~鼓動~6.4


 私は呆然とフロントに立っていた。

 早いもので私がここに勤めてから半年が経過している。職場にも慣れ統括もなんとかこなせている。

 十二月三十日、今年最後のチェックアウトを済ませた私は突然緊張の糸が切れ呆けた顔でボーッとしていた。この後は休みが続いている。逆に仕事をしていないと不思議と焦りを感じるようになっていた。それは由比のことを考える時間が増え、恋しくなってしまうせいだろう。

 この年は色々あった。考えを整理して来年に望むいい機会なのかもしれない。


「光さん!」


 家を出てからと言うものあまり地元の人にも連絡していない。

(連絡してみるか。)


「おーい、目を開けたまま寝るな~。光ちゃん!!」


「うぉぅ!香か。なんだよ急に。」


「急じゃないし。さっきから呼んでたし。でも名前で呼んでくれるのやっと慣れたね!よかったよかった!」


 香はご満悦な様子だが話が進まない。


「んで?どうかしたのか?」


「そだそだ。今日の打ち上げ来るっしょ?私と翼連れてってよ~、今回はせさん幹事だから先に行っちゃうんだって。」


「あー俺は代わりの足ってわけね。嬉しいかぎりだよ。」


 香はムーと口を膨らませて怒り始める。


「違うもん!大好きだからお願いしてるんだよ。代わりなんて思ってないもん。」


 大声で大好きなんて言うもんじゃない。周りが勘違いするじゃ ...


「あら静川さん何してるんですかこんな隅っこで。」


「ひぃっ!!」


 フロントの出入口から廊下に繋がる所で翼と静川さんが何かをしている。 と思ったら驚いて腰を抜かしている静川さんをよそに翼が歩いてくる。


「今日のこと香から聞きました光さん?そんなわけでよろしくお願いしますね。」


 淡々と言う翼の口調は変わらないが表情が柔らかくなっているのは一歩近づいた証拠だろう。


「あぁ俺を長谷川さんの代わりに足にしようって話ね。聞いてるよ。」


 冗談混じりにそっけなく言う。


「は?そんなこと一ミリ足りとも思ってないですけど。他に頼れる人がいないからお願いしてるんです。了承してもらえないならとぼとぼ歩いていくんでいいですよ。あぁ可哀想な私と香。」


 口をつーんとしてそっぽを向く翼。こんな可愛げな所もあるんだな、となぜか関心した。


「ごめんごめん。いいよ。仕事が片付いたら一緒に行こうな。」


 翼はふーっと息を吐き腰に手をやる。


「私はいいけど香をいじめないでください。光さん意地悪なんだから。」


「そーだそーだ!」


 なんて冗談を言い合い笑いあう。しかし目線の先にいる腰を抜かしへたっている静川さんが気になる。


「静川さんも一緒に行きますか?一応会社の車五人乗りなんでまだ乗れますけど。」


 静川さんは何も言わずにコクコク頷きその場から足早に去っていった。


「光さん静川さんには優しいんだね。」


 翼は走り去った静川さんの後を見ながらそっけなく言う。


「あれ~もしかしてお兄ちゃんに春が来たのかな~?」


 香はニヤニヤしながら笑っている。こいつのニヤニヤはあまり好きじゃない。


「そんなんじゃないけどなんかほっとけないだろ。」


「まぁなんかわかる気がする。年上って感じはしないわね。」


 私も同い年という感じがしないのでそれは同意見だ。


「そんじゃ俺は事務作業やるから二人も終わったら待機ね。」


二人「はぁーい。」


 さっさと終わらせて行かなければ幹事の長谷川さんに申し訳ない。そこからはフル回転で作業をこなした。






「到着だねー!」


 目的の飲み屋にたどり着いた。今日は五十嵐さんの元仕事先ではなく普通の居酒屋だ。

 ここに来るまでに思ったことは意外とこの三人は仲がいいということ。最近仲居さんの仕事場を見ることがないから当たり前と言えばそうだが和気あいあいと話しているのが新鮮だ。そして悲しいことは助手席に誰もいないということ。後部座席で三人仲良くしていたが私は運転しているだけだった。悲しい。

