~信頼~3


 先日お世話になった料亭の奥の部屋に五十嵐さんと二人で座っている。最初は不機嫌そうな顔をしていた五十嵐さんだったが、おばさんと挨拶を交わした後今はいつも通り穏やかな顔をしている。頼んだのは飲み物だけで、これで個室を使ってしまうのはどうかと思うがここは予約が入っていなければいつでも使えるようだ。

 五十嵐さんは飲み物を飲んだ後ため息混じりに話し始めた。


「んで?俺の忠告は無視ってわけか。」


 五十嵐さんの言いつけを破るのは申し訳ないが今はそれ以上に私の意思であの場所に行っている。神隠しやらそんな迷信に邪魔されたくないのが本心だ。


「五十嵐さんには悪いと思っています。ですが俺はあそこに行きたい理由があるんです!正直迷信じみたものなんかを恐れるより行く価値があると思えているんです。」


 五十嵐さんは頭をかきながら続けた。


「あそこで、誰かに会ったのか?」


 私は濁して言ったつもりだったが五十嵐さんは何かを知っているような物言いだった。


「はい...。目の不自由な女の人と知り合いました。」


 五十嵐さんは力なくため息を吐く。


「はぁー、やっぱりか。どうやら噂も外部の人間には効果なかったみたいだな。ましてや山に関心があって入る若者がいるなんて想像できなかったよ。しかもそれがお前だなんて。」


 何かを知ってる以前に幽霊山の根本を知ってそうだ。最初から疑ってはいたが南さんのことにも驚かず冷静なのは何かおかしい。


「五十嵐さん。もしかして幽霊山の一件を何かご存知なんですか?そこで会った女の人と何か関係が?」


 五十嵐さんは落ち着いたまま、また飲み物に手を伸ばした。


「彼方。お前は本当に勘が良い。気持ち悪いほどにな、それほど真剣ってことか。何から話せばいいのやら。」


 目線を私から逸らしたまま、頬杖をついて何かを考えている。


「まぁとりあえず、あの神隠しやら幽霊が出る話なんかは俺がガキの時に流したデマだ。あそこで起きた事件に関わってる人はあそこを隠したがる。俺もその内の一人だ。」


 事件!?もういきなりのことで整理が追い付かなくなる。


「ちょっと!待ってください!まずその事件と言うのはあの山の中腹にある広場で起きたんですか?いつ?女の人とも関係のあることなんですか?だとしたらなんで幽霊山なんて ... 」


「待て待て!ちょっと落ち着けって。お前が逸る気持ちもわかる。いいからそれ飲め!」


 五十嵐さんは私の前の飲み物を指差した。確かに事情を知りたい気持ちが先行しすぎて我を忘れてしまっていたかもしれない。言われた通りソフトドリンクを飲み一息ついた。


「落ち着いたか?んじゃあ順を追って説明する。けどわりと内容はエグいもんだ。気分が悪くなったら構わず言え。いいな?」


 こんな時でも私のことを心配してくれている。少し前までの自分を反省しつつ、真実を知りたい気持ちは変わらなかったので話を続けてもらう。


「簡潔に話すとお前の行った広場には元々家が一軒建っていた。その家は原因不明の火事から全焼してしまいそこに住んでいた四人中三人が死ぬ事故が起こったんだ。俺がまだ十七才のときで今から十年前くらいの話だな。原因不明とあって警察や周りの関心がなくなるのは早かった。唯一火事を免れた生存者も上手く状況を説明できなかったから尚更だ。」


「 ... 目が見えていないから、わからなかった ... ?」


「ふっ。ほんとお前ってやつは。そうだ。その唯一の生存者ってのがお前の言う子だ。」


 南さんのことを知りたいと思っていたが、火事で家族をなくしているなんて想像もできなかった。どこか浮かれていた自分が恥ずかしくなり握っていた拳に力が入る。


「でも!南さんのことで五十嵐さんがあそこを幽霊山って噂を流した話がわかりません。なぜそこまでしてあそこから人を遠ざけたかったんですか?」


「やっぱりこれも話さなきゃダメか。お前からは逃げられそうにないもんな。」


 五十嵐さんは不適に笑い飲み物を飲んだ。


「第一目撃者なんだ。一番に駆けつけたが遅かった。俺は本当に救いたかった人を助けられなかったんだよ。 ... お前許嫁って知ってるか?こういう田舎にはまだあってな。死んだ内の一人と俺はそういう関係だった。」


