4-11

「じゃあ、江森さんの問題は桜木先輩がでっちあげたのですか!」


 驚いて大きくなったわたしの声に、桜木先輩は眉を顰めて顔を背けた。彼が語っているうちにパエリアをすっかり完食し、いまはふたり並んで食器を洗っている。

「まあ、大雑把に言うとそういうことになる。僕が教唆犯で、江森が実行犯だ」

 江森さんが桜木先輩の提案に乗って男子制服の着用を申し出たのは、男子制服を着たほうがカワイイと感じたから。

 確かに、痴漢の被害もあって自身の身体を性的対象として見られることに嫌悪を感じていたのかもしれない。ただし、それはきっかけにすぎず、性自認や異性装といった悩みを江森さんは本来持っていない。あるいは、さほど深刻に自覚していなかった。

 そのような人物が悩める人格を装って特例を申し出る――町田先輩の言葉を借りて悪い言い方をすれば、お洒落をしたいというワガママそのものだ。

「でも、上手くいくものなのですか?」

 所詮は子どもの嘘である。デリケートな心のはたらきを、どこまで演じることができるだろうか。

「そのために工夫したし、運よく進んだこともあった。この企みがもう一〇年、いや、数年でも早かったら、失敗していただろう。

 根拠にしたのは、変わったばかりの校則だ。やむを得ない事情がある場合には、特別な配慮として異性の制服を着用できる。この『やむを得ない事情』として、江森は身体と心の性が一致していないと主張することにした。

 この条文があっただけでも助かったが、もう少し学校側の考えが古ければ、『証明しろ』と言われてそこで手詰まりだっただろうね。医学なのか何なのかよく知らないけれど、客観的な証拠なんて、嘘なのだから用意できるはずがない。

 そこで、繊細な心の問題だと認識してくれる先生を探した。根掘り葉掘り訊かれたら困るから。学校の広報とか、職員室での評判とかを、わかる限りで調べた。やはり若い先生や専門の先生のほうが、理解が進んでいるね。鮎川先生や槇原先生、養護の先生を頼ったら、応援してくれた。

 二学期まで時間はかかったが、男子制服の着用に漕ぎつけるまではスムーズだった。そこまでなら、作戦は上手くいっていた」


 そう、問題はこれで終わりではない。


 性的少数者を「偽装」する――といっても、あながち嘘ではない――ことによって、江森さんは制服の異性装を認められた。動機や手段などの途中経過はともかく、結果を見れば丸く収まろうとしていたはずだ。

 それがどうして、江森さんは男子制服の規則を守らずリボンを着用しはじめ、学校や教員と対立し、不登校になり、さらにその後、桜木先輩が江森さんの服装に倣うようになったのか。

「江森は男子制服を着るようになってから、通学時間はかなり気が楽になったらしい。遅刻も欠席も減って、ひどかったときと比べれば元気になった。そりゃ、スラックスを穿いたくらいでは、女に見做されないわけではなかったろう。男子制服が痴漢を防止したのか、偶然にも痴漢に遭わなかったのか、本当のところはわからない。それでも、狙われるとわかりきっているスカートを穿いていないだけ、本人としてはマシだったそうだ」

 嘆息する。

「だから、リボンを付けたいと言い出したときには驚かされた」

 町田先輩曰く、江森さんは男子制服を「カワイくない」と不満を述べていたという。

「では、リボンに関しては江森さんの独断だったのですか?」

「それがそうでもない。僕が江森に唆されたともいえるし、江森が僕に唆されたともいうことができる」

 またややこしい言い方をして。

 苦虫を噛みつぶす表情は、苦労を認めてほしいと甘える顔にも見えた。

「江森がそう主張するのも当然なんだ。もとはと言えば、男子制服を着たかったわけではないからね。しかも、男子制服への変更の折に紺のブレザーを諦めさせられていた。当然、心身の性が一致しない人格を演じるのも負担だったろう」

「不満ばっかりですね」

「その通り。江森はスラックスのほうがスカートより似合うと確信していて、ネクタイよりリボンのほうが似合うとも確信していた。……いや、似合う、似合わないで議論するのは無粋だね。紺色のブレザーとスラックス、大きなリボン――このカスタマイズこそが、江森のしたい恰好であり、江森の思う自分らしいスタイルだったんだ」

「それに気がついて、先輩は……」

「ああ、協力することにした。乗りかかった舟だ、引くに引けない気持ちもあった」

 忘れもしない、彼と出会った日に彼が問うたこと。

 どうしてわたしは、リボンをしているのか? そういう校則だから? では、天保高校にもしも制服がなかったら? 女子でもネクタイを選択することができたなら? これらの問いは、彼が江森さんから突き付けられた問いでもあったのだろう。

 なぜ、男女で服装が異なるのか?

 なぜ、制服というルールがあるのか?

 なぜ、自分がしたいと思う恰好をできないのか?

 なぜ、自らの責任と判断で服装を選ぶことさえ許されないのか?

 なぜ、望んでいる服装になるには、特別な配慮を受けなくてはならないのか?

 なぜ、特別な配慮を受けるために、自分の性質をさらけ出さなくてはならないのか?

 悔しいことに、自分を納得させる回答は未だ見つけられていない。


「江森は闘うことを選んだ。絶対に認められなかったし、何度も挫けたけれど、自分の主張を無理やりにでも通してやろうと息巻いていた。そして実際に挑んでいく勇気は、とても真似できない。最後には学校に来るのも嫌になってしまったが、僕は、そのやり方を尊敬している。町田も僕も、正攻法を諦めている意味では同じだが、抗議し抵抗することに、僕は抵抗を感じていない」



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