 そんな私はさておき居酒屋に乗り込む。私たちは旅館の最後の番をしていたので着くのが一番遅い。更には最後の人たちは席が一緒になる。翼の目線には長谷川さんが映ってる、話したいが自分からはいけないのだろう。根性なしめ。


「お疲れ様です。すみません予定より遅れちゃって。」


 長谷川さんが席にやってきて私の隣に座る。向かい側に座っている翼の表情が明るくなった。分りやすい奴。


「いいのよ。お疲れ様。最後までいてくれてありがとう。光ちゃんお酌してあげようか?」


「い、いえ自分でできるんで大丈夫です。」


 私は恐る恐る翼を見る。予想とは裏腹に口を膨らませているだけだった。


「長谷川さん。今日は代行を頼んでないんで光さんは運転で飲めないんです。ソフトドリンクでも飲ませとけばいいんですよ。それより前教えてもらったあのお店 .... 」


(はいはいコーラでも飲んでますよ〜。)

 怒られることなく事なきを得た。いつも通り仲良し三人組で話始めたのでようやく安息が訪れる。


「な、何か飲むか?よければうちが注文してやるけど。」


 安息はなかった。そう言えば調理場席スタートじゃない静川さんは珍しい。


「いえ自分でできますよ。静川さん調理場の人たちの所に顔出さなくてもいいんですか?」


 静川さんは静かに首を振る。


「隣 ... 嫌か?うちはここにいたいんだけど。」


 いつも強気な静川さんとは違って少し弱々しい顔の彼女にドキっとする。


「嫌なんてそんな。変な気を使っちゃいましたね、ごめんなさい。静川さん何か飲みますか?」


 また首を横に振る。


「うちもお酒はいいや、あんま好きじゃないし。オレンジジュース飲む!」


「オレンジ ... 静川さん可愛いもの飲みますね。意外だなぁ。すみませーん!オレンジジュースとコーラ一つずつ!ん?静川さん?」


 静川さんはなぜか顔を真っ赤にして俯いている。


「どっか具合でも悪いんですか?顔赤いですけど。」


「う、うるさいな。いきなり可愛いとか言うなバカっ。」


 いやいやあくまで飲み物の選択に言ったつもりだったがこんな都合のいい勘違いをされるとは驚きだ。


「ほんと飽きないね光さん。」


 気づけば向かい側に頬杖をついてジト目をしている翼がいた。いや違うんだ翼ちゃんこれには訳が。


「ごめん静川さん。」


 私は言い訳を諦めた。


「あ、そうだ。初詣どうする?」


 なぜか小声の静川さん。そういえばそんな話もあった気がする。最近色々ありすぎて忘れかけていた。


「あーそうですね。初詣ってこの街ですか?」


「ちょっと外れにある神社だよ。この街の人も来るからけっこう賑わうよ。」


「あー賑わうのかー。賑わうのはあんまり好きじゃないんだけど ... まぁしょうがないか。」


「それと一緒に年越そうよ!深夜ぐらいから神社に行ってさ ... 」


 ピロリンピロリン♪

 そんなとき私の携帯が鳴る。着信を見ると地元の親友からだった。


「電話?誰?」


「あ!地元の友人です!ごめんなさいちょっと電話してきますね。」


 私は雰囲気を壊さないため店の外に行く。


「いってらっしゃい .... 。」


 静川さんが答えるがなぜか悲しそうな声が耳に残った。




「うわ!出た。出ないかと思ったわ。」


 私は店の外にあるイスに腰掛け足を組んだ。


「そりゃ出るよ!てか久々の挨拶がそれかよ。」


 電話の相手の名前は 池田 大氏 ( いけだ たいし ) 。心を許せてる友達というか私の後半の人生には大体大氏が絡んでいる。高校からの付き合いで縁は深い。


「全くお前は俺が連絡しなかったら一生してこねーだろ!俺は悲しいぞ彼方。」


「いや今日か明日しようと思ってたんだよ。ほんとだよ?」


「はいはい。そんな可愛く言ったってダメだよ。結果また俺からしてんだから。」


 可愛いと言われて少しムッとなったが事実その通りだったので言い返せない。


「ごめん ... 。」


「そんな落ちるなよ。んで?最近どうなんだよ?」


「最近どうって ... 普通だよ?」


 電話の向こう側でため息が聞こえる。


「お前なー、そういうとこ抜けてるよな。あの頃からいくとお前の普通は心配なんだよ。ろくに連絡もしてこないし、時間平気ならゆっくりでもいいからそっちでどんな感じか教えてくれよ。」


