~刹那~7
「先輩~。彼方せんぱーい。」
十月。山肌は色とりどりな葉に覆われ紅葉日和になっている。
後ろから声をかけてくるのは私の後輩である石川 信輝 ( いしかわ のぶてる ) くんだ。
「どうしたのー?」
「これどうするんですか?」
信輝 通称 信くん は備品の入った段ボールを持って事務所に入ってくる。この子は今年の六月に入った新入社員である。丁度一年前に私が入ってきた時期と同じだ。
「それはまだ使わないから備品倉庫に入れといていいよ。」
「わっかりました。あ!先輩。」
「ん?どした?」
信くんが段ボールの横からにやけている顔を覗かせる。
「先輩の彼女見せてくださいよ。写真。あるんでしょ!」
ガタっ!私の前に座ってパソコンを使っていた静川さんが反応してパソコンの上から顔を覗かせている。
「はぁ~。隠れられてないですよ静川さん。」
「はひっ!」
指摘されると静川さんはもとに戻った。
「信くん。仕事中は集中しようね。それと、写真は持ってないよ。」
「え~!嘘ですよぉー!見たいですー。」
「ちょっと~信くん!こんなとこにいた!はせさんが手伝ってほしいって信くんを探してたよー!」
事務所の入り口から香が顔をだして急かす。
「やっべ!頼まれてたの忘れてた。今いきます~!」
信くんと香は事務所を後にする。
「ねぇ彼方。明日帰ってくるんだよね。由比さん。」
静川さんはまたパソコンの上から顔を覗かせて聞いてくる。
「はい。なので俺明日は休みます。朝から空港に迎えに行かなくては行けないので。」
「うちもついて行っちゃダメ?ちゃんと由比さんを見たいんだけど。」
「今はダメって何度も話したでしょう。わかってくれてたと思ってましたよ。」
「うーん、そうなんだけど ... やっぱり急に会えなくなるのは嫌だなあ。」
この一年色々あった。いや、色々あってしまった。やはり人間なんてそこまでで、寂しくなると藁にもすがってしまうのだ。
私は過去のことを静川さんに話してしまい、そのまま感傷に浸り親密な関係になってしまっていた。
この関係を知っているのは当事者の二人だけで、人の目を盗んでは二人だけで会っていた。
私は自分は絶対に大丈夫と思っていたのに振り返ると全くそんなことはなかった。
人間は醜く欲望の為なら大切な物さえ忘れ、寂しければ我を失い、都合のいい分別を勝手に作る情けない生き物だ。
私はこの日が近づいてくる度に自分の行いを巻き戻したいと思っていた。互いの利害だけでこの関係は成り立っていたのだろう。過ちに気づいたときには遅かった。
そして由比に会える日は明日になってしまっていた。私は夢を精進したがその他のことは上手くなかったのだ。結局人の本質とはこんなものなのだろう。
「じゃあ ... 最後に今日彼方の部屋に行っていい?話すだけ!」
私は首を横にふる。
「部屋はダメです。俺の理性が勝てそうにないので。間違ってしまいます。」
「 ... ごめん変なこと言って。ちゃんと頭ではわかってるの。」
「静川さん。部屋はダメですけど連れて行きたいところがあるんです。今日終わったらついて来てもらえませんか?」
「え?連れて行きたいところ?うん。行く!」
すると事務所の扉が勢いよく開けられた。
「たっだいま~!寂しかったか彼方ちゃん!」
「五十嵐さん!!それに吉井支配人!」
二人並んで事務所に入ってきた。
五十嵐さんに会うのは二か月ぶりで、吉井支配人と一緒に他の旅館に研修を兼ねて出張へ行っていた。
「おう!今帰ったぞ光!長い間統括ご苦労。たった今より誠をこの旅館に戻す。」
五十嵐さんはニカーっと笑い私の肩に手を置いてくる。
「俺が帰ってきたからにはもう安心だな!」
「何言ってるんだよ!彼方はよくやってたぞ!」
静川さんのフォローが入る。
「いえ、でも本当に長い間お疲れ様です。帰ってきてくれて嬉しいです。」
