~関係~4


 今日は待ちに待った休日だ。南さんとあの場所で会える安らぎの時間。

 しかし私は今走っている。そう、何を隠そう私はお寝坊をかましてしまったのだ。大事な休日だというのにこんな失態をしてしまうなんて我ながら恥ずかしい。

 昨日は会議が終わったあと徒歩で旅館まで戻り、担当が割り振られていない私は色んな担当のお手伝いに走り回っていた。中には力仕事もあり家に着いたときには体力の限界を向かえていたのだ。なんて言い訳をしてみる。

 時間にして午後二時。南さんは夕方には帰ってしまう為今は考えるより行動をしている。しかも九月の下旬ときているため最近は日の入りが早い。限られた時間しかないのによりによってその日に遅刻してしまうなんて。何より南さんを待たせてしまっているのが申し訳ない。などと考えているうちに広場にたどり着く。案の定南さんはベンチに腰かけていた。


「南さーん!ごめんなさーい!」


 私は謝罪とともにベンチに駆け寄る。南さんは一瞬笑顔になったが何かを考えて口を膨らませそっぽを向いてしまう。


「あのー。南さん?怒ってます?」


「別に怒っていません。」


「やっぱり怒ってる。ごめんなさい!言い訳はしません。寝坊してしまいました。どうぞお叱りください!」


 許可が降りるまでベンチに座るまいと謝罪し深々と頭を下げる。


「いえ、本当に怒ってなんかいないです。ただ、何かあったんじゃないかって不安になっちゃって。それと ... ちょっと寂しかったんです。」


 機嫌が直ったのかいつもの表情に戻った。むしろ心配をされていたなんて不謹慎であるがちょっと嬉しい。


「心配をかけてしまっていたなんて、ごめんなさい。当の本人は寝坊をしていたなんて大バカですよね。でも南さんの怒ってる顔がちょっと可愛かったな。」


 南さんはハッとして両手で顔をおさえる。


「もぅ!反省してください!そんなこと言って誤魔化して!私は本当に何かあったんじゃないかって ...。」


「南さん。大丈夫です。俺は南さんの前からいなくなったりしませんよ。傍にいますから安心してください。」


 私はここ最近で間接的に南さんの過去を知った。本人から聞いたわけではないので私が南さんの過去を知っていると南さんが知ったらどう思われるかわからない。正直どう思われるのかが怖いというのもあるが、何より私は味方であると南さん本人に信じてほしい。直接知り合わなくてもそれができると私も信じているからだ。


「彼方さん。やっぱり優しいです。そんなこと言って、もしいなくなったら私 ... 生きていけなくなります。ずるいですよ。」


 南さんは悲しそうな顔をした。今ではその悲しそうな顔の意味が私にもわかる。


「わかりました。俺が何か理由があっていなくなることがあったらついてきてください。いや、連れていきます!もちろんそんなことは起きませんがね。俺が保証します!」


 私は南さんの横に座り手を取って言いきった。南さんの顔に元気が戻る。


「フフフ。遅刻した人がそんなことを言って。 ... でも嬉しいです。 ... 私、彼方さんの迷惑になっていませんか?目も見えないし。お話だって上手じゃないし。ここにしか来れませんし。」


 南さんはうつむきながら取った手を握り返してきた。


「確かに南さんは普通の人とは違います。正直私も戸惑っていますよ。」


「っっ。」


 南さんの表情が曇り手を握る力が強くなる。


「こんなに心のキレイな人には会ったことがありません。」


「え?」


「他の人は余計な物が見えている分自分のことで精一杯になってしまうんです。俺も同じですし。でも南さんはとても純粋で、自分のことをよくわかっていて、それでいて他人のことには敏感で。俺はそんな南さんを尊敬しているんですよ。」


「 ... 尊敬 .... ?」


「はい。一番人間に必要なものを南さんは持っているように思えるんです。それは手に入れようとしても難しいもので、その ... 上手く言えないですけど他人を気遣える気持ちと言うか、本当に自分より周りのことを大切に扱える思いやりみたいなものを。少し羨ましいんです。俺も、出来れば見たくなかった。こんな醜い世界 ... 。」


