~動機~6


 私は休日だと言うのに目覚まし時計の設定時間より早く起きた。今日は由比に会える貴重な日だ。

 昨日長谷川さんに後押しをされてより一層色んなことに情が厚くなった。職場の人にもより親密な感情を抱き、一丸となることの大切さ、それを家族のようにとくくれる安心感。私の日常は意味のあるものへと変わりつつあると実感出来るようになっていた。

 その安心からか由比のことにも真剣になれる。何より会えることの幸福感が今の私を動かしているのだろう。

 ウキウキしながら急いで支度をし、予定より早いが私はあの場所へ出掛けることにした。

 広場に早めについた時、由比ではない人がベンチに座っているのを確認した。近づいてみるとそれは吉井支配人だということに気づき驚いた。


「おう。光か、驚かせてしまったようだな。すまない。」


「いえ、おはようございます。でもなんで吉井支配人が ... 由比に何かあったんですか?」


 吉井支配人はポンポンと自分の隣の空いてるスペースを叩く。私はそれにしたがって吉井支配人の隣に座った。


「紅茶でもどうだ?」


 いつしかのかわいいキャラクターが描かれた水筒を渡してくる。これは逆に吉井支配人の自分用の水筒なのだろうか。

 それより私は吉井支配人がここにいる方が気になった。


「はい、いただきます。あの ... 」


「ここはいい場所だな。キレイな花が咲いていて、このベンチから見える景色も落ち着きがあっていい。」


 吉井支配人は私の言葉を遮り気を反らすように喋り続ける。私は何か意味があるんじゃないかと思い紅茶を口に運びながら黙って聞いた。


「 ... しかしな、お嬢様はそうではない。見ることが叶わない中、なぜここに来続けたと思う?」


 私はここが由比の好きな場所と聞いている。しかしよく考えてみると元々家があった場所だ。トラウマがあってもおかしくない。


「私見だが、お嬢様は悔いる場所が欲しかったのだと思う。懺悔に似たように、ここで過去を生き続けていたんだろう。慣れ親しんだ匂いと感覚を思い出しながら、家族との思い出に縛られて。」


 確かに思い返してみれば最初に会った頃の由比はどこか寂しそうな顔をしていたし、心地いいと言っておきながらどこか不安そうな面持ちだった。


「前に言ったと思うがお前がここに来た時からお嬢様は変わったんだ。出掛ける様子もなんだか楽しそうにしていた。私は物静かなお嬢様しか見たことがなかったから気になっていたんだ。大西様曰くご家族と死別する前の状態にまで戻ったと。それ故大西様はその状態を心配しておられるのだよ。お前に何かあったとき、お嬢様が立ち直れなくなるのをな。」


「私に何かが .... ?」


「だから具体的な解決案を大西様はお嬢様と話し合った。その結論がでたからお嬢様は今日ここには来ない。」


「解決案...。結論ってなんですか。」


「すまん。濁して言うのはやめよう。お嬢様は今日本にはいない。目の移植を受けに渡米された。帰ってくるのは ... 一年後だ。」


「 ... 一年後 。目の移植って。」


「事情を知っているお前には話すがその移植元はお嬢様の姉。晶様のものらしい。」


「で、でも晶さんはもう ... 。」


 亡くなっている。五十嵐さんから聞いた話だと由比をかばって家屋の下敷きになって。


「私は晶様に会ったことはないし聞いた話なのだが、生前に片目を摘出しているらしい。きっと妹であるお嬢様の為に。」


 そんなことは五十嵐さんから何も聞いていなかった。なぜ生前に目を?しかも由比はなぜすぐにそれを受けいれなかったのかもわからない。色々なことが巡って私の頭は混乱寸前だ。


「その話は以前からもあったようだが当のお嬢様はそれを了承しなかった。何年か過ぎて大西様もそれ以上は言えなくなりそのままになっていたというわけだ。それから光に出会いお嬢様は変わったが、それは気持ちの部分だけだ。」


 確かに周りの反応から私の影響が少なからずあることはわかる。


「お嬢様は世界を見たいとまで言うようになった。大西様にお嬢様が直接話していたから間違いない。この間の途中退席はその日程が定まったからだ。大西様からすれば自分に何かあったときのために目の移植はしてほしかったのだろう。自分の娘のように可愛がっているからな。何かと後のことを気にしておられる。」


