~出立~6.3


 時は夕方。私はいつもと変わらず事務作業をしている。

 昨日斉藤と話したことを実行に移さなければ。まずは飯波さんに事情を聞き状況を把握しなくてはならない。

 斉藤の話は断片的だったので全容は明らかになっていないが家業の相続問題と見て間違いないだろう。そこでお兄さんの存在がかなり重要になるようだ。

 しかし今は統括を任される身。この事情と全く関係のない人も働いている故あまり大きく行動できない。しかも斉藤には口止めされているし、斉藤の父親の目がどこにいるのかさえ検討がつかない。迂闊に行動を起こせばこちらの手の内がバレてしまう。

 最近は身体を動かすことに慣れたが久々に頭を使うので余計疲れる。


「お疲れ様です彼方様。今よろしいですか。」


 パソコンをボーっと見つめていた私は近づいてくる飯波さんに気づかなかった。


「はい。なんでしょうか。」


「吉井支配人が直ちに話したいことがあるそうなのですがお連れしてもよろしいでしょうか。」


 飯波さんに声をかけられるまではナイスな展開だったがここで吉井支配人に呼ばれるとは。これ以上何かあると私の許容を越えてしまう。しかし仕事上しかたないことなので出向かないわけにはいかない。


「わかりました。丁度やることは終わっているので後は長谷川さんに引き継ぎます。」


「では駐車場にてお待ちしております。」


 飯波さんは頭を下げて事務所から出ていく。長谷川さんに引き継ぐため私も事務所を後にする。さて、いつ飯波さんに事情を聞くか。


 大西社長の館に着く。いつも飯波さんは送ってくれるだけなのだが今回は車を降りて自ら私を応接間へと案内する。五十嵐さんは帰ってきてないが吉井支配人とは別行動なのだろうか?そんな些細な疑問を抱きつつ応接間へ入る。

 するとそこで待っていたのは吉井支配人ではなく男性だった。しかもどこかで会ったことがある気がする。


「こんばんは。彼方 光さん。お待ちしていましたよ。」


 私を知っているらしい。その人は手で向かい側の席を促す。私はそれに従い座った。


「いきなりお呼び立てしてすみません。しかし緊急な用なので欺く形で君をここへ寄越してしまった。申し訳ない。」


 欺く?あぁ吉井支配人はここには来ないようだ。


「お察し頂いてるとは思いますが出来の悪い妹がお世話になっています。話に聞いていた通りいい面構えをしていらっしゃる。これは安心できそうだ。」


 なるほど。まさかこんなに都合よくお兄さんに会えるとは、これも飯波さんの計らいだろう。すでに私が協力体制であることも知っていたようだ。


「いつもあなたの一族には度肝を抜かれてばかりですよ。お兄様が来たということは色々と話を聞かせていただけるということですか?」


 目の前の男性はニコっと笑った。


「じい様のサポートなしでは私など。申し遅れました。私、斉藤 利一 ( さいとう としかず ) と申します。話をお聞かせするのもなんですが折り合ってお願いをしたいのです。」


 利一さんは飯波さんに目配せをする。飯波さんは静かに私の隣に立った。


「はい。彼方様には縁もゆかりもない話になりますがどうかお聞きください。」


 私は身構えた。


「我々の先祖は忍の家系でした。数百年前にそんなものはなくなったのですがそういった者たちの子孫は一部を除いて大半は一般の職業に就いています。色の濃い家は先祖代々続いた教えを学び職に就いているのです。私の家柄もそうでした。」


 なるほど。忍とかよくわからないが今も伝統を受け継いでいるということか。


「私は幼い頃より父上に多くを教わってきました。時代も時代だった為私は疑問を抱くようなことはなかったのです。そして私にも子供が生まれ同じように育ててきました。それが間違いだったのです。息子は私以上に伝統を重んじるようになり利一や香にまで厳しく教えるようになりました。」


「それはもう過酷な幼少期でしたよ。」


 利一さんは両手を上にあげすまし顔をしている。


「私も大西様の声がかからなければ利照 ( としてる ) と同じような考えだったのかもしれません。大西様には救われました。一緒に仕事をするようになり、私は本当にこの旅館が好きになったのです。あの方は私の恩人なのです。しかし利照はまだ前の時代を生きています。今の平和な時代には選ぶ権利が一人ひとりにあるのです。古いしがらみに取りつかれてしまっている利照は自分の子の声を聞こうとはしませんでした。」


