4-12

 ワイシャツの胸元に、きゅっとリボンを締める。調理部部長は、戦闘服たるエプロン姿から、平時の姿――彼にとってはこれも戦闘服かもしれない――である男子制服とリボンのいで立ちに戻った。江森さんの主張を知ったせいか、彼のリボンも悪くないように思えてくる。案外、似合ってしまうのだ。

 事の経緯について残されているのは、今年度以降。江森さんが留学に出かける前後のことだ。

「校則違反を繰り返す江森さんが留学に行けたのは、やはり、成績が優秀だったからなのですか? 少ない出席日数を成績でカバーしたと聞きました」

 彼は頷く。

「天保側の推薦は成績でクリアした。留学先の学校は、むしろ受け入れに積極的だったそうだ。配慮を必要とする生徒に居場所を提供することにやぶさかでない方針らしい。天保学園としても、上手くいっていない生徒に刺激を与えるため留学を勧めることがあるそうだ」

 そのような情報は内々に扱われたはずだから、桜木先輩は、当事者たる江森さんや、応援してくれている鮎川先生から話を聞いていたのだろう。

「リボンを付けたり、校則改正を要望する投書をしたり、桜木先輩が江森さんを代弁するようになったのは、江森さんが留学に出かけるより前、今年の一学期ですよね?」

「ああ、そうだ。代弁する、なんておこがましい態度ではないつもりだが」

 そうだとすれば、訊いておくべきことは残りひとつ。

 そろそろ、きょうのこの会もお開きになる。


「では、先輩の計画はいつ達成されるのですか?」


 いつまで抗議を続けるのか?

 望み通り校則が変更される日まで? 江森さんが帰国するまで? 江森さんを虐げた人間が心を改めるまで? 達成された瞬間がわかる条件もあれば、わからない条件もある。仮に達成できなかったとしたら、辞め時を失ってしまうかもしれない。

 桜木先輩にとって、最も問われたくない質問のはずだ。

 だから、彼の性格はわたしの問いを誤魔化そうとする。

「抗議とは、そういう性質のものではないだろう?」

 いつものように、「問いたいことは問われたいこと」と言ってわたしに問い返さない。わたしが率直に答えて述べる意見が、彼にとって不都合だからに違いない。

 彼の言う通り、抗議に時期を区切るのは間違いとも考えられる。ひとつのゴールを迎えたくらいでは、いつか問題が忘れられて悪い状態に逆戻りする。それに、不平を言うことすらできない状況に比べれば、批判すべき相手がわかっていて、意見できるだけでも大きな意義がある。さもなければ、誰が本当に抗議できているのか。

 しかし、わたしは確信して言うことができる。

「先輩は、いまのままでは、問題を先送りしてしまっていると思います」

 わたしがずっと気にしてきた、桜木先輩の言葉――「理解してもらうには時間がかかる」

 否定はできない。問題の根幹には彼らの偽装が存在しているし、周囲の噂や偏見によって複雑化してしまった経緯もある。無理解なまま冷やかしで協力されては、ろくなことがないだろう。

 彼はわたしを信頼してくれた。わたしも、元来の気質ゆえ調べてみたいと思った。だからこそ、こうして認識を共有するに至っている。

 もし、わたしがこの問題に興味を示さなかったら?


「勇気を出して、仲間を作りましょう」


 彼は口を歪めて、わたしをじっと見つめている。

 わたしも彼を見つめている。ここまではっきりと視線を合わせてしまうと、そこに親愛の情やリラックスした気分は生まれない。代わりに、緊張と対立が想起される。

「正直に言うと、先輩は四面楚歌です。これでは、いつまで経っても校則は変えられない。ひとりで抗議していても、事は進みません。協力を求めるか、せめて広く意見を発信すべきです。それだけなら、いま味方が足りない先輩にもできます。できるのにやらないなんて、もったいない」

「…………」

 唇を結んだまま、言葉を選びかねているらしい。弁の立つ彼を封じ込めることができたのなら、ちょっと気分がいい。彼も結局、完璧に理屈を固められているわけでもなければ、それを超える強い覚悟や勇気があるわけでもない。

 当然、彼にできない覚悟をわたしができるとは思っていない。いくつかの偶然を重ねなければ、わたしも理解者にはなり得なかった。江森さんに対する思いの強さなど、比べるまでもない。

 それでも、わたしがここで「他人事だから」と引いてしまっては、それこそもったいないことなのだ。

 再度念を押す。


「仲間を作りましょう。わたしが最初になります」


 先に視線を切って嘆息したのは、先輩のほうだった。

 その表情は、不恰好に歪んでいる。決して清々しいものではない。規則を破り、強気の抗議を続けてきた人物にしては、とても弱々しく、疲れ切っていた。悔しかろう、出会ったばかりの後輩から、自身のパフォーマンスを批判されたのだ。

 そうなってからも皮肉を振り絞るところが、彼らしいところなのかもしれない。

「葉山は最初じゃない。栞里先輩も、鮎川先生も味方だ」

 失笑。

 そうだった、と笑うことが一番だった。下手にものを言うと、訊き返されてしまう。



 そのとき、がらりと調理室の扉が開く。

「その意気だ、何をするにもまずは仲間集めをしないとね!」

 なんとも図ったようなタイミング。

 髭面に眼鏡の個性的な家庭科教師――鮎川先生のお出ましだ。



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