「彼方さん。目を閉じてください。」


「え?あ、はい!」


 私は言われるままに目を閉じた。南さんは私の手を握り自分の胸の当たりに持っていくと、今度は南さんの手が私の胸に触る。

 女性の胸元に手を置くことに抵抗と恥ずかしさがあったが南さんはそんなこと関係ないように話し始めた。


「聞こえますか?私の心臓の音。見えないけど感じることはできるんです。私にも、彼方さんにも。本当はお互いを分かり合うってこんなに簡単なことなんだと思うんです。意識や感情があって普段は邪魔しちゃうけど、少なくとも今私たちは分かり合えている。私は、それだけでいいんです。だから彼方さんも今は私を感じてください。相手を感じれば、自分のことのように思えるはずです。」


「 ... はい。感じます。南さんの音、とても強いです。」


「彼方さんのも。 ... 私と同じだといいな。」


「 ... 同じだと ... 思います。気持ちを伝えるのに言葉なんていらないんですね。」


 私は高鳴る胸の鼓動に今まで感じたことのない心地よさを感じていた。この暗闇の世界に二人しかいないような感覚。私は一人の世界ではなく誰かといれる静かな世界に憧れていたのかもしれない。

 私はしばらくその時間を過ごしたあと手をゆっくり戻した。


「どうでした?私が見えました?」


「はい!二人だけの空間にいるような気がしました。」


「私まだドキドキしてます。」


 南さんは恥ずかしそうに言いながら自分の胸に手を置いた。


「あ!そうだ!今日吉井さんがいつも会っている人にも紅茶を持っていけって作ってくれたんです。はい!彼方さんの分です。」


 すでに今日会うことは筒抜けだったようだ。それにしても幼い子が好きそうな可愛いキャラクター達が描かれているこの水筒は私への些細な嫌がらせなのだろうか。なんにせよ私の分も用意してくれるなんてやはり吉井支配人は良い人らしい。しかし吉井支配人は私との関係のことを南さんに言っているのだろうか?


「私吉井さんに嘘をついてしまいました。広場で会っているのはお婆さんって言ってるんです。フフフ、吉井さんに男性と会っているって言ったら引き留められそうな気がしちゃって。」


 なるほど、どうやら自分の部下が私で、既に私と会っていることを知っている旨は南さんには教えていないらしい。すると南さんの中で吉井支配人はどのような立ち位置なのだろうか。話を聞いていると南さんの中で吉井と言う人はお手伝いさんにしか聞こえない。これは吉井支配人が打ち明けるまで私も同調したほうがいいのだろう。


「その吉井さんって人は南さんのことを大切に思ってくれているんですね。南さんにとって吉井さんってどんな人なんですか?」


 聞くのも野暮な話だがどうせ吉井支配人はあの性格だ。自分で聞くことはしないだろう。吉井支配人にいい土産話を持っていこうと私は興味本意で聞いた。


「吉井さんは ... お姉ちゃん見たいな存在です。」


 私は予期せぬ返答に言葉を失った。


「最初家に来たときは何も話してくれなくて怖い人なんだと思っていました。ある日部屋を出るといい匂いがして、匂いを辿ると吉井さんが紅茶を飲んでいて、それを分けていただいたんです。その時始めて吉井さんとお話ししました。とても優しい声でおいしいか?って聞いてくれて。私はそれまで紅茶という飲み物を飲んだことがなかったんですけど大好きと答えました。」


 吉井支配人が紅茶は南さんとの繋がりと言っていたのはこういうことだったのか。


「それから私に紅茶を作ってくれるようになってお話もするようになりました。今の紅茶の味になるまで毎回味が違っていて面白かったですよ。吉井さんは色んなことを知っていて、優しくて、時には厳しくて。でもすごく頼りになる人なんです。今では家族同然ですよ。」


 私は家族という言葉が南さんの口から出るのをすごく重いことのように感じた。むしろ南さんにとって吉井支配人はそれほどまでの存在なのだろう。これは吉井支配人が聞いたら喜びそうだ。