 利照とは斉藤と利一さんの父親のことだろう。


「まぁそういうことです。私は古い父の考えについていけず我が道を選びました。正直あの家にはもう帰ろうと思っていません。ただ私が残らないとするなら父は香を取り込むでしょう。それを阻止する為にあなたの力を借りたいのです。」


 事情はわかったが少し疑問が出てきた。利照さんはなぜ今のタイミングで斉藤まで呼んだのだろう。長男に継がせるつもりがあって見つけたのなら呼ぶのはお兄さんである利一さんだけを呼べばいいはずだ。なぜ斉藤まで。


「彼方さん?お力になってはもらえませんか?」


 少し考え沈黙していた私に利一さんが問いかける。


「あ、はい。香さんの上司である以上私も香さんを手放したくないので協力はします。ですがなぜあの子まで呼ばれるのでしょう。今回の話はいなくなった利一さんを発見したことでまとまるんじゃないですか?しかも利一さんが断ってからでもあの子を呼ぶのは遅くないと思います。」


 意表を突いたのか利一さんは顎に手を置き考える。


「確かに ... 。あの人のことだから香を脅迫材料にするつもりかもしれませんね。私を逃げれなくするために呼んでいるのでしょうか。それは直接会ってみないことにはわかりませんね。」


 私は利照さんの行動に何か違う意図を感じた。


「そうですね。なら一週間後私は香さんと一緒に利照さんのところへ行って引き抜かれないように説得します。お兄様も一緒に行動するということでいいですね?」


「いえ。私は一足先に戻り父の出方を見ます。先に言った香が脅迫材料になるようなら前もって知らせるようにしますので。」


「彼方様。その間旅館の方は私にお任せください。五十嵐くんが来るまでは私が統括を受け持っておりましたので多少の期間ならお役にたてるかと。」


 心強い人達だ。私が何かを言う前に状況を先読みして解決案を出してくれる。


「完璧ですね。一応旅館の人達には出張ということで伝えておきます。当日はできるかぎり状況を治めるため私も全力で事にあたります。」


 利一さんは安心したのかイス深くもたれる。


「頼もしい人だ。この人が香の上司だったら安心して任せられる。それで ... 香は元気ですか?」


 決議して安心したのか意外と普通のことを聞いてくる。


「ありがとうございます。元気も元気。うちの華になってますよ。あの子のおかげで職場の雰囲気もお客様も明るくなって助かっています。しかし今回のことで気づいたんですがあの子の笑顔の裏側にはいつも不安が感じられるんです。お兄様のことも心配していましたよ。直接会って話さなくてもいいんですか?」


 利一さんは頭をかきながら目線を反らす。


「これもお恥ずかしい話ですね。今更合わせる顔がないんです。私も香のことは気になっていましたが香の為でもあるんですよ。私があのまま家にいたらどのみち誰も自由にはなれません。きっと何か理由をつけて香も取り込まれてしまうでしょうし、香も私に気を使って留まってしまうと思ったんです。父から逃げることが最良の案だったとは思いません。ですがあの時私にはあぁするしか思い付かなかったんです。若輩者でした。」


「確かに話を聞くと他に方法はなかったのかも知れないですね。お兄様のお気持ちもわからないわけではないのでこれ以上は言いません。それと ... ちょっと気になったんですがお兄様はなぜここに ... ?」


 最初から疑問に思っていたがここは吉井支配人の家、なぜここが会合場所になってるかも疑問だが利一さんがいるのも違和感があった。

 利一さんは笑いながら照れ隠しに頭をかく。


「あー聞いてなかったんですね。それはさぞ不自然でしたでしょう。大西さんとの関係もあるけど吉井くんは僕の元後輩でね。事情を話して家に匿ってもらってるんだよ。こんなお屋敷に住めるなんて滅多にないことだから楽しんでるけど掃除も任されてるから大変だよ。」


 吉井支配人と昔仕事をしていたのか。更に上司だったとは、どうりで抜け目がないわけだ。


「そうでしたか。なんだかこの旅館に携わってる人は人脈がすごいですね。じゃあ私はこれで失礼します。」


「寮まで送ります。」


 私が立つとすかさず飯波さんは脇に立った。


「彼方くん。今回のことで大変迷惑をかけてしまう。君も統括を任されて忙しいというのに。この件が済んだら改めてお礼にこさせてほしい。いいかな?」


「とんでもないことです。香さんはもう私たちの家族でもあります。家族の為なら当たり前のことをするまでですよ。」


 私は振り返り真剣な眼差しを送った。


「家族、か。今日はありがとう。 」


 互いに礼をして私はお屋敷を後にした。今日のことは斉藤には話さないほうがよさそうだ。お兄さんとコンタクトはとれたもののまだ解決には至っていない。事が収まれば後は兄弟の問題だ。ここで私がでしゃばる必要は感じられない。