「意見が一致した。と言うことですね。」


「あぁそうだ。お嬢様はお前と会えないシーズン中ほとんどこの場所にも出掛けずに一人で部屋にこもり考えていたんだ。もちろん晶様の目ということもあってかなり抵抗はあったらしいが、それでも欲する理由ができたんだな。お嬢様は成長された。止まっていた時間を取り戻すように。その件に関してお前には感謝してもしきれない。本当にありがとう。」


「 ... いつも勝手なんですよ。女性はみんな、ずるい。なんでも勝手に決めて、俺は何も知らないまま待つだけで。」


 私は過去を思い出して感傷的になった。その姿を吉井支配人は不思議そうに見ていた。


「 .... ? 伝えていなかったことはすまないと思っている。私とお前の関係も伏せたままにしていたから教えるわけにはいかなかったんだ。わかってくれ。お嬢様が言わなかったのも光が着いてきてしまうと思ったからに違いない。それが不憫すぎると思い、私は紅茶をお前にいれたあの日お嬢様をお招きして事情を説明したんだ。少し遅すぎたがな。もっと早く説明していれば違った解釈ができていたかもしれんと言うのに ... すまん。」


 吉井支配人は躊躇なく頭を下げた。


「謝らないでください。むしろ吉井支配人の協力がなければもっと不満ができていました。ありがとうございます。」


 私も吉井支配人に頭を下げる。吉井支配人は微笑み私を見つめている。


「光...。お嬢様のいない一年、プライベートで私を好きに使ってくれて構わない。なんだってしよう。光が望むことをなんでも。私はどうやらお前のことを良く思いすぎているらしい。お嬢様がいない今卑怯ともとれるが私はお前の幸せも考えたいんだ。」


 吉井支配人の赤く染まった頬は太陽に照らせれ輝いていた。


「ここの人はなんでこんなにいい人ばかりなのでしょう。しかし私はその情に正しい気持ちで答えたいんです。だから敢えて言います。吉井さん!自分を犠牲にしないでください。だったらみんなが幸せになる道を俺は生きたいです。それが、家族というものだと思うから。」


「家族 ... か。私は家族の愛を知らない。幼い頃から英才教育を受け、遊ぶことも知らずに親の言うままになっていた。私は、一人なのだとばかり思って ... 生きてきた。そんな中、お嬢様に出会って私は救われたんだ。だから、私はお嬢様の為なら .... 。」


 吉井支配人はとても悲しそうな目を私に向けた。それは寂しさが籠った子供のような目だった。

 

「やっぱり吉井支配人は由比のことが大好きなんですね。でしたら由比の為にも自己犠牲はやめてください。お姉さんのような身近な存在だって由比は言ってましたよ。」


 吉井支配人はたじろぐ。


「私が ... 姉 ... ?」


「はい。厳しくも優しい。そんな吉井支配人がいなければ今の自分はいないと。心の支えになっていると、言ってました。」


「 ... 勿体ない。こんな私を ... 。」


 吉井支配人の声が震える。目尻を片手で抑え顔を見せないようにうずくまる。私は敢えて見ることはせず目の前に広がる花畑をぼんやり見ていた。

 しばらく時はたち、私達はぼーっとベンチに座っていた。


「突然すまない。こんな醜態を晒したのは初めてだ。」


「いえ、誰にでも感情的になることはあります。自然なことですよ。」


 吉井支配人は私を見て微笑む。


「フ、お前は人がいいな。お前といると安心しすぎて本意が露呈してしまうよ。お嬢様が気に入るのも無理はないな。」


 私は吉井支配人の優しい微笑みからでる称賛に素直に照れてしまった。


「面と向かって言われると恥ずかしいですね。でも!吉井支配人!由比のことを思っているなら傍にいてあげてくださいね。今度こそ、お姉さんがいなくなってしまったら由比は悲しむと思いますから。」