 別に時間も押してないし私一人いないところで宴会がどうにかなるわけでもないので私はここに来てからの新しい家族のこと、また人を信じれていること、最近の騒動のこと、由比のこと。時間を忘れて話した。


「お前メッチャ充実してんじゃんか。安心したけどちょっと羨ましいわ。あの時から少しでもよくなってて俺は嬉しいよ。お前がこっちを出ていくって行った時心配でしょうがなかったもんだ。でも今は良い仲間に囲まれてるんだよな?それを聞けただけでもよかった。そんで ... 正月とかこっちに帰ってくんのか?」


「ごめん。なんか休みもそんなにないから今回はパスだね。また長期休みができたら絶対戻るよ。」


「は~ん。お前の絶対は期待しないで待っとくよ。まぁまた連絡すっからよ!そんときはまた由比ちゃんのこと聞かせてくれよ!」


「う、うん。もう切るのか?」


 少し名残惜しい。こっちから連絡しなかったのに都合よく聞こえるかもしれないが久々に親しい人の声を聞けて嬉しかった。とても安心できた。


「なんだ~?まだ切りたくないってか。可愛い奴め。でも職業柄年末年始は忙しいんだ。明日のためにもそろそろ寝ないと。」


「そうだよね。ごめん夜遅くに、明日頑張ってな。」


「ハハハ、かけたのはこっちだっつーの!お前もほどほどに頑張れよ。じゃあな!」


 プツン。

 電話が切れた後寂しさが残った。下を向き色々整理をつける。

 昔のこと。楽しいことも嫌なこともたくさんあった。思い出が甦る。昔の友達が頭を過る。そこにはあの人もいた。

 私は病院にいる。何もできずに無能をさらす。安らかな顔を見下げて、ほほを伝う涙にも気づかず、ただひたすら謝ることしかできなかった自分が写る。

 無力。

 気づけばほとんど息が出来ていなかった。最後に微かに見えたのは誰かの腕のなか、その人は泣いているようだった。

 私はそこで力尽きた。






 目を覚ますと見知った天井が見える。私は自宅のベッドの上で寝ていた。身体を起こそうとすると間接の痛みに顔が歪む。頭も痛い。あの飲み会のことは夢だったのか、そもそも仕事に行ったことすら怪しい。となれば今日は何日だ!?枕元の目覚まし時計についている日付を見る。三十一日、時間は午後十時頃。

 あれ?明日になってる。確か大氏と電話していて、あれから丸一日が無くなっている。頭の中が混乱し始めた。なぜ私は家に居るんだろう、そんな簡単な疑問さえも解決できない。それとこの具合の悪さはなんなんだ。その答えは驚きと共に解消される。


「あ!起きてる!!大丈夫か彼方!?」


 なぜかお風呂場の方から出てきた静川さんに驚く。髪も半渇きのまま駆け寄ってきた。


「え!?なんで静川さんが俺の家に?それと、あ、イテテ。」


 身を乗り出すと身体中に痛みが走った。


「おい急に動くなよ!お医者さんは単なる疲労と風邪って言ってたけど結構悪いみたいなんだから。お前やっぱり頑張りすぎだよ。まだゆっくり休んどけって。」


 私の身体を優しく横たわらせる静川さんからはとても良い匂いがする。


「あの、俺ってなんでここに ... ていうか静川さんもなんでここに?」


 静川さんはベッドのはしに寄り掛かりながら座り呆れた顔をした。


「お前が電話しに出てなかなか帰ってこないから様子を見に行ったんだよ。そしたらお前がイスから転げ落ちてもがいてるんだもん、すごく心配したよ。そんで慌てて父ちゃんに助けてもらって私が車運転してお前をここに連れてきたってわけ。そんでそこからうちが看病してるんだよ。」