「香りのこと、ありがとうございます。」


 車の助手席に乗り込み間髪入れず感謝を述べられた。


「いえ、むしろ家族の話に入ってしまってすみません。斉藤のことでついムキになって出しゃばってしまいました。」


「彼方様は香のことを家族と言ってくれました。私はそれがとても嬉しかったのです。」


「大西社長の受け売りですけどね。ここで働いている人は私にとって大切な人たちなんです。だから何もしないで見過ごすことができませんでした。」


「そうですか。フフフ。」


 飯波さんはどこか嬉しそうに笑う。


「彼方様。ここまでしていただいて感謝のしようもございません。」


「いいえ、飯波さん。まだこれからです。それと飯波さんにはいつもお世話になっていますしおあいこですよ。あと気になってることがあるんですけど聞いていいですか?」


 私は運転する飯波さんに兼ねてからの疑問をぶつけてみる。


「なんで最近俺への呼び方が 彼方様 なんですか?なんかその呼び方とても歯がゆいんですけど。」


 飯波さんは目線をそのままにして微笑む。


「それは彼方様が大西様の一門に入られる可能性があるからでございます。由比お嬢様との関係も良好なのでございましょう?」


「あぁなるほど。もちろんそうなればいいと思ってます。じゃあ尚更 様 なんてやめてください。大西社長と飯波さんの関係は少し知っていますがそれ以前に旅館で働く仲間じゃないですか。せめて同僚や家族と思ってもらうほうが嬉しいです。」


 飯波さんは柄にもなく高笑いした。


「ハッハッハ。これは一本取られました。確かに仰る通りでございます。このじいめは浅はかでございましたな。また私も古い人間のまま。彼方くんには敵いません。」


「うん。そっちのほうがいいですよ。敵わないってのも歯がゆいですけど。さっきよりはぐっと自然体って感じがします。」


 私はニコニコして飯波さんを見る。


「出来のいい孫がたくさんできたようで私も嬉しくなります。彼方くんがここに来てくれてよかった。ありがとう。」


「私も得るものがたくさんあります。こちらのセリフですよ。」


 私は飯波さんの穏やかな表情を見て微笑んだ。






「よし!行くか!」


「うん。さっきも言ったけどかなり気難しい人なんで頑張ってね。」


 時間が経つのは早いもので現在斉藤の実家の前にいる。旅館は飯波さんとみんなに任せ、私は一泊二日の予定を空けて斉藤と斉藤の実家へお父さんである利照さんの説得に来ている。

 先に向かっていたお兄さんからの報告で「とりあえず来てほしい。事情は来てから説明する。」とだけ連絡が来た。もっと詳しい情報があれば前もって準備できたがこれは臨機応変に対応しなくてはならないようだ。


「おいおい頑張るのは俺だけかよ。」


「もちろん私もサポートするけどお父さんには勝てないもん。だから頼りにしてるよん。」


 斉藤はおどけて見せたが一番緊張しているのは彼女だろう。実際目が笑っていない。私は笑顔を作り斉藤の頭を撫でた。


「まぁやってやるさ。」


「...うん!」


 私は覚悟を決め門をくぐった。

 なんだかお屋敷が珍しくなくなってきたが斉藤の実家は昔ながらの門構えと広い和風の佇まいだった。


「香お嬢様!またお顔を拝見できて大変嬉しく思います。おかわりはございませんでしょうか。」


「美代子さん!久しぶり!」


 三十代ぐらいか、美代子(みよこ)さんというお手伝いさんが玄関で迎えてくれ、少し立ち話をする。私にも挨拶をしてくれた。この感じからするととても仲が良さそうに見える。

 その後美代子さんに連れられて利照さんの待つ客間へと向かう。内装も大したもので一時緊張を忘れ色んなものに見入ってしまう。そして美代子さんが止まり襖を開ける。無駄に広い部屋の奥には着物を来て威厳が溢れている年配の男性が座布団の上で正座しており、その横に利一さんが座っていた。時代劇の殿様への謁見のような演出に少し怯える。