「なのでお姉ちゃんみたいだなぁって勝手に思ってるんです。でもお仕事大変そうなのにお家のお世話までしてもらっちゃって。なんの仕事をしているかは聞いたことないんですけどおじさまの家はすごい広いから一緒に暮らしてます。」


 一応南さんの中で吉井支配人はお手伝い以外に仕事をしているという認識はあるようだ。吉井さんはさしずめ大西社長の家の全般を担う居候兼、旅館の支配人ということらしい。両方とも忙しいのにこなせるのは吉井支配人の器量だからだろう。


「彼方さん。私のことはいくつかお話ししたんですけど私気づけば彼方さんのこと何も知りません。よろしければ話していただけませんか?」


 私は自分の話をするのがあまり好きではないので聞かれなければ喋らない。でも今回聞いてきているのは南さんなので快く答えよう。


「そうでしたね。でも何も面白くないですよ。」


 私は頂いた紅茶を飲みながら言う。


「はい。かまいません。私は彼方さんのことを知りたいだけなので。」


 ニッコリ笑顔で言われてしまっては言わないわけにはいかないだろう。


「なら一つ。俺はここの生まれではなく神奈川県の人間です。都心に近くはないんですが、割りと栄えている場所で生まれました。電車一本でさらに栄えている東京都にも行けますし海にだって行けます。家庭内も円満でなに不自由ない生活をしていました。俺は三人兄弟の真ん中で兄と年の離れた弟がいます。兄は家元を離れましたが弟は今でも両親と実家で暮らしています。」


「海かぁ、兄弟がいるんですね!似ていますか?」


「んー兄は似てないですけど弟は最近俺に似てきたってお袋が言ってましたね。でも俺はいつしかその世界があまり好きではなくなっていきました。別に家族が嫌いってわけではないんですが、なんでしょうね。栄えているところにいる人は他人に無関心というか。さっきも南さんに言ったんですけど人としての能力は高いんですが思いやり?みたいのが少ないんです。全員が全員ってことはないんですけど余裕がないって感じですかね。少し忙しいんです。」


「んー話だけ聞くと大変な所なんですね。」


「まぁこれは俺の主観の話ですから多少の偏見はありますね。でもそんなとき俺は一人旅でこの街に来たんです。第一印象は他の世界に来たみたいでしたよ。時間はゆっくりと流れているようでしたし、みんなが生き生きとしているような気がして。私が駅でキョロキョロしていると知らないおじさんが声を掛けてきたんです。観光か?どっか探してるのか?って。正直衝撃的でした。」


 南さんは私の方に体を向け静かに聞いていた。


「接客に興味があって宿泊業に務めたいと思ってて、それもそもそも人間関係の本質や思いやりを知っていくうちにそう思うようになったんですけど、ここに旅に来てそれが確信に変わったって言うか。きっかけは簡単なことなんですけど足りなかったことを他人から教わったというか。それできっかけとなったここに働きに来たんです。」


「よかった。そのおじさまに会ったら私感謝したいです。彼方さんが来ようと思ったきっかけですもんね。私彼方さんに会えて本当によかったです。」


 南さんの輝く笑顔にドキッとした。


「いえ、ここに来た当初の俺は向こうの人と差ほど変わりない考え方でした。人と壁を作って距離を置いて。人見知りなんて言葉でくくればそれまでですけど、結局自分だって何も変わりはなかったんです。でも ... 南さんと会えた日俺は変わったんだと思います。いや、もとに戻ったって言うべきかな。もう一度他人を想いたい。そう思えたんです。」


 私は過去を振り返りながらも、それでも今を生きている南さんを見てそれではいけないと思った。尻込みからは何も生まれない。前を向かなければ景色は変わらない。そう思えたのだ。


「私が彼方さんを変えた ... ?私にそんな力あるんですかね。私も何もできない自分が大嫌いでした。でも彼方さんに会ってから私も少し自分のことを好きになったんですよ。見えないけど顔を上げようって思いました。」