私は正直ホッとした。やはり五十嵐さんがいるのといないのでは全く違っていた。私が挫折しなかったのも旅館のみんなが支えてくれたおかげだ。私の力では到底五十嵐さんには近づけないのを実感した、自分の力量を再確認できた良い機会だった。
「んー俺も帰ってこれて嬉しいよ!また彼方に甘えられるからなぁ!」
五十嵐さんは私の肩を抱き嬉しそうだ。
「全く。光がいるとこれか。一人の時は顔つきが鋭いんだがな。」
「彼方にはそういう力があるんです。だからみんな彼方のことが好きなんですよ。」
静川さんは私に目を向け人知れずに言う。
「フ、確かにそうだな。おい二人とも!」
勝手にお祭り騒ぎになっていた私たちにお声がかかる。
「光やみんなには私たちのいない間この旅館を支えてくれて本当に感謝している。誠もよく頑張った。これからは二人でよりよい旅館に導いてくれよ!現場は任せる。じゃあな!」
私と五十嵐さんは吉井支配人が退室するまで頭を下げた。
「なんか吉井支配人柔らかくなりました?」
「お前も気づいたか。出張行った時吉井さんと二人だったから色々話してな。お前と由比ちゃんの話ばっかだったけど、お前の影響がどうも強いと俺は睨んだ。」
私は照れ隠しに頭をかく。
「いやぁ~どうですかね。」
「にしてもだ。ようやく戻ってこれたぜ!また可愛い彼方ちゃんと仕事ができるな~おい!」
五十嵐さんはふざけて私の腰に抱きついてまとわりついてくる。
「あ~ずるいぞ誠!うちも~。」
静川さんも遠慮なしに抱きついてきた。もう謎の構図だ。こんなところ誰かにでも見られたら ...
「あら三人とも面白いことしてるわねぇ。」
長谷川さんが事務所に入ってくる。動揺しないなんてさすが長谷川さんだ。
「なに私抜きで面白いことしてんのー!光さん私も~!」
香まで乱入してくる。このままだと潰されてしまう。
「ここって前から思ってたんですけど変わってますよね。」
入り口から顔を出した信くんは冷静な分析をする。君が正しい。
「ちょっと!今仕事中なんですよ!離れてくださいってば!!」
私の悲痛な叫びは届かずしばらくこの状況は続いた。
でも、嫌な感じは少しもしない。私はこの旅館の家族が好きでしかたがなかったのだ。
時間は午後四時。五十嵐さんが旅館の仕事の感覚を取り戻したいというので私は引き継ぎをして先に帰らされた。私はその足で厨房まで行く。今から静川さんが抜けられるかわからないが一応様子見も兼ねて足を運ぶ。
「お疲れ様です。哲郎さん調子はどうですか?」
「おう彼方じゃねぇか!夜は俺が担当すっから今から戦争だよ。」
奥にいた静川さんが私に気づき走ってくる。
「ごめん彼方!もうちょっと待ってて。今着替えてくるからさ!父ちゃん、みんな。後は任せたぞ!」
厨房の皆さんがニヤニヤしながらおう!などと返事をしている。静川さんが誰かと予定をたてているのが珍しいようだ。私はどうしても居づらくなったので駐車場で待つことにした。
「ごめん!お待たせ。待ったか?」
静川さんは意外にファッションにこだわっていない。仕事に来るだけだからか私服姿はジーパンとパーカーの組合せ以外見たことがない。まぁその地味な感じがまたギャップだが。
「いえ。じゃあ行きましょうか。」
「え?うん。歩いて行けるとこなのか?」
「はい。ここから近いので歩いて行きます。仕事終わりだから今日はやめときますか?」
「ううん!平気!いこっ!」
静川さんは私の後を後ろに腕を組みながらついてくる。私の足はあの山道に向かって歩き始めた。
山道に入りしばらくすると由比の広場の階段のところにたどり着く。
「へー!こんなとこにこんなちゃんとした階段があったんだな!なんか神秘的 ... 。上には何があるんだろうな。」
しかし今日行くのはこの上の広場ではなく道なりの先にある場所だ。
「ここは登りません。もうちょっと行った先に今日の目的地があります。」
私は足を止めずに説明しながら通りすぎた。
「それより彼方。ここって幽霊山なんて言われてるんじゃなかったっけ?うちはそういうのあんま信じないんだけど、やっぱ気味悪いな。」