「まさか、それって ... 。」


「南 晶 ( みなみ あきら ) 。お前の知ってる南 由比の姉だよ。その火事で由比ちゃんは両親と姉を失っている。」


確か私が見つけた南さんのロケットはお姉さんからもらった大切な物。辻褄が合うごとに私は言葉を失っていった。


「お前大西さんは知ってるよな?うちの旅館のトップの。由比ちゃんの母親は大西さんの妹でな。火事のあと由比ちゃんを施設に送らず引き取ってくれたんだ。家族が居なくなった上にあの状態じゃ一人で生きていくことは正直難しい。寛大な処置ってやつだな。」


 どおりで南さんはいつも帰るとき街に降りていかず坂を登っていったわけだ。大西社長の家がスキー場の近くにあるというのは知っていたのでここでも合点がいく。


「でもな、そっからが問題なんだ。由比ちゃんは一人で家を抜け出すことが多くなってな。帰って来ない日もあったそうだ。帰って来なかった日俺にも連絡が来て、うちの家族も総出で探すことになったんだ。正直俺は心当たりのあった家の跡地に直行した。」


 その先はわかったが黙って聞いた。


「そしたら片付けられた家の跡地で由比ちゃんは一人泣き崩れていたんだ。恐らく家を出る度にそこに行っては泣いてたんだろうよ。当時中学生の子がそんなに早く心の整理がつきっこない。しばらくの間あの子は抜け殻のような子だったよ。見るに耐えなかった。俺もそんときは泣かない夜はなかったけどあの子のほうが辛かったと思う。自分のせいで姉が死んだんだからな。」


 南さんのせいで姉が亡くなった?少し引っかかるところがあったが今は水を指さないでおく。


「それを見かねて大西さんは跡地に広場を作ってくれたんだ。俺は完成した日からもうそこには行ってない。でも話によると由比ちゃんはそこが出来てから立ち直り始めたみたいだぜ。由比ちゃんがそこで休養するために広場が公表されることはなかった。元々人が来るようなとこじゃないけど念には念をと大西さんと俺らとで一計を投じた。場所を特定されずに撹乱させるためにあの山全体を幽霊や神隠しなんかの噂で人を寄せ付けなくしたんだ。その尖兵が俺ってわけ。」


 大体の事情は飲み込めた。


「大西社長と五十嵐さんってかなり親密な関係ってことですか?」


「あぁ、ここにいない人の話をするのは気がひけるけど許嫁の話も大西さんの旅館を継ぐって話からだからな。大西さんは早くに奥さんを亡くしていて子供がいないんだ。兄弟も由比ちゃんの母親だけだし旦那さんのほうも既に会社を持ってたみたいでな。そんで男を求めてたら元々縁があった五十嵐家に俺が生まれて南家に晶が生まれて後継ぎをさせるために許嫁になったって感じ。」


「そうですか、では五十嵐さんは今あの旅館を継ぐつもりでここにいるんですね。」


 そういうと五十嵐さんの表情は少し煙った。


「どうだろうな、そもそも晶は旅館に興味があったみたいだけど俺は成り行きでいるようなもんだ。小さい頃からその話はあって俺も漠然としか考えてなかったからなぁ。あいつが女将で俺が支配人、そんな夢もあったっけ。でもあいつが死んでからは俺もしらけちまってな。あいつのいない旅館には正直興味なかったし。そんで一応抗ってここの料亭で働いてたりしてたわけよ。」


「でも今は旅館にいますよね。心境の変化ってやつですか?」


 私は差し出がましいことを承知で聞いてみた。


「まぁそんなとこだ。あの事件の後も大西さんは俺のことも気遣ってくれてな、あの人には恩もある。義理を感じるようになってからあそこで働き始めたんだ。晶の夢でもあったから俺もどこか捨て置けなかったんだろうよ。そんで今こんな感じ。話は以上だ。どうだ?納得いったか?」