 過呼吸が起こって気を失っていた。そしてこの身体の痛みは日頃の負担と風邪の症状が一気に押し寄せて運悪く一緒に発症したということか。


「もう心配したんだから。大分うなされてたし、怖かった。お医者さんは薬飲んで安静にしていれば平気だって。」


「みんなには本当に迷惑をかけたみたいですね。ごめんなさい。静川さんもありがとう。これでこうなってる訳がわかったよ。」


 ようするに私は丸一日寝てたということか。


「あ!年越し ...。 」


 私は静川さんを見た。年越そうって話をしている途中で私は電話をしてしまった。それから私がダウンしたせいでなんとも全てが中途半端になっている。

 静川さんは少し残念そうな顔をしてベットに頬杖をついた。


「いいよ別に。でもさ ... 」


 静川さんは目線を反らす。


「なんですか?こんなことになったのも俺の責任です。こんな状態だけど俺にできることがあれば言ってください。」


 チラッと私の顔を見てまた反らす。


「じゃ、じゃあさ。うちこのまま居ていい?今家に帰っても誰も居ないし。一緒に年越そうよ ... 。」


 私は静川さんが可愛らしく見えてしょうがなかった。いやそれはさておき事実私の看病のせいで静川さんもここにいる。断るには申し訳なさすぎる。

 しかしそれと同時に男と女、一晩屋根の下で過ごすというのは体裁的にどうだろう。父親とも職場で面識があるのでこれはまずいのではないだろうか。


「俺は全然構わないんですが鉄郎さんが許すかどうか ...。 」


 そういうと静川さんはいきなり顔を真っ赤にして背を向けた。


「あ、あのエロ親父なんかどうでもいいんだよ!私は別に何もする気ないし!そんなやましいことなんて ... ブツブツ」


 ここで看病する際に何かを言われたんだろうか。まぁあの厨房の雰囲気なら変なこと言われてもしょうがないかもしれない。


「とりあえずだなっ!そこで大人しく寝とけよ!今お粥作って持ってきてやるから!」


 そういうとのれんをくぐりキッチンの方へと去っていった。

 やっぱりここの人は優しい。

( 大氏。俺ここに来てよかったよ。 )

 そんなことを思いつつ私はいつの間にか身体の痛みを忘れるほど穏やかな気持ちになっていた。




「んで?感想は?」


 私たちは静川さんが作ったお粥を一緒に食べながらのほほんとテレビを見ている。


「え?あぁ、今の人歌うまいですよね。俺あんまり詳しくないんで誰だかわかんないけど。」


 私は紅白歌合戦の感想をすっとんきょうな顔をしながら述べた。


「お粥だよ!お粥!旅館の余り物しかなかったけどお前の為に一生懸命作ったんだぞ!歌うまいですよね、じゃねぇよ!!バカっ。」


「あぁごめんなさい!おいしいです!最高ですよ。」


 すると静川さんは細目をしながらこちらを見てくる。


「ほんとかぁ~?なんか言わされてる感がするんだけどなぁ。」


「いえ、本当においしいです。静川さんのお婿さんになる人は幸せですね!こんなおいしい料理を振る舞える人がいてくれるなんて。」


 急に顔を真っ赤にして俯く。毎度のことながらこの人は顔を真っ赤にするのが上手い。


「じゃ、じゃあ婿にくればいいじゃんか!こんなもんでよければ毎日でも作ってやるよ。」


 やはりこの人の気持ちは続いているのか。心の中でため息をする。


「静川さん。それはできません。前も話した通り ... 」


「わかってるよ! ... わかってる。冗談だよ冗談!!あ、洗い物してくる!」


 そう言うと足早に食器を持ってキッチンに行ってしまう。

 正直辛い。二心は抱かないと心に決めていても私もどこかで静川さんのことが気になっている。こんなに優しくしてくれる彼女に心が揺らいでしまっているのだろう。私はそんな考えを恥じた。人の好意を衝動で無下にしたくない。そんなことを思っている間に静川さんが帰って来た。