 南さんは過去のことを言っているのだろう。辛い過去は誰にだってある。私にだって。それでも私は南さんと前を見ようと決意した。


「南さん!俺が南さんの目になります!障害物があったら俺が伝えます。だから、一緒に前を見て ... 歩いて行きたいです。」


 私は南さんの手を取り握った。


「 ... ダメですか?」


 しばらく沈黙の後、南さんを見るとその目からは涙が流れていた。けれど顔は落ち着いた表情だ。


「手 ... 離さないでくださいね。」


 南さんはそう言うと力強く私の手を握り返した。






「おーい!彼方ぁ!ボケッとすんなぁ。そっち終わってんならこっち手伝えよ!」


「はぁーい!すぐに行きます!」


 南さんと気持ちを確かめ合ったあの後からしばらく経った。一緒に歩いていくことを決めてから、私の仕事は正反対に忙しくなった。会いたいのに会えない。そんなジレンマが日々の私を悩ませる。

 しかしこの秋のシーズンのことを南さんに話すとちっとも嫌な顔をせず背中を押してくれた。次に会える日を楽しみにしている。なんて言ってくれる。そんな中仕事をお座なりにするわけにもいかず私は気持ちを切り替えた。会いたい気持ちを堪えて。

 そして今はシーズンの佳境である。私はほぼ休みなく働いた。過労で体にガタがきていたもののそれはそれでよかった。チームワークで乗り切ったという達成感の方が上回っていたからだ。大きなミスは一度もなく、全員で乗り切ったという感じだ。


「お疲れ彼方!後でメシ作ってやるから厨房までこいよ!」


「ありがとうございます静川さん!楽しみです。」


 静川さんは食材在庫の確認がてら私に気を使ってくれた。


「おいおい浮気かょ~。そんなんでいいのか彼方。」


「う、うるせぇ!お前の分も用意してるし。後でこいよ。」


 そう五十嵐さんにいい放ち静川さんは去っていった。


「なんだぁ?あいつ。またなんか話ずれてるなぁ。」


 このシーズンを越して思ったのだがどうやら静川さんは五十嵐さんに気があるらしい。しかし五十嵐さんは気づいているのかいないのかわからないし、静川さんはよくわからない勘違いでいつも話を拗らしてどこかへ行ってしまう。人のことは言えないが不器用な人達だ。


「それはそうと彼方。来週いつも行ってる店で打ち上げあるんだよ。行くだろ?」


 来週で十月の下旬に入るためこのシーズンは終わる。宿泊予約に空き日を作り従業員のねぎらい休暇というのを二日もうけているらしい。これは我旅館の行事のようなものでありシーズン後にはこういった特別休暇をもらえるのだ。そして今五十嵐さんが言っているのはその前夜祭みたいなもので、休暇に入る前日の夜に宴が行われるというものだ。


「もちろん行きますよ!この前のは俺中途半端に入社したばっかだったから行けてないんですよね。今回は必ず行きます。」


「おう!いい返事だ。おばさんがその日貸しきりにしてくれたから騒げるぜぇ!飲み明かそうな!」


 そんなこと言われると行く気が失せるが適当にあしらえば被害はそこまでこないだろう。


「はぁ、ほどほどに。」


「皆、精が出るな、その調子で頼む。」


 事務所の入り口から顔を出したのは吉井支配人だった。いつも現場には来ないのに珍しいこともあるものだ。


「彼方!ちょっと来い。話がある。」


「はい!!」


 と現れるや否や私を呼びつける。私は何か問題があったのかとここ数日の記憶を辿る。その横で五十嵐さんは小声でがんばれー、と手を振り言ってくる。

( デジャブだなこの景色。 )