 私と斉藤は用意されている席まで歩み静かに座り利照さんと対面した。


「父様。しばらくです。手紙をいただいてから参上まで時間がかかってしまったことをお詫びいたします。申し訳ありません。」


 隣で礼をしているのが別の人ではないかという錯覚が起きるほど斉藤は凛としていた。本来の姿はこちらなのだろう。


「うむ。息災であったか?よく戻って来てくれた。仕事がありながら急な呼び出しですまなかった。許してくれ。」


 ん?なんか話に聞いていた感じと違う。話し方に貫禄はあるものの普通に気を使ってくれるいい父親のように見える。


「え?あ、はい。全くかわりありません。父様も兄様もお元気そうでなによりです。」


 見るところによると斉藤も少し動揺しているようだ。


「私も元気な顔を見れてよかった。それで香。そちらの方はどなたかな?」


 利照さんは私の方に目をやる。目が合ったので説明をしなくてはならないが私が予想していた状況とは大きく異なっていたので焦る。


「申し訳ありません。遅くなりましたが私旅館の者で香さんの上司を勤めさせていただいております彼方 光という者です。今日は香さんの付き添いということでお邪魔させていただいた次第でございます。」


 利照さんは顎に手を置く。


「付き添い?なんで香の上司さんが ... 。」


 後ろで利一さんが笑っている。

(いや助けてくれよ。状況が全くつかめん。)


「父様!私は旅館をやめたくありません!兄様にも自分の好きなようにさせてあげてほしいのです。今日はそのことをお願いに参りました。」


 久々のお兄さんを目の前にして動揺したのか斉藤はいきなり凄んだ。確信をついてはいるが感情的になるには少し早い気もする。


「ハッハッハッ!」


 利照さんはいきなり笑い出す。


「ほら。言ったでしょう。」


 隣で利一さんが状況を見切ったように一緒に笑う。

 私たちは呆然とするしかなかった。


「父様?」


「すまないすまない。私としたことが。香。回りくどいことは言わない。今まで苦労をかけた、これからは自分の思うように生きなさい。」


 え?えー!!?俺の出番おわり?


「え?え!でも、なんで ... 。」


「私も自分の生き方に疑問を持たなかった訳ではない。だが抗えずに自分を殺し続けたのだ。それは苦しく長い時間だった。むしろそれが自然になっていくのが怖かった。私は父上に、教えに逆らうことが出来ずにいたのだよ。」


 斉藤はいまだにポカーンとしている。もちろん私のほうが間抜けな顔をしている。


「それがお前ら子はどうだ。自分のやりたいことを言い、行った。最初は戸惑った。だがそれが自然なことだと悟った。もうこの風習を続けていく必要がない世の中になった証拠でもある。それを考えたら急に嬉しくなってな。我が子が一族で初めて自分の道を歩こうとしている。伝統を守ることは必要だ。しかしそれほど大事なものでもない。要は形ではなく心に生きていればそれが一族なのだと、遅かれ気づいたのだ。先刻久方ぶりに父上とも話し、我が一族の看板を降ろす決心がついたよ。利一、香。苦労を、そして面倒をかけた。どうか私を許してほしい。」


 そういうと利照さんは深々と頭を下げた。


「父様 ... 父様にそぐわない出来の悪い娘で申し訳ありませんでした。」


「父上。私も家名に恥じぬよう生きていく所存でございます。」


 利一さんと斉藤も揃って頭を下げる。これがこの一族の変化の瞬間なのだ。

 まぁ私といえば完全に置き去りにされたまま、まだまぬけな顔をしていた。






 私は夕飯に招待され斉藤一家に紛れて食卓を囲んでいた。 出てくるものみな豪勢なものばかり並んでいる。正直ヨダレが止まらない。

 今日は無礼講らしくお手伝いさんたちも食事に参加してわいわいしている。


「すまんね彼方くん。無駄足を踏ませたみたいで。でも君が来たおかげで私はすごく安心できたよ。香の職場にこんな素敵な上司がいるのも確認できたことだし。君になら任せられるよ。」