「さ!病人はもう寝る時間だよ。薬飲んだら横になりな。」


「え、でも ... 年越しまで起きてますよ。さすがに悪いですし。」


 私は誘導されるがままベッドに横たわった。


「病人が変なこと気にしてー!お前は言われた通りにしてればいいんだよ。ほら薬。」


 私は薬を手渡され飲んだ。ひどく苦い味で顔が歪む。


「お子ちゃまかよ!飴あげる。早く横になって、安静!」


「はいぃ!!」


 言われるがまま私は横になった。まるでお母さんみたいな仕切り方だ。


「電気消すよ?」


「あ、静川さん床で寝るんですか?ベッドの方がいいんじゃ ... 」


「お前動けないだろ。うちがお前の隣で寝ていいなら ... 話は別だけど。そういうわけにもいかねーだろ!おやすみ!!」


 電気を消された。確かにおっしゃる通り。私はバカな質問をしたようだ。

 しばらく沈黙が流れる。その沈黙に耐えれないわけではないが私は口を開いた。


「ねぇ、静川さん。なんで静川さんは今の仕事をしているの?」


 その答えはすぐに返ってきた。


「うちにはこれしかないから ... かな。小さい時から父ちゃんの後ろ姿を見てきて、憧れてるっていうか。なんかちょっとカッコよく見えてさ。マネをするようになってから自然と習慣付いちゃって、それで高校卒業してから修行始めて、今こんな感じ。他にやりたいことなかったし、好きなことも別になかったから。」


「でも一途だ。すごいですよ、それ。俺は旅館に勤めたいと思ってたけど随分ゆっくりで、歩んできた道もそんな大したものじゃなくて。今自分が成立しているのかさえ不安です。」


「へー意外だなぁ!なんか彼方はいつもまっすぐ前を見て堂々としてるから不安なんてないのかと思ってた。」


「そんな。前を見ないと不安だから。課題をこなしている方が楽なんです。行き着く先なんてまだ全然見通せてなくて、本当にこの道で合ってるのかさえも分かりません。」


「でも彼方が来てくれてよかった。うちだけじゃなくてみんなそう思ってると思う。なんか前よりみんな生き生きしてるし、少しずつだけどいい方向に向かってる。彼方はいるだけで周りに影響があるすごい人なんだと思うなぁ。カッコいいよ、それ。」


「そんな大層なもんじゃないです。ただ周りの人を想うことを忘れたら、なんだかここの人達に申し訳なくて。でも空回りする方が多くて、上手くやれてる気がまだしません。」


 本当にそうだ。私は成長なんかできていない。本当の意味で他人を想うことなんて、できるのだろうか。


「それが彼方の優しさの本性かー。でもそう思うことが第一歩なんじゃない?うちも、そうなりたいよ ...。 」


「でも静川さんだってこんなよくしてくれて。俺は優しくなければできないと思いますよ。」


 ガサっと布団のすれる音が聞こえた。暗さに慣れたからか音のした方に目をやると静川さんと目が合う。


「うちはね。みんなには優しくないんだ。彼方にだけなの。嫌な奴なんだあたし。自分のことに精一杯で自分勝手な自分が ... 嫌い。」


 静川さんは視線を反らす。確かに私は静川さんが他の人にどんな風に接しているのかあまり知らない。どちらかというと人を寄せ付けないタイプの人って印象の方が強い。 こんな時フォローできない自分が情けない。


「ねぇ、うちも聞きたいことがあるんだけど。いい?」


「はい。なんですか?」


「みさきって、彼方の好きな人?」


 時間が止まった。いきなりのことに耳を疑った。時計の秒針の音も、窓を叩く風の音も今は聞こえない。


「なんで ... その名前知ってるんですか ... 」


 焦点が合わない。しかし静川さんがこちらをじっと見ているのがわかる。


「うなされてたとき、そう言ってた。泣いてた。とても苦しそうだった。それが怖くて、誰なのか知りたくなったの。」


 私は他人に言う気なんてなかった。


「彼方を苦しめてるのがなにか...その、知りたくて。」


 しかし、気づけば口が動き始めていた。


「その人は...。今はもういません。突然俺を置いていなくなって、消えてしまったんです。」


 私は久々に記憶を呼び覚ました。

 


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