 すたすた歩く吉井支配人の後を私はとぼとぼついて歩く。人気のいない従業員の駐車場まで来ると吉井支配人は止まった。


「お前。休暇の二日間何か予定は入っているか?」


 何故か怒られると思っていた私は突然の質問に驚いた。


「え?いやまだ何も予定はないですが。」


「ならこの前の約束、二日目でいいか?」


 これまた突然だが紅茶の入れ方を教わる約束のことを言っているのだろう。忙しすぎて正直忘れてしまっていた。


「はい!ありがとうございます。是非お願いします!」


「よし!これで以上だ。仕事に戻れ。」


 吉井支配人はそう言うと車に乗り込み足早に去っていった。

 また南さんに会えたりするのだろうか。なんて期待を胸に私は持ち場に戻る。その時私はゴミ袋がガサガサと擦れる音に気がつかなかった。






 前夜祭の夕方、私は長谷川さんと車をご一緒させてもらい宴に向かっていた。

 この日は宿泊者がゼロになる日で各責任者だけが出勤し、各自担当の整理がつけば退勤という後片付け日だ。私は朝最後のお客様をお見送りした後、いつも通りのことをして終業した。統括の五十嵐さんや設備担当の飯波さんはまだ旅館に残っている。早く終わった長谷川さんの車に乗って、宴開始時間まで街で待機という予定だ。


「ねぇ。彼方くん。今噂になってるんだけど聞いていい?」


 噂?突然長谷川さんは私に質問を投げかけてきた。


「ええ、俺についてのことですか?」


 一瞬南さんのことが頭に浮かんだが情報が漏れるミスはしていないはずだ。まぁ別に隠すことでもないのだが。


「そうみたい。なんかここの人と付き合ってたりする?別に言いたくなければいいんだけど、最近噂でね。」


 ぎゃっ。いきなり確信をついてきたか。しかしここの人とはどういうことなのだろう。


「と、突然ですね!誰かが言ってたんですか?」


「えぇ、香ちゃんが彼方くんは吉井さんと付き合っているって ... 。」


 !!!

 予期せぬ答えに驚いた。


「え?俺と吉井支配人がですか?なんでまた。まさかそんなことあるはずないじゃないですか。」


 私は吉井支配人が相手ということにびっくりしたがそんなことを思わせる心当たりもない。


「そ、そうよね。なんか香ちゃんが吉井さんと彼方くんが労い休みに会う約束を駐車場でしてて、吉井さんが彼方くんを見る目が恋してたっていうのよ。」


 なんだそれは、斉藤はアホなのか?それにしてもどこで聞いていたのだろう。駐車場で話したときには誰もいなかった気がするのだが。しかしねぎらい休暇に会う約束をしたのは間違いない。


「あーその斉藤さんの感受性はさておき、会うのは確かですね。でも紅茶の入れ方を教えてもらうだけですよ?前に会議で呼びつけられた時、会議で出た紅茶の話になって、それで俺が美味しかったって言ったら教えてくれるって。ただそれだけです。」


