー!!もしかして遠くに行った彼女さんか誰かが帰ってくるんじゃ!?」


 鋭いな。わかってるなら少し空気を察してほしい。


「はいはい帰った帰った。いつか機会があったら話すから!それまでお預けね!」


 私は手をヒラヒラとさせ颯爽と事務所に引き返していった。

 信くんはその後も何か言っていたようだが私は気にしなかった。

 事務所に帰るとみんな帰り支度をしている。その中でさっきまでいた静川さんが見えない。


「あれ?静川さんは?」


 自分の事務作業を終えた長谷川さんに問いかける。


「さっき帰ったんじゃないかしら?何か用でもあったの?」


 ごはんの用件がそのままになってしまっていた。なんだか気にかけてもらったのに申し訳ないことをしてしまったと反省する。


「いえ、別にいいんです。」


 私は残った事務作業をこなした。

 ナイトタイムの人との引き継ぎを終えた私は帰路につく。なんか今日は疲れたな~と思い肩をグルグル回しながら従業員用の出入り口に向かう。扉を開けると階段に座っている人影が見えた。


「おっそ彼方。」


 そこで待っていたのは静川さんだ。何かを差し出してくる。


「はい、お弁当。何も食べてないでしょ。ちゃんと食べなきゃ身体もたないよ。」


 差し出してきたのは静川さん手作りのお弁当だ。私が駆け出した後に作ってくれていたようだ。


「え!でも ... その前にごめんなさい。」


「何に対して謝ってるの、それ。」


 静川さんは不機嫌そうにする。それもそうだろう、そうさせたのは私なのだから。


「いや。静川さんがわざわざ気遣ってごはん作ってくれるって言っていたのに。それを遮って別件ですぐ居なくなってしまってごめんなさい。」


「よし!食べてよい!洗って返すこと!」


 ドサッとお弁当を手渡された。するとすぐさま方向を変え歩き出してしまう。


「し、静川さん!俺 ... 。」


 なぜか引き留めてしまう。自分でさえも理由がわからない。


「よかったね。帰ってくるんでしょ?由比さんだっけ。きっととっても可愛いんだろうなー、うちじゃ太刀打ちできないくらい ... 。」


「ごはん食べました?よければ今度は俺が御馳走しますよ。」


 わけがわからない。けど受けた恩は返したい。この時はただそれだけだった。

 静川さんも私のいきなり発言に挙動を止める。


「食べてないけど ... じゃあお邪魔しようかな。」


 静川さんは歩みをやめて照れくさそうに振り向く。

 私はその横に並び一緒に私の家に向かった。その後ろ姿は昔の私たちと重なっていることにも気づかずに。






「お、おいひいよ。うん!おいし ... 。」


「いいですよ静川さん。もう無理しないで。」


 静川さんは私の料理を口に頬張るが止まってしまった。顔も歪みつつある。本職に料理なんて作らなければよかった。たとえ相手が誰であろうと結果はこうなっただろうが。


「ごへんなひゃい。んぐっ!うまく言えなくて。不味い訳じゃないよ、けどなんかチャーハンとして色々足らなすぎる気がする。」


 普段和食を作っているから中華なら大丈夫と思っていたが静川さんは料理全般強いらしい。


「ごめんなさい変なもの食べさせて ... 、一緒に静川さんが作ったお弁当食べましょう。」


 静川さんが可哀想な目を私に向ける。 もういいんだ。最初から料理人に食事を振る舞うなんて無理だったんだ。


「ちょっと落ち込まないの!今なんとかしてあげるから。キッチン借りるよ!!」


 腕捲りをして私のチャーハンらしきものが乗ったお皿をもってキッチンに消えていった。 待つこと五分ほど。


「できました!合作!チャーハン茶漬け梅干しの巻~!」


 チャーハンをお茶漬け?聞いたことのない奇抜な物を出してきた。 一口。


「う、うめぇ。」


「でしょ?でしょ?静香ちゃんは料理の鉄人なのだよ!」


 力こぶを作って満面の笑顔になる。愛嬌がありその可愛さの破壊力は凄まじかった。


「かわいぃ ... 」


「え ... ?」


 つい口に出してしまった。

 それを聞いた静川さんは顔を真っ赤にして俯く。そして静かになったと思ったら机を勢いよく叩いた。


「うっせーよ ... うるせーよかなたぁ。諦めようと思ってたんだぞ?今さ、普通に出来てただろ!なんでお前そういうこと言うんだよ ... クソぉ ... クソ!!」


 そういうと静川さんは机を退かし私の胸に飛び込んできた。


「彼方 ... お願い ...。少しの間嫌がらないで。」


 震える静川さんの小さな体が私の体に収まる。

 私は静川さんの覚悟を曲げてしまった。そして自制心さえコントロールできていない。

 私はその小さな体を抱くことはできず固まったままでいた。


「ごめん ... 。」


 静川さんは静かに離れる。


「いえ、俺の方こそごめんなさい。」


 微妙な距離で二人はよそよそしくなる。


「ねぇ、一つ聞いていい?由比さんって可愛い?」


 俯いていた静川さんが上目遣いで顔を覗いてくる。


「へ?あ、可愛いと思います。」


「そぅ ... 。私今日ここで寝ていい?明日時間ずらして家出るから。」


 そういうと私の指を少し掴む。


「はい。分かりました。」


「 ... うん。」


 私は一体何を言っているんだろう。

 一体何をしているんだろう。

 思考と行動が矛盾している。

 でもなぜだろう。

 少し幸せだ。

 心だけが昔に戻っている。

 懐かしい感情に支配されていく。

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