 ん?なんか話が変な方向に向かっている気がするが考えすぎだろうか。


「いえ私なんてまだまだです。むしろ香さんには助けてもらってばかりで、恥ずかしながら職場のみんなに頼りっきりなのが私の現状です。」


「ふむ。思いやりがありながら謙虚とは、これはこんないい株は他にないぞ香!」


「もう!父様やめてください。」


 斉藤は顔を真っ赤にしている。私も恥ずかしいったらない。照れ隠しに頭をかいてみる。


「おぉそうだ、もう一人呼ばなければ。これ入ってきなさい。」


 襖が音なく開く。なんとそこには。


「お呼びでしょうか。」


 坂上さんが着物姿で膝立ちをしている。


「さ、坂上さん!?」


 私たちを見ることなく利照さんの横にスッと座わった。 これには斉藤も驚いてる様子で口をパクパクさせている。


「いやすまない。全てが済んだので一応こちらの手の内を明かしておこうと思ってな。利一を見つけたのも香の動向を伺えていたのも翼のおかげなのだよ。この子は私の目かけの子でな。田舎では養子なんて珍しくない話だが、まぁそういうことだ。」


 これについてはさすがの斉藤も知らなかったようだ。


「今まで黙っていて申し訳ありません香様。そして彼方さんも。」


 私は構わないのだが斉藤は相当ショックを受けてる様子だ。


「香様なんて言わないで。」


「え?」


「様なんてつけないでって言ってるのメガネっち!私たちは友達でしょ?だったら今まで通りにしてよ。」


「ですが私は ... この家の従者でもあり...」


「そんなこと知らないよ!私知らないもん!!」


「負けたな。」


 利一さんは飲み物を手にしながら笑う。それにつられて利照さんも豪快に笑った。


「ハッハッハ!やはり翼の言った通り本当の香は愉快な奴だな。」


 斉藤はハッと我にかえり恥ずかしそうにする。


「全くです。ごめんね。」


「いいよ、もう。でも翼が父様の使いだったなんてビックリしたよ。普通に私の前から旅館にいたしさぁ。」


「それは利一の行方を探らせるためにはあそこに勤めさせてもらうのが一番だからだよ。大西様にもお願いをしてな、父上も働いていたし。そしたらそのあとお前が旅館に勤めただけのこと。まぁ巡り合わせとは不思議なものだな。」


 なんかあの旅館は回し者がやたら多かったんだな。と天ぷらを片手にしみじみ思う。


「そのあとの翼から聞くお前の話は私の知るお前ではなく驚いた。そして今回のことの決め手になったのも翼の懇願あってのことだ。お前のことを自分のように話す翼に心打たれたわけよ。」


「え?翼が?」


「あぁ。この子は香が旅館で働くのを許してほしいと言ってきたらしいんだ。自分が家の風習を受け継ぐ変わりにってね。」


 利一さんが淡々と説明する。


「私は人の繋がりがこんなにも力強いと思わなかった。思いやりが本当の家族である私よりあるなんて正直恥ずかしくもあった。私一人が強情である必要がないとわかったとき、家族が恋しくなってな。」


「そうですか。翼が言ってくれたんだね。でもそれだと翼は ... 」


「安心しなさい。もう我が家の風習は守らなくともよい。翼の好きにさせることにする。」


「拾っていただいた上にそこまで。至らない私をどうか許してくださいませ。そして願わくば香と共に旅館に勤めることをお許しください。」


坂上さんは頭を下げながら言う。


「うむ。好きに生きなさい。こちらからも香を頼む。それから、お前も好きなときにこの家に帰ってきなさい。お前は香の姉なのだからな。」


「.......はい。」


 頭を上げられないまま坂上さんは泣いているようだった。


 一件落着のようだ。私は一部始終を見届けて静かに席をたち庭にタバコを吸いに出た。一連の騒動が収まり安心する。

 ふと顔を上げると新潟県の夜空は見たことない数の星が映っている。斉藤宅は人里離れた山の中にあるので明かりが少なく月がとても眩しく光っている。かなり肌寒くはあるが空気がおいしい。

 縁側に腰掛け久々のリラックスに心が落ち着く。ふと由比と会ったあの場所を思い出し急に恋しくなった。今頃どうしているのだろう、最近ぼーっとすることがなかったので気の抜けた顔をしながら空を見上げていた。