「一つ、お聞きしたいことがあるんですが。答えたくなければ言わないでも構いません。」


「なんだ。まだなんか引っ掛かってるのか?」


「はい。ここまで教えてもらったので無礼を承知で聞きたいと思います。晶さんは由比さんのせいでお亡くなりになった。そう言いましたよね?」


 五十嵐さんはこの問の答えには少し躊躇ったようだった。


「わかった。ここまで話したんだから隠すことはしないよ。だけど最初に言っておく。この話は終わったことだから同情はいらないぞ。それだけは断っておく。」


「はい。」


 私はどんな答えが返ってきてもいいように身構えた。


「この話も少し長くなる。許嫁の話あるだろ?でも俺と晶は普通に恋をしてたんだ。幼い頃から一緒で幼なじみだった。家の仲がいいこともあって俺らはずっと一緒にいたんだよ。中学のときにあいつから告白されてな、それからは全て好調だったよ。お互い許嫁っていうことよりも運命的なものを感じてたんだな。晶は妹を溺愛してたからそれまで俺も一応由比ちゃんと顔見知りだったんだぜ?」


 人の人生を聞くなんて妙な気持ちだ。他人なんかもう関係ないと思っていた私も五十嵐さんの過去はすんなり入ってくる。心地悪さはない。


「それから時がたって高校二年生の夏。あの事件の夜、突然晶から電話がかかってきた。騒音で上手く聞き取れなかったけど   助けて   って聞こえたんだ。その日は普通に一緒に帰って別れたから家にいると思ってその足で家まで走った。距離はあるけどなぜか気づいたら走りはじめてたんだ。何かあったに違いない。いつも強気な晶が助けてなんて言うこともなかったし、なにより騒音が気がかりだったからな。そこからはお前に話した通り着いたときには家は全焼手前までになってた。」


「でもそれって、なんで由比さんだけ助かったんですか?」


「そこだよ。あいつは、晶は由比ちゃんを最後まで守って力尽きたんだ。俺が着いたとき家は崩壊しかけててな、死ぬのを覚悟して俺は助けに行ったよ。そんでリビングのところで家材の下敷きになってる二人を見つけたんだ。由比ちゃんに覆い被さるように晶が守ってた。自分の着ていた服を由比ちゃんの為に火避けにしながらな。火の熱で晶の背中はひどい火傷だった、見ていられなかったよ。それよりな、あいつは崩壊した家材に足を潰されて動けなかったんだ。あの時何もできなかった自分に今でも腹が立つよ。その時晶も俺に気づいて由比ちゃんを俺に差し出した。辛うじて 早く行って って聞こえたからとりあえず由比ちゃんを外に出してから戻ろうと思ってた。由比ちゃんを抱えて振り向いたときあいつの口が動いた気がした。何かを俺に言ってたのかな。でもそれは聞こえなくて死に物狂いで外に出た。そしたらその瞬間に家が倒壊しやがったんだ。救われねぇよな、何もできずに最愛の人が死んでいくのを見るってのは。」


 私は何も返せずただ五十嵐さんと目線を合わせずにいた。他人のことといっても辛すぎる過去だ。

 私も五十嵐さんの気持ちがよくわかる。


「まぁこれは俺の主観の話だ。さっき口が滑って言った由比ちゃんのせいでってのは少し語弊だったよ。でもなんでだろうな、由比ちゃんがああでなければ、もっと強ければ、晶は助かってたんじゃないかって思っちまうんだ。嫌な考え方だよな。由比ちゃんが助かったんだから晶も本望だと思う、本人の意思ならそうかも知れないけどさ、俺は晶にも助かってほしかったんだよ。生きていてほしかった。」


 顔には出ていなかったが五十嵐さんはとても寂しそうな目をしていた。その気持ちは痛いほどわかる。大切な人を失った境遇、一人残されることがどんなに辛いことなのか。ただここで共感し、私の身の上話をしたところでそれは五十嵐さんは受け付けないだろう。


「なーんかしらけちまったな。だからこの話をするのは嫌なんだ。けどなんか不思議な気分だぜ、なぜかお前には知っておいてほしかったのかもな!」


「一人で抱え込むのは辛いものですよ。五十嵐さんの理解者になれてよかったです。」


「へっ!いいこと言うじゃねぇか!それで、由比ちゃんは元気か?」


 五十嵐さんも気にはなっていたようだ。晶さんがいなくなった今会いづらいのだろうか。


「はい!あの場所で今日も話していました。よく笑うし、よく泣きます ... あの子も色々考えているんだと思います。」


 そう言うと五十嵐さんは驚いた顔をした。


「よく笑う?泣くだって?お前そりゃ心を開かれてる証拠だぞ!晶がいたころよく見かけたけどいつも会釈されるぐらいだったもんだ。」


 五十嵐さんに次いで私も驚いた。確かに最初は排他的な感じはしたが話してみると意外と普通な印象を持っていたからだ。


「五十嵐さん嫌われてたんじゃないですか?」


 なんて笑いながら言う。


「いやどこにいても根暗な感じって聞くぞ。なんか仲の良かった友達が一人いたみたいだけど。俺の理解者になる前に由比ちゃんの理解者になってたみたいだな。それは誰にでもできることじゃないぞ。なんかちょっと安心したわ。」