 長谷川さんはなぜかホッと胸を撫で下ろした。


「そ、そうよね。てことは吉井さんのことはなんでもないのよね。」


「はい。吉井支配人と渡り合おうと思うほど俺は武人ではないですよ。しかし斉藤の一人歩きには驚きますね。根も葉もない噂たてて。」


「あの子も、悪気があるわけじゃないと思うわ。確信がなかったから本人にも言ってないんだと思うし。」


 んーでも他人に言いふらすのは違う気もするが。

 そんなこんなで待ち合わせていた場所までたどり着き、皆と合流した。しばらくすると五十嵐さんたちもやって来て、私と飯波さんは五十嵐さんの車で料亭に向かっていく。


「おい彼方。お前吉井さんと付き合ってるんだって?聞いたときは腹抱えて笑ったぜ。」


「あー!なんでそれ知ってるんですか!?いや事実そんなことはないですけど。ってか五十嵐さんは南さんのこと ... あっ。」


 私は後部座席に飯波さんが乗っているのを忘れていた。


「大丈夫だ。匠は既に由比ちゃんのことも知ってるしお前との関係も知ってる。なんでかは知らんけどな。」


「はい。存じ上げております。他言の必要はないと思いこれまで伏せておきました。支配人との話はさすがに聞き及んでおりませんでしたが。」


 後ろで飯波さんは慎ましく仰った。なぜ筒抜けなのかはわからないが隙のない人だ。


「ちょっと飯波さんまで!もぅ、斉藤には困ったもんです。何より吉井支配人が俺なんか相手にするはずないですよ。」


 五十嵐さんは不適に笑った。


「どうだろうな。吉井さんが由比ちゃんのことだけでお前をあそこまで目にかけてるとは思えないんだが。お前うちの女性陣に人気あるからなぁ。」


「やめてくださいよ。憶測だけで話を進めるのはよくないです。むしろ吉井支配人の方が南さんを気にかけているんですからそんなことはありえないですよ。」


「人は何があるかわからんからなぁ。ねぇ匠!」


 五十嵐さんが促した後、車内に不適な笑いが起こった。

 遊ぶのもほどほどにしてほしい。


 料亭近くの駐車場に車を止めみんなと合流した。この話に関わらない人の説明は省くが集まると結構な人数だ。料亭に着いたときにはおばさんが待っていてくれていた。


「今日はようお越しくださいました。あら誠ちゃん、予約の人数からお一人様少ないようだけど。」


「あー明野さん。後でもう一人くるから。まだ仕事してる人がいるんでね。」


 どうやらいつものおばさんは明野さんと言うらしい。しかし旅館に残っている人はいないのでこれで全員のはずだが。


「おー!やっぱり来るんですね!光さんパワー炸裂だねぇ!」


 斉藤はニコニコしながら訳のわからないことを言っている。


「まぁそれはご苦労なことです。ささ、お入りくださいませ。」


 明野さんに促されるまま私たちは中に入っていった。

 今回はいつも五十嵐さんと来る奥の部屋ではなく入り口入ってすぐのフロアだ。それもいつもと様子が違って机が固められ大人数でも座れるようになっている。さすが貸しきりだ。

 私は五十嵐さんの隣に座り、私の向かい側に長谷川さん、坂上さん、斉藤。隣のテーブルに静川さん率いる板前グループ。仲居さんグループ、設備グループと続いている。


「おい!誠!こっちこいや!」


 設備班の人達が五十嵐さんを呼びつける。


「若いものは若いもんで飲ませてくださいよ!後で酌注ぎにいかせてもらいますんで!」


 どうやら私たちの席は若い人の席らしい。その私たちの席に一つ空席がある。


「五十嵐さん。気になってたんですけどあと一人って誰ですか?席も一つ空いてますし。」


「あぁ、吉井さんだよ。」


「え!?」


 長谷川さんは声をあげて驚いた。その横で同じく坂上さんも驚いている表情だ。


「まぁ驚くのも無理はないよなぁ。吉井さんが参加するのはこれが初だからな。正直俺も驚いたよ。」


「愛の力ってやつですかねぇ~。」


 斉藤がニヤニヤしながら私を眺める。


「お前が来たとたんにこれか、ここまで来ると信憑性は高いな。」


 揃って五十嵐さんもニヤニヤする。


「はぁー。そんなわけないですよ。もうその話はやめてください。」


 私はここに来るまで何度もその話題を吹っ掛けられて正直疲れていた。


「チャラ男。」


 坂上さんがメニューを見ながらさらっと言う。


「翼ちゃん!思っててもそんなこと言わないの。」


( 長谷川さん。果たしてそれはフォローなのでしょうか。 )

 私はガクッと肩を落とし、宴が始まった。

しばらくして場は盛り上がり皆さんお酒が進んでいるご様子だ。斉藤はヘラヘラどこかへ酌を注ぎにいってしまって、五十嵐さんも他の席に旅立った。長谷川さんと坂上さんはほろ酔いで雑誌を見ながら二人仲良くお話ししている。私はと言うと一人で静かにお酒を飲んでいた。溶け込めていないというよりもお酒が苦手な私は隅で一人飲む方が気が楽なのだ。