静川さんは私の服の裾を握りながら聞いてくる。
「理由を知っていればさほど怖くはありませんよ。それよりあそこです!今日の目的地。」
私は山道の道なりの脇にある小さな休憩所を指差した。
「うお!すっげー!!近くにこんなところがあったのか!」
その休憩所は急傾斜の上に作られていて山道の反対側は渓谷のような景色が広がっている。下には町まで流れてる川があり、この季節は反対の山の紅葉を一見できる隠れスポットなのだ。そもそも幽霊山なんて噂があるから観光客は決して足を踏み入れない穴場になっている。
「どうです。すごいでしょ?」
「うん!すごいよ彼方!こんなのはじめて見た ... 。」
静川さんはこの景色に見とれている。しばらく時間をおいて、私は静かに口を開いた。
「静川さん。俺はこれより先の道へは一緒に行けません。ここで引き返します。」
静川さんは静かに振り返り私の目をじっと見つめる。
「さっきの階段。あそこが本当に行かなければいけない所なんです。俺はここの場所のように素敵な人に出会いました。その人はかっこよくて、頼りになって、でも時々物凄く可愛くて人懐こくて。自分ではそれに気づいていない。私は大切なものがありながらその魅力に勝てませんでした。」
二人は見つめあったまま、その姿をシルエットを作るように後ろで太陽が沈んでいく。
「その人と一緒にいるのはとても心地よかった。俺も階段を登るのを諦めてこっちの道に来ようとも考えました。この先の道を俺も知りたいと思うようになっていったんです。でもその人はそんな俺を優しく包んでくれながら道を強要することはしませんでした。」
「したかったよ!でも ... できなかったんだ、私 ... 怖くて。どんどん好きになる気持ちが強くなっていって、自分じゃ制御できなくなるのが怖かった。彼方には ... 別の人がいるってわかってるのに ... 。」
自分のジーンズを握りながらうつむき叫ぶ。
「静川さんは ... 優しいです。」
私は涙を堪えた。
「あなたじゃなければ俺は気づけなかった ... 正せなかった。あなたの優しさに触れて、それに甘えて。今俺はそんなあなたを突き放している。ありえないですよね。最低です ... 。」
静川さんはすごい勢いで首を横に振る。もとに戻った顔は涙で濡れていた。
「違うんだ。甘えていたのはうちの方で、わがままなのも、融通が効かないのも .... 全部 ... うちなんだよ。彼方の優しさに付け込んで、私はそれをわかっていながら、いけないと知っていながら ... それでも彼方が ... 。」
涙をごしごしと拭いて向き直る。
「彼方の弱いところを見ちゃったから。少しは支えてあげたくて、あんなこと ... しなきゃよかったよね。ごめんね、彼方。」
静川さんの顔は夕日に反射して見えなかったが悲しい声をしていた。私は後悔にさいなまれた。
「いいえ。謝罪をするのは俺の方です。二人とも間違ったんです。都合よく聞こえますがここで道を正しましょう。」
静川さんは後ろを向く。
「 ... じゃあさ。今から告白するから ... ちゃんと断ってくれ ... 。」
「 ... はい。」
振り向き私に向かってゆっくりと歩き、目の前までくると立ち止まる。夕焼けで陰っていた静川さんの顔はハッキリと見え、悲しい顔をしながらも目は力強かった。
「彼方が好きだ。優しくて、頼りになって、がんばり屋で思いやりがある彼方が。ずっとずっと好きだった。お前なしじゃ私は ... 。」
私は静川さんの言葉を聞き静かに切り出した。
「ここまで来てわがままかも知れませんが。大切な家族として側にいさせてもらえませんか ... 。」
「 .... うん。 ... ありがとう。」
静川さんは堰を切ったように泣き出した。私は間違っていた、二心は抱けない。少し出会うのが早ければ私は静川さんのことが好きになってしまっただろう。