「そうですかね、俺は普通に話してただけですけど。」


「バーカ!それが難しいんだよ。 ... お前さ、由比ちゃんのことどう思う?」


 唐突な質問すぎて私は取り乱した。


「え!?ど、どうって ... 可愛いと思います ... 素直ないい子だし、普通の人には持っていない感受性?みたいな純粋にものを見る姿勢に惹かれるっていうか、その、なんというか ... 」


 すると五十嵐さんは声をあげて笑いだした。


「ハハハハっ!俺はそういうつもりで聞いたんじゃないんだけどな!そうか!好きなのか!お前がボロを出すなんて珍しいなぁ!あー腹痛ぇ。」


 私は自滅したことを悟り顔から火が出るほど赤くなった。


「もうっ!聞き方が紛らわしいんですよ!誘導尋問だ!今のは忘れてください。」


 私は口を膨らませながら怒り飲み物をがぶ飲みした。


「ったく飽きない奴だなお前は、それより由比ちゃんをそんな風に思ってたなんてな。正直驚いたぜ。お前は長谷川さんのことを好きだと思ってたからな。」


 適格な予想だ。確かに長谷川さんを意識していたのは間違いない。言われて気づいたが結局私の心もわりと簡単に動いてしまうのかもしれない。


「そうですね。長谷川さんは普通に素敵な人だと思いますよ。五十嵐さんの言う通り意識はしてました。けど ... 南さんのことをどうしても放っておけないんです。俺が側にいて支えなきゃいけないんです。俺の勝手な妄想かもしれないですけどそう思うんですよ。変ですよね。」


 五十嵐さんは大きく頷いた。


「彼方!じゃあ俺はお前を支えてやろう!俺は感動した!お前になら義妹を任せられる。なーんて晶と結婚はしてなかったけどな!ただ ... その、普通と違うってことは難しいことだぞ。お前は途中で投げ出したりしないと思う、けどなんかあったら俺を頼れ!」