「なんだよ一人で寂しく飲みやがって。いじめられてんのか?」


 静川さんが手に飲み物を持ちながら隣に座ってきた。


「いえ、俺はお酒が苦手なのであまり表には向かないんです。隅でちびちび飲んでいれば目立ちませんからね。」


 すると静川さんは大笑いした。


「アハハハ!陰険な奴だな!じゃあ今度からうちが一緒に飲んでやるよ。うちもお酒は苦手だからあんま飲まないんだ。聞きたいこともたくさんあるしな!」


 静川さんは可愛い笑顔の持ち主だった。普段ムスっとした顔しか見ないので新鮮だ。


「ん?なんだよジロジロ見て。」


「いえ。静川さんて笑うと可愛いんだなって思って。」


「バッ、バカヤロー!!そんなことねいやい!」


 静川さんは顔が真っ赤になり顔を背けた。あまり誉められることはないのか。普通にしていれば和風美人な出で立ちなのでモテると思うのだが。


「チャラ男。」


 坂上さんはグラスに口を着けたままにジト目で睨んでくる。


「うーん。今回はフォローできないわねぇ。女の子はちょっとしたことで勘違いしちゃうから気を付けたほうがいいわよ彼方くん。」


 なぜか女性三人を敵に回している気分だ。


「ごめんなさい。そんなつもりはなかったんですけど。」


「お疲れ様です!!!」


 お店の入口の方が騒がしい。吉井支配人がお越しになったらしい。吉井支配人はキョロキョロした後人の少ない所を見たのか私たちの席に向かってきた。


「お疲れ様です。何か飲み物頼みますね。」


「あぁすまない長谷川。皆もそのままでいい。今日は無礼講だ。私のことは気にしないでいい。」


 吉井支配人は私の隣に座りながら冷静に言う。そんなことを言われても私は緊張していた。


「吉井さんお疲れ様でーす!一緒に飲みましょうよー。」


 斉藤はかなり出来上がった状態で吉井支配人に絡む。正直何を言い出すかわからないので怖い。


「おお香か。お疲れ。こっちにこい、可愛がってやる。」


 吉井支配人は隣にちょこんと座る斉藤の頭を撫でながらニコやかになる。誰にでも愛されるキャラは羨ましい。


「吉井さん!今だから聞きたいことがあるんですけどいいですかー?」


 斉藤は私を見ながらニヤニヤしている。まさかあのことでは ...