 吉井支配人はニコっと笑った。


「あぁ。もちろんだ。それでこそ家族!だろ?」


 私もつられてニコっと笑う。


「はい!わかってきましたね!」


「ふん、生意気に言ってくれるじゃないか。だが感謝する。大切なことに気づかせてくれて。また一つお前が気に入ってしまったよ。」


 吉井支配人はベンチから腰を上げてポケットから何かを取り出した。


「これを渡しておく。」


 吉井支配人から渡されたのはボイスレコーダーと小さな鍵だった。


「この録音機はお嬢様からだ。それとこの鍵は大西様から渡してくれと頼まれた。なんだかわからんが渡せばわかるはず、と仰っていた。確かに渡したぞ。」


 なぜか私はその鍵が何に使う物かすぐにわかった。


「はい!預かりました。ありがとうございます。」


 私は立ち上がり礼をする。


「光。寂しくなったらいつでも声をかけろ。紅茶を一緒に飲む相手がいなくなって私も暇になる。相手をしてやるぞ。...いや、相手をしてくれ。」


 吉井支配人はそういい残しその場を去った。私は自然と笑みを浮かべ一連の出来事に幸せな感情が込み上げてきた。私はここに来てから人を想う大切さを改めて知った。大きな進歩だ。

 そしてもう一つの大切な物を知るために、私は静かに再生ボタンを押した。


「あ、えーっと ... こんにちは。あれ、おはようございます、かな?なんか一人で話していると変な感じです。

あ!まずは謝らなくちゃいけないですよね。ごめんね光、何も言わないで勝手に離れて。

私なりに色々考えたの ... 光が、傍に居てくれるって言ってくれて私嬉しかった。その優しい言葉を思い出すだけで今でも涙が止まらないの。凄く安心した。

だから私も光に嬉しくなって安心してほしいの。今度は私が傍にいるからって言いたかった。でも私は目が見えなくて、きっと今のままだと光に守ってもらうだけになっちゃう。もう守ってもらうだけの存在は嫌なの。私だって守りたい!なんて思って。

気づくのが少し遅かったんだ。大切な人に守られて、安心しちゃってた。

必要なときに何も出来なくて ... 死んじゃいたいって思ってた。ずっと。でもそれすら怖くて、一人になったとき何にも手が届かなかったの。

そんな暗闇にいたとき光に出会った。本当、運命って言葉を信じたよ。それから私色々考えたんだ。

あのね、私お姉ちゃんがいたの。でも死んじゃった ... 。大好きだった。仲良しだった。居なくなってほしくなかった ... その原因は私なの。なにもできない私に代わってなんでもできるお姉ちゃんが死んじゃった。そんなのないよね、おかしいよね。私なんか、居なくなっても良かったのに ... 。

それが光に会うまでずっと頭の中をぐるぐるしてた。

あの広場は私の家があったところなの。懐かしい匂いとお姉ちゃん達の気配が唯一感じられるところだった。でもあそこで光に会って前に進みたいって思ったの。お姉ちゃんも進みなさいって言ってる気がした。

それでね、実はお姉ちゃん私の為に目をくれるの。それは前から話はあったんだけど私はそれがとても怖かった。お姉ちゃんに守ってもらうのがもう嫌だったのかな、でもあなたのおかげで一緒に生きていこうって思えるようになったの。一緒に前に進もうって。

だから私行くね。一年くらい会えなくなっちゃうけど。光と、お姉ちゃんと、みんなと一緒に歩いて生きたいから。今度は私がみんなを守るから。だから待っててほしいの。都合良すぎるかな ... 。

帰ってきたらキスの続きを教えて、なんて。

あ!私がいない間浮気したらダメだからね!吉井さんにもベタベタしちゃダメだよ!

フフフ。 ... 早く光の顔が見たい。私から走って抱き締めたい。

光 ... 愛してるよ。         

.... でも .... 怖い ..... 。 ........... ブツッ」


 音声はそこで終わっていた。最後の言葉は聞き取りずらかったが本音から出てしまったのだろう。由比は見知らぬ土地で一人寂しく戦っている。

 私は感情の波からいてもたってもいられなくなる。助けにいきたい。傍にいて少しでも支えになりたい。私の心は盲目になってしまった。






 由比のテープを聞いた次の日、私は脱け殻のようになってしまっていた。フロントでチェックアウト業務を終えても、仕事が手につかずぼーっとフロントに突っ立ったままでいる。