 テテテテーン。 五十嵐さんが仲間になった。


「はい!これ以上ないほどに心強いです!ってことは五十嵐さんは義兄さんになるんですかね?」


 私は笑いながら五十嵐さんに言う。


「気が早えーよ!まぁ形式は違ってもお互いが理解し合ってればそうなるのかもな!まぁそれもお前が由比ちゃんと添い遂げれば!の話だけどなっ!」


 私はいつの間にか確信していた。五十嵐さんとの話で意志が固まったかはわからない。けれど南さんと知り合ってから私の中には南さんがいた。そしてこれからも。


「いーや!絶対に俺のものにして見せます!」


 私は拳を作り天を仰いだ。


「あら、いつにもなく男らしいのねぇー。あんなに可愛かった彼方ちゃんがこんなになって。おねえさん嬉しいわぁ。」


 なぜかお姉口調の五十嵐さんは頬に手を当ててクネクネしながら言った。


「なんですかそれ? ( 笑 ) それと ... 南さんとみんなの架け橋になれればとも思ってます。もちろん五十嵐さんともですよ。」


「あぁ、そんときはお世話になるわ。何かきっかけがなきゃ俺も会いづらいし。由比ちゃん可愛くなってんのかなぁー。」


「可愛いですけどなんか不安になる言い方ですね。」


 私は目を細め五十嵐さんを見る。


「あら、意外と独占欲強いんだなお前。安心しろよ!俺は年下には興味ねぇから。」


「それを聞いて安心しました。気になるんなら会いに行けばいいじゃないですか。南さん雨の日以外はあそこにいるみたいですよ。」


 五十嵐さんはやる気がなさそうに頭をかいている。


「お前簡単に言うなよ。とりあえずあそこにはもう行きたくねぇんだ。由比ちゃんはさておき山道も好きじゃないしな。」


 私は失言をしたことに恥じた。あの場所に行ったら五十嵐さんは嫌でも晶さんのことを思い出してしまうだろう。私と同じように。


「よし!めんどい話はこれでおしまい!さぁ!飲むぞ彼方!!」


「ふぇーい。」


 五十嵐さんは意気揚々とメニューを見始めた。この様子からするとかなりお酒が好きなようだ。

 お酒が嫌いで苦手な私もその日ばかりは付き合うことにした。おばさんに運転代行をお願いしてもらったのは言うまでもない。






「おい、彼方?顔色悪いぞ。具合悪いのか?」


 顔面蒼白。昨日五十嵐さんとお酒を飲んだことで二日酔いの真っ最中だ。

 今日は会議の日で、会議に行くのに五十嵐さんが運転する車に乗っている。会議といっても旅館のお客様がゼロになった後に留守番を残し、残りの各責任者とで大西社長のお屋敷の応接間でシーズン準備の最終確認などを行うお茶会のようなもの。と五十嵐さんは気軽に言っていた。しかし私はこの会議に出るのは初めてで、緊張と二日酔いで完全な不調に陥っていた。

 実際大西社長とお会いするのは初めてで、旅館に来た当初も手紙のような物しかもらっていないので初顔合わせになる。旅館には支配人もいると聞いたが予定が合わないからか会ったことがない。要するに旅館の上役の人とはこれまで会ったことがないのだ。普通ならこちらから挨拶に行くところだが五十嵐さんに聞いたところいずれ会うからいい。と言われて三カ月経っている。

 そんな不安な気持ちと不調が渦巻いているが少し期待もある。五十嵐さんの話によると南さんは大西社長の家で暮らしているという。ということは実質南さんの家にお邪魔することにもなるわけである。仕事なので会うことは叶わないだろうがなぜか胸がそわそわしていた。


「はい!とーちゃくっ!」


 車が脇道に入ってしばらくするとキレイな門が見えてきた。しかし家らしきものは見当たらない。


「え?ここが大西社長の家ですか?見当たらないんですけど ... 。」


「へへへ!こっからまた上に登っていくんだ。だから車で来たんだろ?あぁお前大西さんの家初めてか!家に着いたらビビるぜ~。」


 いや正直門から家まで距離があるだけで驚いているのだが、これがお金持ちと庶民の考えの違いだろうか。そんなことを思っている私をさておき五十嵐さんはインターホンで誰かと話している。門が開いたので五十嵐さんは車を進めた。

 門から三分くらいたったか、大西社長のお宅に着いてからは驚きの連続だった。まず家の外観が洋風でオシャレな、まさにお屋敷と呼ぶに相応しい佇まい。中に入ると映画でしか見たことがなかった吹き抜けの玄関。お姫様が降りてきそうな半螺旋階段がある。唖然とし続け誘われるままに応接間へ向かった。


「あ、彼方くん、五十嵐くん。こんにちは。」


 既に応接間に来ていた長谷川さんに挨拶される。部屋の中央に横長の丸いテーブルが置いてありそれを囲むように椅子が並んでいる。応接間の中も豪華な造りで息を呑むほどだ。むしろ会議をする場所というより軍議が始まりそうな仰々しさだ。


「長谷川さん、飯波さん、静川さん、こんにちは。遅くなりました。」


 今挨拶したのは設備責任者の飯波 重和 ( いいなみ しげかず ) さん。一見して普通のおじいさんだ。この方は穏和な人で時雨の宿一番の古株らしい。高齢者とは思えない労働力と認識力で周りから頼りにされている。私も頼っている一人だ。ちなみに斉藤さんからは じーちゃん と呼ばれている。怒らないのは飯波さんの許容が海より広いおかげだろう。

 次に清楚な顔つきとは正反対の性格を持った静川 静華 ( しずかわ しずか ) さん。我が旅館の板前頭である。私はこれまで女性が板前をしている料亭を見たことがなかったが彼女なしでは成り立たないくらいに腕がある。賄い飯でお世話になったこともあるが洗礼された味に驚いたのを今でも記憶している。気がかなり強く信念が通った頑固者だ。

 静川さんの父親、静川哲朗 ( てつろう ) さんは既に看板を娘の静華さんに渡しているが人手不足の為自分の店を持たずにまだ私たちの旅館に残ってくれている。更に頑固者で寡黙な哲朗さんも娘さんには敵わないらしく、厨房では静華さんの指揮の元統治されている。こちらもちなみに斉藤さんには しずしず なんて呼ばれている。本人は斉藤さんを気に入っているのかこれには何とも言わない。ただ私と同い年なのだが年上にも当たりが厳しい。