「吉井さんと光さんってー、付き合っているんですか?」


 こいつ ... 。先に釘をうっておかなかった私も悪いがここでそれを言うか。吉井支配人は私をチラっと見た後鼻で笑った。


「フっ、そんな事実はない。」


「えー!!でもここに来て直ぐに光さんの隣に座ったし、駐車場で一緒に会う約束してたし。」


「斉藤。盗み聞きはいい趣味とは言えんな。まぁ ... こいつといると妙に落ち着くのは確かだな。」


 思いもよらない発言に周りが驚いている。当然私もだ。しかし吉井支配人は運ばれてきたお酒を少し飲みながら淡々としていた。


「おー!アメイジング!!てことは恋に発展する可能性もあるんじゃないですかぁ?」


 斉藤はマイクを握るように吉井支配人に迫った。


「フッ、どうだかな。こいつが年上好みなら話はわからんがどうやらそうでもないみたいだからな。」


 訳がわからない展開だが吉井支配人は南さんと私のことを気にかけてくれているようだ。


「おー!おぉー!!ってことは光さんは年下が好きと!私にもチャンスはあるんですねぇ!」


「ない!てか飲み過ぎだぞ斉藤!吉井支配人に失礼が過ぎる!」


「いいではないか!それより光。身の上がうまくいかないようなら私がかくまってやるぞ。どうだ?」


 吉井支配人がいきなり肩をくんできた。それだけでも意外なのだが顔が真っ赤であるほうが意外だった。この人はお酒に弱いらしい。


「ちょっ、吉井さん!そんなこと、彼方くんが困ってますよぉ。」


 長谷川さんが止めに入ってくれるがあまり収集がついていない。


「ちょっと!さっき可愛いって言ってくれたのは嘘だったのかよぉ~!」


 静川さんも乱入してくる。この状況は混乱以外のなにものでもない。ついさっきまでは平穏な環境だったのに。


「おお!彼方くんモテモテですなぁ!羨ましいかぎりだよ。そんな君に悪いんだけどお前に今すぐ会いたいって人が来てる。一緒に来てくれ。」


 五十嵐さんは助け船を出してくれたのか、どちらにしてもグッドタイミングだ。私は五十嵐さんの後を追い混乱を後にした。

 五十嵐さんを追いかけ出たお店の外にはレトロな車が止まっていた。その中から見覚えのある大柄で年配の男性が出てきた。


「お疲れ様です。大西さん。では私はこれで。」


 五十嵐さんは礼をするとお店の中に消えていく。思い出したがこの方は我旅館の頭の大西社長だ。


「お、お疲れ様です!」


「おぉ!君はいつぞやの盗人くんじゃないか。」


「はい!先日は大西社長のお宅で失礼を致しました。」


「なんてな、いやそんなことはいいんだよ。それより飯波さんから話は聞いている。とても優秀だそうだね。今後も期待しとるよ!」


 とても穏和な口調で堂々とした方だ。吉井支配人や五十嵐さんが着いていくのにも頷ける。


「ありがとうございます。まだまだ若輩者ではありますが、日々精進を怠らないつもりでございます。」


 私は深々と頭を下げた。


「うむ、結構結構!しかしな、今日君を呼んだのは仕事に関することじゃないのだよ。由比のことだ。心当たりはあるかね?」


 顔を上げた先には先程とは別人と錯覚を受けるほど厳格な表情をしている大西社長がいた。


「はい ... 。」


 恐らく大西社長は全てを知っているのだろう。経緯はわからないが飯波さんあたりが情報源と予測した。


「君の気持ちは知っている。無論由比の意向もな。だがそれ故に私はその事態を危惧しているのだよ。真剣なのはわかるがまだ二人とも若い。別の道を選ぶ機会があってもいいんじゃないかね。」


「 ...... 。」


 私は大西社長の言おうとしていることが理解できるため黙ってしまう。きっと大西社長は一保護者として言っているのだ。何より二人とも傷つかない道を示してくれている。しかし私はこのまま終わってしまうのは腑に落ちないと強く思った。だが好きがゆえに盲目になっているのも確かである。今の私に反論できる言葉は思い浮かばなかった。


「ふむ。それほど真剣に考えているということか。」


 大西社長は腕を組み何かを考えている。私と言えばまだ何も言葉を発せずにいた。


「わかった。すぐにとは言わない。しかしいずれは答えを聞かなければならない時がくる。今一度冷静に双方の未来を考えた後、君の答えを聞こう。逆を返せばそれからでも遅くはない。」


「はい ... 。」


「すまんかったな。いきなり押し掛けてじじいが説教まがいなことをして。ほ~れ!暗い顔をするんじゃない。今日は宴だろうに。戻って仕切り直せい!」


 先程とはうって代わり大西社長はまた優しい顔でニカーっと笑って見せた。私は南さんに纏わる周りの人の重要さを再確認し、更にはその事を考えた上で南さんと接しなければいけなかったと気づかされた。


「大西社長。今日はわざわざお越し頂きありがとうございます。私は浮かれていたのかもしれません。色々なことが変わって、それに着いていけているような気がして。でも今があるのは南さんをはじめ皆さんのおかげなのを改めて確認できました。本当にありがとうございます。これからもこんな私をよろしくお願い致します。」


 私は深々と頭を下げた。


「面をあげなさい。君のような若者が私の旅館で働いてくれていることを誇りに思うよ。これからも仕事と私生活両立して頑張りなさい。そして周りを頼りなさい。ここで働いている以上私たちは家族のようなもんだからのぉ。ホッホッホッ。」


 大西社長は手をヒラヒラさせ車に乗りそのまま走り去った。私は大西社長の器量の大きさに感服した。それ故か車が見えなくなるまでその場を動けず、頭を下げてお見送りをした。

 周りの人に、認めてほしい。納得させたい。

 自分に足りないものが漠然とだが少し見えた気がした。


 


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