「光さん ... 隣いい?」


 横を見ると斉藤が汐らしく立っていた。見ると部屋に居たときと同じ薄着をしていて少し寒そうに見える。


「うん。全然いいけど外は寒いから中にいたほうがいいよ。」


「光さんだって寒そうだよ。人のこと言えないじゃん!」


 そう言いながら斉藤は隣にドスンと腰を降ろす。

 しばらく沈黙が続く。タバコの煙だけが動いている。


「ありがとう。まだちゃんとお礼を言ってなかったね。」


 斉藤は静かに切り出した。


「俺は何もしてないよ。俺らが来たときはもう話がまとまってたみたいだし。むしろ居たって意味ないのにこんな待遇受けて申し訳ないよ。」


 本当に何もしていない。実際に答えは決まっていたようだし斉藤のことを色々言ってくれたのも坂上さんだ。今回私はただ居ただけの傍観者にすぎなかった。


「ううん、そんなことないよ。きっと光さんがいなかったら私はまだ家の中で震えてたと思う。あの時光さんが手紙を見てくれてよかった。光さん、大好き。」


 私は急なことに驚きを隠せない。聞き間違いか!? 恐る恐る斉藤を見るとニコニコしながら足をパタパタさせている。


「ほんとは怖くてたまらなかった。ここに来るまでずっと足が震えてたの。でも光さんに頭を撫でられたとき震えが止まってね。勇気をもらえたんだ。本当にありがとう。これからも私の大好きなお兄ちゃんでいてくれる?」


 へ?あーそういうことか。家族的な意味での表現だったらしい。確かに忙しいこいつをほっとけない気持ちもあるので私も拒否する気はない。


「ハハハ。うん、いいよ。利一さんが何て言うかわからんけどな。」


「んー兄さんは本当の家族だけど。旅館の人も家族みたいなものだから光さんはより近い存在のお兄ちゃんかな!」


 悪気のない笑顔は利一さんを遠退けた。可哀想な利一兄さん。


「お前がそう思うならそれでいいよ。でも坂上さんがこの件に関与してたのはビックリしたな。全く旅館でもそんな素振り見せなかったし。」


「もー私もビックリだよー。あんな涼しい顔してやるもんだねぇ!」


「ちょっとなんの話?また誰かの陰口でも言ってるの香。」


 縁側の袖から涼しい顔をした坂上さんが現れた。


「うわ!噂をすればメガネっちが現れたよ光さん!油断もスキもあったもんじゃないね。」


(いや早朝に他人のベランダを覗いてた奴が言えるかよ。)


「なによ人を化物みたいに。お邪魔だったかしら?」


「いいえ、そんなことはないです。でもそんな格好で寒くないですか?」


 坂上さんも着物姿で出てきている。


「彼方さんだって寒そうよ?人のこと言えないじゃない。」


 んーさっきもこのやり取りをした気がする。てか心配してるのにひどい切り返しだ。


「俺は暑がりなんで大丈夫です。しかし坂上さんにはすっかり騙されましたよ。まさか斉藤家の差し金が坂上さんだったなんて。」


 すると斉藤の隣に座った坂上さんは急に俯いて汐らしくなる。


「ごめんなさい。私も今回のことは気が乗らなかったの。親しい人を騙して観察するのって凄く辛くて。でも家の問題もあるし、それでもあの旅館が好きだしみんなも好きで、この件が終わったら私は辞めなきゃいけないって思っていたから ... 。」


 今にも泣きそうな坂上さんの肩を斉藤は優しく抱き締める。


「そうとは知らないでごめんね翼。でもこれからは一緒だから大丈夫!」


「俺もそんなつもりで言ったんじゃないんです。すみません。坂上さんも辛い思いをしていたんですね。でも今度からは俺がみんなを、家族を守れるように努力するので安心して戻ってきてください!また三人揃って旅館に行きましょう。」


 顔をあげた坂上さんの目からは涙が流れていた。


「うん。家族って ... いいね。」






 ガチャ。

 玄関の扉を開けて凍てつく寒さの中ドアの鍵を閉める。

 あの騒動の後斉藤家で一泊し、次の日の朝方三人でこちらに戻ってきた。今日は三人とも昼出勤なので一旦家に帰った後いつものところに集合する。階段を降りるとすでに二人は待っていた。


「もぉー!遅いよ光さーん!翼もプンスカピーだよ!」


「ごめんごめん!大の方がなかなか出なくてさ。翼も待っててくれてありがと。」


「なんですかそれぇー。そこは包み隠そうよ!正直なのはいいけどさ。」


「よくないわよ全く。光さん待たせすぎよ。もぅ、三人揃ったなら行きましょう。」


 足並みを揃えて歩く三人の顔は笑顔に包まれていた。

 


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