「おっせーよ!長老が永らくお待ちだろうが!」


 この有り様である。おまけに口が悪い。長老とは飯波さんのことで人によって色々愛称の付け方が違うのだ。


「お二人ともこんにちは。私のことはどうかお気になさらずに。」


「さすが匠 ( たくみ ) !気前が違うわ!」


 ペコリと頭を下げた飯波さんの向かい側に五十嵐さんがドスンと座る。それに習い私も五十嵐さんと長谷川さんの間の空いてる席に座る。


「さっき吉井さんが来て、大西さんを病院に迎えに行くって言っていたからそれまで寛いでいて。だそうよ。」


 吉井さん?なんかどこかで聞いたことある名前だ。


「病院!?長谷川さん。大西さんどこか悪いんですか?」


 身を乗り出すほど驚いた五十嵐さんに長谷川さんもビクっとなる。先日の五十嵐さん話を聞いた後ではこの反応は当たり前だ。


「私も聞いたんだけどそんなに大事はないそうよ。」


「頭でも悪いんじゃないか?それかスケベでも直してもらってるんだろう。」


 静川さんは頭の後ろで手を組みながら言う。この人の敬意の優先度がさっぱりわからない。


「いやいやお前と一緒にすんなよ。」


 五十嵐さんは呆れたように首を振った。


「ばっ、バカ!私はスケベじゃねーよ!!」


 顔を真っ赤にしながら静川さんは言い返しているが私はツッコミどころが違うと思う。


「はぁー、やっぱバカじゃん。」


「二人とも喧嘩はよそうね!仲良くしましょう。」


 五十嵐さんが静川さんをあしらって長谷川さんが二人の仲を宥める。場所が変わっただけでいつもの光景に少し安心する。いつの間にか二日酔いの症状も緩和され、落ち着いたからか猛烈な便意に苛まれた。


「あのー、漫才中すみません。お手洗いはどこでしょう?」


 静川さんに睨まれたが私はあえて気づかないふりをした。


「部屋を出て右の通路を突き当たった所にあるわ。案内しようか?」


「いえ、一人で行けますので大丈夫です。それとこの場に長谷川さんがいないと収まりが付きそうにないですしね。」


 私はニッコリ笑顔で退室した。後ろから静川さんの怒号が私に向けられたが扉が閉まってからは聞こえなくなった。さすがの防音性だ。

 廊下の装飾も大したもので飾られている絵画は恐らく有名なものだろう。

 少し歩いた先にトイレが見えたので入っていく。中も見事なものだがあえて詳細は省こう。都会でもここまでキレイなトイレは見たことがなかったので少し落ち着けない。用を足した後トイレを後にする。トイレの扉を出たときにまた運命の悪戯にあった。


「あっ。ごめんなさい。旅館の方ですよね。どうぞごゆっくり。」


 勢いよく出て鉢合わせになりそうだったのは南さんだった。会釈されそのまま手すりずたえに歩いて行ってしまう。


「南さん!こんにちは!」


 声が私だと気づいたのか南さんは勢いよく振り向いて手すりから手を離しよたよた歩きで近づいてくる。


「え?えっ!?彼方さん?彼方さんですか?」


 私のところまでたどり着き私は両手で優しく南さんの手をとった。


「はい!俺ですよ。ごめんなさい。仕事のことを話していませんでしたよね。私もここで南さんに会えてびっくりしています。」


 五十嵐さんから前もって聞いていたので予想の範囲内だがまさか本当に会えるとは思っても見なかった。


「彼方さんはおじ様の旅館で働いていたんですね。お家で会えるなんて私もびっくりです!普段旅館の方が来るときは極力二階のお部屋から出ないようにしているんですけど今日はお茶を飲みに降りて来て正解でした!嬉しい!」


 不意の南さんの笑顔にドキッとしてしまう。距離が近いせいもあるがこのまま抱き締めてしまうか理性と相談する。


「あ、でもお仕事で来ているんですよね?このまま引き留めてしまうのは私のわがままになっちゃいます。私は部屋に戻りますね。」


 正論を言われて私は我に戻った。会う予定はなかったがとっさのことで思考回路が上手く動いてくれない。会えた嬉しさで会議のことを忘れてしまうほどだ。しかしこれでは南さんにも迷惑になってしまうし明日はあの場所で会う予定があるのでここは我慢処であると結論した。


