Episode 3.5

3.5-1

「理解してもらうには時間がかかる」


 一か月前に聞いた、桜木先輩にしては煮え切らない言葉。

 わたしの胸の中に疑問のままで置かれていた。彼のリボンに関する噂は様々で、わたしも彼と出会ってからようやくそういった噂に気がつくようになったけれど、どれも彼の言葉を裏付けるように曖昧で一面的なものばかり。黙って噂を聞いているだけでは、胸の引っ掛かりが気持ち悪い。

 無知なわたしたちと対比されていたひとりが、目の前の榊先輩である。リボンを気にも留めない彼女は、わたしの疑問を解消する近道であるはずだ。

「なるほどねぇ、恵都のリボンかぁ……そりゃ気になるよね」

 榊先輩は綺麗に手入れされた髪と指とを絡ませつつ、視線を窓の外へ飛ばした。暗くなり出した外は居酒屋チェーンの看板の明かりが眩しく、ベッドタウンの駅前にありがちな、不潔さが少し混じった退屈なにぎやかさを感じさせる。好んで観たいとは思わないその景色に目を向けるほど、話し上手の榊先輩が言葉を詰まらせている。

 それからタンブラーを一瞥すると、嘆息した。


「参ったなぁ、リボンの理由を葉山ちゃんに話さないよう、恵都から言われているんだよねぇ」


 やたらと間延びした口調には、彼女の悩ましい心情が混じっているのだろうか。

「桜木先輩が、わたしに話すなと?」

「うん、斉木くんの件は葉山ちゃんだけでなく、恵都にも借りを作っていたからね。それにかこつけて、釘を刺された」

 そういえば、彼は貸しにするようなことを言っていた。

 しかし、そんな経緯はこの際どうでもいい。その理由を問わねばならない――どうしてわたしは、彼のトレードマークたるリボンについて秘密にされていなければならないのだろう。彼とはまだ短い関係で信頼関係が成り立っていないとしても、榊先輩に話を付けてまで秘匿にするなんて並の秘密ではない。

 榊先輩に問うてみると、「あたし個人の見解だけど」と注意深く前置きした。

「葉山ちゃんが気に入らなくて話したくないわけではないと思うよ。むしろ、恵都もそれなりに葉山ちゃんを気に入っていると、あたしは思っているから。なんたって――」

 お喋りなのは彼女の長所であり短所である。本人もそれを自覚しているから、時に彼女は、意図して話を遠回りさせているように思う。視線で牽制すると、わたしの直感は正しかったらしく、彼女は話をショートカットした。

「ぶっちゃけると、デリケートな事情と言えばそうなんだ。これが彼自身の問題ではないから面倒くさい。恵都も、あたしも、鮎川先生やほかの人だって、主観の混じった物言いしかできない。そういう立場で迂闊なことを話してしまうと、葉山ちゃんはもちろん、本来の利害関係者のためにならない」

「じゃあ、桜木先輩は誰かのためにリボンをしている、と?」

 先輩は両手の平で口を塞いで「おっと、喋りすぎた」のサイン。

「このくらいのヒントなら恵都にも許してもらわないとね、肝心の中身を話したわけではないんだから」

 彼女の見解が正確なら、少なくともわたしが彼の不興を買ったとか、不信感を抱かれたとかいう心配はないらしい。とはいえ、信頼されているとも言い難く、榊先輩と対等の地位を望まれていないようだ。それも仕方がない。彼のリボンは、彼自身ではなく、彼と関わりの深い「誰か」に端を発する問題なのだから。

 ということは、と改めて思う。

「踏みこまないほうがいいと考えているのですか?」

 わたしの問いかけに、ふう、と息を吐く。先輩はおもむろにタンブラーに手を伸ばしかけたが、それを引っこめる。「あたしの見解だけど」という繰り返しのフレーズをも同時に呑みこんだのだろう。

 当意即妙、いたずらっぽい微笑とともに質問を重ねられる。

「妙に主語がぼやけた質問じゃない?」

 誰かに訊くことは、自分が訊かれたいこと――共通の知り合いの口癖だ。

「葉山ちゃんの考えは?」

「知りたいです、できることなら」

 たった一か月の付き合いではあるけれど、何も知らないのとは違う。リボンを付けた彼と出会い、彼と生徒会長との関係を目の当たりにし、独り歩きする噂に物寂しさを覚えたいま、彼をただの他人と思うのは難しい。

 興味本位なのは否定しない。でも、その興味も彼を知らないままに噂話で悦に浸るのとは違うと思う。

「でもねぇ」

 タンブラーを空にしようと傾ける榊先輩は、私から目を逸らしがちに言った。

「あたしに訊いても、ダメなんだよねぇ」



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