「なーんだまたサボってんのか?お前定期的に使い物にならなくなるなぁ!」


 五十嵐さんは冗談混じりに笑いながら歩み寄ってくる。しかし今の私に余裕はなく返す言葉もなかった。


「すみません。」


「いやすみませんって、冗談だよ。なんかあったのか?」


 五十嵐さんは気遣ってくれる。


「ここって長期休暇とか無理ですよね。」


「え?あぁ、いきなりは難しいんじゃないか。」


「やっぱり辞めるしかないんですかね。」


 五十嵐さんは私のいきなりの発言に驚いた。


「え!?なんだよ辞めるって。どうしたんだよいきなり。」


「実は ... 」


 五十嵐さんには全てを話そうと思い私は先日の経緯を簡潔に話した。もちろん晶さんの目のことも。


「なるほど。そういうことだったのか。あいつ火事が起きる前長い間休んでて、その後眼帯してたんだ。やっと謎が解けたよ。それと、お前が行くことに関しては反対はしない。もちろん賛成もだ。こういうことは吉井さんに話した方がいいな。」


「やっぱりそうですよね。なんかごめんなさい、聞いてもらっちゃって。」


 五十嵐さんは立ち去る間際に私の方を振り向いた。


「ただ、個人的なことを言うと俺はお前に辞めてほしくないな。違う解決方法を考えてくれることを願うよ。」


 手をヒラヒラさせて五十嵐さんは去っていった。

 私は事務所に戻りしばらく書類整理をしていた。仕事が終わったら吉井支配人に電話をしなくてはいけない。止められるかわからないが不安で胸が一杯になる。そんなことを思っていると奥から物凄い忙しい足音が聞こえてきた。


「おい!彼方いるか?いた!!」


 私しかいないのを確認した静川さんは私のところに駆け付け抱きついてきた。


「辞めるなよ!考え直してくれよ!」


 静川さんは私の胸に顔を埋めて離してくれない。ここの情報網は早すぎて困る。


「ちょっ!いきなりなんですか!離れてくださいよ!」


「うるせー!辞めないって言うまで離れない!」


 はぁー。私は深いため息をつく。

( 五十嵐さん口が軽いな。 )


「全く、誰に聞いたかわかりませんがまだ辞めませんよ。辞めれるかどうかもわかりませんし。今日吉井支配人に電話するつもりですけど。」


「でも辞めるつもりなんだろ?やだよそんなの!」


 はぁー。


「静川さん。この際ハッキリ言った方がいいと思うので聞いてください。」


「え?」


 顔を上げた静川さんの肩を優しく持ち距離をあける。


「俺は今お付き合いをしている大切な人がいます。その人が今寂しい想いをしているんです。その為なら俺は ... 」


「待てよ!自分を犠牲にするな!」


「自分を、犠牲に ... ?」


 私は先日自分で吉井支配人に言った言葉を思い出した。静川さんは涙ぐんでいたさっきまでの目とは違い力が入っている。


「事情は何も知らないし、今聞いた話だけで何言ってるんだって思うかも知れないけど。うちはお前のことを見てたからわかる。お前は他人の為なら自分を厭わない。今お前がしてるのはお人好しなだけだよ!」