私は最悪だ。醜くてしょうがない。
運命の悪戯を感じつつも静川さんを傷つけてしまったことにはかわりない。この結果を招いた自分の不甲斐なさを痛感する。私は、泣いている静川さんの肩を抱くことはできなかった。
目覚ましは鳴らない。
私は自然に起きた。時計を見てまだ時間に余裕があることを確認しのんびり朝食をとる。
今日は待ちに待った再会の日、一年も待つと平常心が備わるが今朝の私は穏やかではなかった。
なぜかコーヒーを飲む手が震える。私は無自覚に緊張と恐怖を感じていたのだろう。久しぶりに会う緊張と、変わりすぎた由比に会う怖さを。
もしかするとルックスを気にする子になっているとか、どこか前進的になりすぎているとか。不安を数えればキリがない。
私は周りの反応を見て目の手術を反対することはできなかったがあのままの由比に惚れていたわけで、変わってしまった由比に対して私の方が何か揺らいでしまいそうな、そんな曖昧な嫌悪感すら今は思う。
だがこうなってしまった今、なるようにしかならないと自分に言い聞かせるしかない。私はそんな自己中心的な考えを抱きながら新しく買った車に乗り込んだ。
今日は天気がよく車を走らせていて気持ちがいい。こんな状況も共感できるようになるのだろう。私は空港に着くまでの間そんなことばかりを思いながら向かった。
いざ空港に着き私は大西社長と落ち合う予定の空港内にあるカフェで待つことにした。イスに座りしばらく空港内を眺める。
「待たせたね。」
いつの間にか後ろにいた大西社長。ハットを取りながら私に近づいてくる。私は立ち上がり挨拶をした。
「いいえ、私も今来たところです。」
「いやそのことではない。一年という長い時間だ。今の君はあの頃から見違えるようだ。吉井くんから色々聞いているよ。よく頑張っていたそうじゃないか。」
大西社長が隣に座り私もイスに腰を落とした。
「いえ、私は吉井支配人に諭されるまでここに来た理由を忘れていました。大西社長はそれを予見されてたんですね。恋は人を盲目にして支配する。両立できなかった私は若輩者でした。それに気づいてからはただがむしゃらに ... お恥ずかしいばかりです。」
「それはまだ若いからだ。しかし今や君は我が旅館に必要な人材になった。胸を張りたまえ。私も誇りに思う。」
「ありがとうございます。何事にも怠らず精進します。大西社長。それで、由比さんは今どこに ... ?」
大西社長はキョトンとした顔をした後笑いながら私に向き直る。
「ワハハハハ!そうだったな!今の君になら安心して任せられる。丁度我々の目の先に座っておるわ。迎えに行ってあげなさい。私はこれでおいとまさせてもらうよ。」
大西社長は立ち上がりハットを被る。私も立ち上がり礼をして見送った。
しかし迎えに行く?一緒に来なかったのは大西社長が私に話があったからか。私は疑問に思いつつ飲み終わったものを下げて由比のところに向かった。私の疑問はすぐに驚きに変わった。
「由比 ... ?」
振り向いた由比の目は両目とも閉じていた。私はこの一年でリハビリを兼ねていると聞いていたので私を視認できると思っていた。
しかし、そんなことはどうでもよかった。目の前に由比がいる。ただそれだけで幸せを感じていたからだ。
「 ...... 光?」
由比の声は震えている。しばらく見ない間に髪を伸ばしたようだ。しかし他は何も変わっておらず少し安心する。由比は立ち上がりよたよたと私に近づきいて、手探りで私を確認すると抱きついてきた。由比の手が震えている。
「 ... 光。会いたかった。」
私は周りの目を気にする余裕はなく由比を激しく抱き締めた。
「大変だったね。 ... 由比。 ... ごめんね。」
私たちは再び出会えた。お互い成長したが、心はあの頃のままで。
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