「そうですね。また明日ってことで。階段までご一緒しますよ。」


 私はおもむろに南さんの手を握り先導する。


「ありがとうございます 。... 明日が楽しみです。」


 手を握ったからか南さんは恥ずかしそうに俯いて返答した。

 私はこの時間が続いて欲しかったが楽しいことはすぐ終わってしまうものだ。階段につくと南さんはペコッと礼をして途中まで上がり私の方に振り返った。


「彼方さん。また明日!あの場所で待ってますね。」


「はい!明日は一日晴れみたいです!必ず行きますので待っていてください。」


 そう言うと南さんは笑顔で手をふりながら階段を上がっていった。しばらく余韻に浸っていると後ろで玄関の扉が開いた。そこから六十歳くらいの白髪で高身長の男性と、三十歳くらいでキリッとした顔つきのスーツ姿の女性が入ってきた。


「ん?誰だね君は?盗人かね?」


 いやに落ち着いた声でとんでもないことを言われた。まぁ初対面の男が家の玄関にいるのもおかしな状況だが。


「いいえ大西様。これは新入社員の彼方 光です。直接会ったことはありませんが写真で一度だけ見た覚えがあります。しかし彼方とやら。第一印象はいいものではないな。私は応接間で待機しろと長谷川に伝えたつもりだが?人様の家でフラフラするものではない。すぐに会議を始めるぞ。待ってる者にもそう伝えろ。」


 女性はメガネをくいっとあげて淡々とその場を整えた。恐らく白髪の男性が大西社長で、凛々しい女性が支配人だろう。

( うちの支配人は女性だったのか。 )


「大変申し訳ありませんでした。すぐに戻ります!」


 最悪のタイミングと初対面で完全に出鼻を挫かれた私は肩を落としながら応接間に戻った。

 その後会議は支配人進行の元テンポ良く進み夕方になる前に終わった。


「では各自確認事項を現場に戻って各担当ごとに引き継ぐように。報告は私のパソコンにメールで構わん。以上だ。解散。」


 普段会わない人が仕切っているのは少し違和感を感じたがものすごいリーダーシップだった。各担当の人も頼りになるが上には上がいるということを改めて認識した時間であった。


「ふぃーお疲れさーん。長い間座っててケツが痛いぜ。」


 五十嵐さんもそうだがみんな仕事となると目の色が変わる。この切り替えの早さには関心する。


「なんだ?蹴りいれて感覚なくしてやろうか?」


「静華ちゃん。女の子がそんなこと言うものじゃないわ。それと静華ちゃんが蹴ったら五十嵐くんは卒倒しちゃうわよ。」


 長谷川さんと静川さんは笑っているが五十嵐さんの顔が青くなっていたのを私は見逃さなかった。そして飯波さんはいつの間にかいなくなっていた。きっと先祖は忍者か何かなのだろう。


「彼方。お前は残れ、話がある。」


 支配人が私を引き止める。私は生きた心地がしなかった。他のみんなは小声で頑張れーなどと言い部屋を後にしていく。なぜ呼ばれてるのか思い当たる節があるため怒られる準備を心にさせた。


「大西様。後程お部屋に参りますのでお部屋でお休みを、後のことはお任せください。」


 支配人はテーブルから少し離れた場所に座っていた大西社長に向かって淡々と話している。


「いやいやいつも頼りになるねぇ~。お言葉に甘えさせてもらうよ。彼方くんも頑張ってね。」


 大西社長は不適な笑みを残してその場を立ち去った。どうやら私はみんなに同情されているらしい。時間よ止まれ!そして部屋には私と支配人だけとなった。


「さて、なぜ呼ばれたか心当たりはあるか?」


「はい。先程の失礼のことです。人様の家を無断で徘徊したことを改めてお詫びいたします。大変申し訳ありませんでした。」


 私は深々と頭を下げた。


「ん?あぁ、あんなことはもういい。次からしなければな。だが今呼び止めたのはそんなことじゃない。」


 さっきのことではない?逆に思い当たる節がなくて焦る。


「すみませんでした。しかしそれのことでないのであれば思い当たる節がありませんが ... 。」


「まぁ無理もないか。私とは初対面だしな。今回呼び止めたのはお嬢様のことだよ。」


 !?