「でも、それなら誰があいつを助けてやれるんですか!!俺以外にいないんですよ!あいつの傍にいてやれるのは!!」


 私は感情が高まってつい大きな声が出てしまう。


「あ、ごめんなさい。大きな声を出して。」


「ううん。平気 ... 。うちはね。そんなお前を好きになったからわかる。相手はそれを望んでないよ、きっと。」


「そうでしょうか。人って大事なことを言わないからわからないんですよ。俺はもうどうしたらいいか。」


「ごめん。うちにもわからない。でもこれだけはわかって。」


 静川さんは私の手を握り私の目を見つめる。


「今度からは困ったことがあったら一緒に悩んであげるから。その ... 友達と ... して。」


 静川さんの目から涙が一滴落ちた。言い終わると静川さんは足早に事務所を後にした。私はその背中に向かって一礼をする。


「ごめんなさい。 ... ありがとう。」


 私は静川さんのおかげで大切な職場の人に迷惑をかけてはいけないと気付き、仕事に対しての精を取り戻した。

 その後は遅れていた仕事を挽回するように黙々と働いた。そしてこの日の最終業務である事務作業を長谷川さんとこなす。すると思わぬ人が事務所に顔を出した。


「彼方様。お仕事が終了したら私めに一声かけていただいてもよろしいでしょうか。」


「あ、飯波さん。お疲れ様です。わかりました。」


「お疲れ様です。私は現場にいますのでこれで失礼致します。」


 飯波さんは頭を下げ入り口から姿を消した。比喩ではなく私には本当に消えたように見えた。


「彼方様って ... 重さん前から堅い人だとは思っていたけどここまでくると。老化かしら。」


 長谷川さんは手を頬におきながら鮮やかに毒を吐いた。恐らく本人にその自覚はないのだろうけど。


「長谷川さんすごい言い様ですね。でも飯波さんが俺に用ってなんだろう?」


「重さんから人に声をかけるなんて珍しいわねぇ。」


 私はなんだか腑に落ちない感じがしたが、仕事をおわらせ設備班の拠点であるボイラー室に向かった。設備班はキビキビと仕事をこなしており、普段ここには来ない私には新鮮で学ぶべきことが多くありそうだった。関心しながら見ていると後ろから呼び止められる。


「突然のお呼び立て誠に恐縮でございます。本日これからのご予定はありますでしょうか。」


「いえ、何もありません。それで私に用とは?」


「はい、お伝え致します。吉井支配人が自宅でお待ちなので私がこれからお連れ致します。よろしいでしょうか。」


 なんという奇遇。なぜ呼ばれているか不安はあるがこちらも伝えなければいけないことがあるので好都合だった。


「わかりました。お願いします。」


「かしこまりました。それではこちらへ。」


 私は飯波さんの後を追い車に乗り込み、大西社長の邸宅にお邪魔することになった。余談だが飯波さんはお年だというのに物凄く丁寧な運転で道中寝そうになったのはここだけの話である。

 大西社長のお屋敷に着くと玄関に吉井支配人が待っていた。今回はスーツ姿でいつも通り威圧感を放っている。


「うむ。いつも時間通りだな飯波。下がれ。」


「はい。それでは私は戻ります。」


「ありがとう。後は任せたぞ。」


 吉井支配人はそう言うと飯波さんは私を降ろし一礼して去っていった。なんだか一連の出来事に違和感を感じたがここではこれが普通なのだろう。


「お疲れ様です。私に話とはなんでしょうか。」


「フっ、わかっているだろうに。まぁとりあえず上がれ。」


 私は吉井支配人の言動に疑問を感じたがそのまま着いていった。

 いつしかのキッチンまで連れてこられ由比と二人で話したテラスで待機するように言われた。しばらく待っていると紅茶セットを持った吉井支配人が席につく。


「まぁ飲め。」


 私は出された紅茶を飲み吉井支配人の様子を見ていた。


「それで、だ。お前は予想を裏切らないな。ここまで思い通りになるとは。」


「なんの話ですか?」


「ん?行くつもりなんだろ?こちらがなんの手回しもしていないとでも思ったか。お前にお嬢様のことを話したのは私だぞ。」


 なんと!まさか昨日の今日決断したことが既に周知の沙汰だったとは。恐れ入る。


「まさにその通りなんですが ... なぜそのことを知っているんですか?俺は五十嵐さんにしか話していないんですけど。」


「なんだ誠にはもう言ってあるのか。まぁ要因はお前の性格上行動が先読みできたのが一つ。それを探らせる為に人を差し向けたのが一つだな。まさかこんなに早く結果がでるとは思っていなかったが。」


「また盗み聞きですか。飯波さん辺りが協力者ですね。」


 私は目を細め吉井支配人をじとっと見た。


「フフフ、はずれだ。まぁあの人の一族って点ではかすめてるな。」


 私は大きな勘違いをしていた。静川さんが知っていたのもてっきり五十嵐さんが情報源なのかと思っていたが違っていたようだ。これは申し訳ない。

 そして気掛かりなことが一つ。


「一族?飯波さんのですか?」


「お前も知っているだろう。斉藤だよ。」


「えぇ!!?」


 名字が違うから全く予想ができなかった。しかし口の軽い斉藤が情報源なら静川さんが知っているのも無理はなく、前から飯波さんのことを じーちゃん と呼んでいたのも辻褄が合う。

 しかも今思い返せば私と吉井支配人が駐車場で会話していた所に居合わせこちらが全く気づかなかったのも飯波さんの隠密の血を受け継いでいたからだろう。今回のこともどこで聞かれていたかわからないが納得がいく。


「斉藤って飯波さんのお孫さんだったんですか。」


「あぁ。大した諜報能力だ。今回の件で確信したよ。」


 吉井支配人は笑いながら関心している。


「まぁいい趣味とは言えませんがね。だとしたらその件について話してもいいでしょうか。」


「あぁ、だが先に言っておくがその件に関しては断固ノーだ。お前が行くことも辞めることも認めない。」


「どうしてですか!?今由比に必要なのは俺なんです!俺がいなきゃ ... 。」


「まぁ待て。先に私の話を聞け。私は先日お嬢様を空港まで送った。その道中お嬢様はお前のことをずっと話していた。お前のようになりたいと、言っていたよ。」


「俺のように ... ?」


 吉井支配人は優雅に紅茶を一口飲んだ後、話を続けた。


「お前は目的があってここに働きに来たらしいな。誰も知らないこの土地で、便利な生活を捨ててまで。お嬢様はその勇気と意思の強さに心を打たれたようだ。そんなお前のようになりたいと、それが今回の渡米行きを決心させた動機らしい。」


 由比は私以上に私のことを理解してくれているようだ。


「今お前がここでお嬢様の元に行けばお嬢様はお喜びになるだろう。しかしそれと同時にお前はお嬢様の意思と覚悟を曲げてしまうことになる。助けに行きたいというのは少なからずお前のエゴでもあるのではないか?」


 言われて気づいたがその通りである。私は由比の変化に気づかないばかりか離れてしまう不安に心が蝕まれていくのに気づかなかったのだ。今の私は自分で忌み嫌っていたエゴイストそのものだったことに気づかされ自分に失望した。


「お前には、ここに来た目的があったのだろう?そんなお前をお嬢様は誇りに思っている。それをも裏切ると言うのか?」


「 .... 私は、ここに来てから諭されてしかいませんね。情けないですよ。」


 私は肩を落としながら遠くを見た。何も変わっていない。

 あの頃から何も。


「そうだな。お前がそう思うならそうかもしれない。しかし、お前と出会った人もそうだと思うぞ。少なくとも私はお前に会って気づかされたことがたくさんある。人は、そんなもんなんだろう。きっと。」


「そんな、もの ... ?」


「あぁ。自分では気づけないことがたくさんあって、運が良ければ自分で気づいたり他人に気づかされたりする。要するに人間関係がそれをするんだ。一人で生きていけるなんて思っているやつは愚かしい。少し前の私のように、な。」


 吉井支配人は私を見て微笑んだ。それはとても自然な笑みで、きっとこの人のことを知る人は不思議に思うだろう。今の私のように。


「俺には、やらなきゃいけないことがまだたくさんあったんですね。」


「そうだ。お前にはそれが見えているはずだ。それに気づけるやつは少ない。お嬢様もその一人だと私は思っている。二人を誇らしく思うよ。」


「吉井支配人。俺成長します。由比が帰ってきたとき、由比の変化に負けないように。俺も変わりたい!変わるためにここに来たんですよ。」


「その調子だ。仕事に関してならある程度は手解きができる。これでもこの世界の先輩だからな。」


「はい!ご教授賜ります!いくらでもしごいてください!」


「フ。私は誠や長谷川ほど甘くはない。ボロボロになっても知らんぞ。」


「元よりその覚悟はあります。吉井支配人も知っているでしょう?」


「フフフ、そうだったな。今丁度大西様がお嬢様の後を追われる為しばらくこの旅館には大きな穴が開く。それを私一人で埋めることは到底難しい。正直お前らの力がいる。これからしばらく誠に旅館の支配人代理をさせる。お前はその補佐で皆の統括をしてもらう。できるな?」