 お嬢様とは恐らく南さんのことだろう。しかしなぜ支配人から南さんの話が出てくるのかがわからない。しかも私と南さんの面識がある前提で話している。


「お嬢様は最近よく笑われて明るくなってきている。私が来てから今まではそんなことはなかったのだ。聞いてみると親切な人と山の広場で話していると言っている。それがほぼお前がここに来てからの時期と重なるわけだ。それと、今日玄関にいたのはお嬢様とお屋敷の中で会ってあそこまで誘導していたからではないか?そうでなければ本当にお前の社会性がないだけになる。しかし今日の会議を見て、そんな人物に見えなかったから前者の可能性を押してお前を残したのだが、違っていたか?」


 なんという洞察力だ。半ば強引な結びつけはあるにせよ事実全くその通りであった。


「恐れ入りました。別に隠してたわけではありませんがその通りです。しかし支配人と南さんはどの様な関係なんですか?」


「お前は私の入れた紅茶をおいしいと喜んで飲んでいたそうだな。それは嬉しいことだ。」


 !!

 気づくのが遅かったが今になって理解した。南さんの紅茶を入れていた吉井さんとは今まさに目の前にいる吉井支配人のことだったのだ。私はてっきりお手伝いのおばさんか何かとその時は思っていたがどうやら違っていたらしい。


「しかしな、今度は自分も紅茶を入れてくると豪語したらしいな。それは出来ればやめてほしい。その ... あの紅茶は私とお嬢様の唯一の繋がりのようなものなんだ。お嬢様の為に独自で研究を重ねて調合した秘伝の茶葉を使っている。そこらの市販で売っているものにひけはとらないとは思っていても 、もしもということがあるからな。」


 あのキリッとした顔つきとはうってかわって少し恥ずかしそうに微笑んでいる。それほど吉井支配人にとって南さんは大切な存在なのだう。


「吉井支配人は南さんのことが大好きなんですね。」


「んな!まぁその表現は率直すぎるが身近な存在だとは思っている。私は身寄りがほとんどいないからな。そんな私に普通に接してくれるお嬢様に不便がないようにと考えてるつもりだ。っと、なに私は初対面のお前にこんなことを言っているのだろうな、恥ずかしい。」


 吉井支配人はまた恥ずかしそうに顔を反らす。


「いえ、別に変なことではないですよ。南さんも吉井支配人のことを楽しそうに話しています。南さんも身近にいる吉井支配人のことをよく思っていると思います。」


 吉井支配人はどこか安心したような顔をした。


「そうか。お前はお嬢様をどこまで知っている?」


 私は五十嵐さんに聞いた話を極力晶さんのことには触れずに話した。私の南さんへの気持ちも濁しながら。


「なるほど。よくわかった。お前が不思議な力を持っていることも 。誠がそれを他人に話すとはな、私もお前を信用しよう。どうやらお嬢様にはお前が必要なようだ。フッ、それはお前も同じか。」


 この人と話しているとなんでも見透かされてしまうらしい。正直恐い。


「だが紅茶の件は譲れんな。仕事に関してはあまり口出ししないがプライベートはそうはいかない。お嬢様に関わっていれば尚更だ。そこは理解してもらおう。」


 会議の時の印象とは対照的にこうして話しているとただ人情味が強い女性に見える。


「吉井支配人。引き下がれないというわけではなくて、その、個人的に紅茶の入れ方を教えていただきたいのですがよろしいですか?あの味が忘れられなくて ...。」


「ん?なんだ?お前も気に入ったのか。まぁ好かれて悪い気はしないが、ただ教えるにしても今日お前はまだ仕事が残っているだろう。私が私情で引き留めてしまった分時間もロスしていることだし、日を改めて。ということでどうだ?」


 私のことを気にかけてくれていることに頭が下がる。確かに私のお願いも私情以外の何者でもなければそれで旅館の人に迷惑をかけるわけにもいかない。むしろ支配人の時間を頂けるだけでありがたい話だ。


「はい!お願い致します。また日程は後日。それでは私もおいとまさせていただきます。今日はお疲れ様でした。」


「うむ。私はこれから用事があって車で送れないが一人で帰れるか?」


「お気遣いありがとうございます。大丈夫です。一人で帰れます。」


「よろしい。玄関に着いたら門の横にこちらからしか開かない扉がある。そこから出るといい。ではまたの機会に。」


 そう言うと吉井支配人はすたすたと奥の部屋に消えていった。見えなくなるまで礼をし、このまま旅館に直行する。

 しかし帰りの道は険しく改めて早く車を買わなければと実感した。

 

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