「はい!みんなの為ならやります!やらせてください!」


 私は拳を作り意志を表した。


「お前は本当にいい男だな。お嬢様が帰ってきたら一皮むけているだろう。だが無理はするなよ。」


 吉井支配人は優しい顔で気遣ってくれている。


「それは吉井支配人もですよね。一緒に乗り切りましょう。」


「フ、では改めてよろしくお願いする。新人の彼方光君。」


 吉井支配人は握手を求めて手を出してきた。私はそう言えばきちんとした自己紹介も出来ていなかったので改めて差し出された手を握り返した。


「はい!よろしくお願いします。」


 私はお座なりになっていた夢を思い出し、今は自分を高めるため精を出すことを誓った。


 次の日。緊急に会議が行われた。

 この前と同じで大西社長宅の応接間で開かれた。昨日聞いた内容通り五十嵐さんは吉井支配人に支配人代理を命ぜられ、私はその補佐の任を受けた。

 正直統括の立ち回りをわからずにいたが私は通常通りのことをきちんとこなすように言われた。五十嵐さんは度々旅館を抜けるので一層業務に力をいれなければならないのは明白である。

 しかし今の私には心強い旅館の家族がいる。乗りきってみせると私は燃えていた。

 これ以上現場を空けるわけにもいかないので五十嵐さんを残し会議は早々に解散となった。

 今回は会社の車を私が運転してきたのでそれに乗って帰ろうとすると静川さんが助手席に乗ってきた。


「隣いいか?」


「はい。どうぞ。出しますよ。」


 私はシートベルトを装着し車を旅館に向け発進させる。


「あの ... もう大丈夫なのか?お前。辞めないよな ... 。」


 静川さんは恐る恐る聞いてくる。少し汐らしい静川さんを見て面白くなる。


「おかげさまで。あの後吉井支配人に活を入れられましたよ。俺旅館で働くのが夢だったんです。まずその夢を全うしろって叱られました。今思い返せば余裕がなかったんですね。若輩者でお恥ずかしいです。」


 私は笑いながら説明した。すると静川さんは安心したようにため息をする。


「よかったー。」


「静川さんのおかげです。頼れる人がいるから冷静になれました。ありがとうございます。」


「う、うん。どういたしまして。 ... 頼っていいよ。彼方は一人で頑張りすぎだと思う。まぁうちらが頼りすぎなのも悪いんだけどな。ごめん。」


「静川さん ... 。」


「ん?なに?」


 静川さんは私の方を見て首を傾げる。


「なんか今日可愛いですね。どっか調子でも悪いんですか?」


 静川さんは顔を真っ赤にした。怒っているような恥ずかしがっているような微妙な表情になる。


「お前また言ったー!!もう可愛いとか言うなよ! ... またドキドキしちゃうじゃんか。」


 最後の方は小声で何を言っているかわからないが、口をムーっとさせて助手席の窓の方を向いてしまう。


「あぁごめんなさい。今の可愛いは感情の起伏がいつもと比べて穏やかだったというか。なんかおしとやかに見えて違和感がすごかったというか。」


 静川さんは振り向き細目で私を凝視する。


「お前ケンカ売ってんのかよ。... うちだって ... 素直になりたいときもあるんだよ。」


 本当は他人を気遣える人。しかし性格がそれを邪魔して隠してしまう不器用な静川さんを私はやはり可愛く思えてしまう。


「笑うなよ!もうっ!旅館に着くまで喋ってやらないから。」


 私は無意識に笑っていたようだ。


「あと二十秒くらいですね。」


 まもなく旅館に着く。静川さんの天然ぷりに更に笑いが込み上げてしまう。


「うるさいうるさい!そんなこと言うともう相談に乗ったりしてやらないからな!」


「じゃあ俺は頼れる人がいなくなるわけですね。寂しいです。」


 私は旅館の駐車場に車を止め悲しそうな顔を作った。


「もーお前はうちをどうしたいんだよ!相談にも乗るし助けてやるから。そんな顔するなよ。」


 私は先ほどと打ってかわって笑みを作りながら車を降りる。


「やっぱり静川さんはいい人ですね。頼りになります。」


 続いて車を出た静川さんはご立腹のようだ。


「あんまりうちを苛めるなよ~。長谷川さんに言いつけてやる~!」


 やはり最後は走り去ってしまう静川さんだった。愛嬌がある人だ。普段ツッパッているがいざというときは人情味がある。同い年だが妹肌のあどけない静川さんに微笑んでしまう。

 私はそんな人たちに支えられている幸せを噛み締めて仕事に戻っていくのであった。


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