3.5-2
「よし、これで全部だね」
担任教師がとん、とわたしから受け取ったA4用紙を束ねる。
毎週提出を求められる古文の宿題、中間テスト前から五枚も溜めこんでいたプリントだ。ここまで累積したのは、天才の巣窟ゆえに落第生も少なくない天保といえども、わたしくらいだったそうだ。土曜日の放課後、我慢ならぬと槇原先生がわたしを教室に留まらせ、マンツーマンの指導で提出へと漕ぎつけた。
自力で解けないわたしを先生が助けながら一時間半、お互い息の上がる思いだ。
「提出期限を守ってくれないと、先生も結構ショックなのだけれど。担任として授業がなくても顔を合わせるわけだし」
「あっハイ。すみません」
やらなくていいと思っていたわけではない。宿題がやるべきことだとはわかっている。毎週、やらなければならないと向かい合った挙句解くことができずに、匙を投げてしまった積み重ねである。
自己ワーストの成績を叩きだした中間試験のころは、確かにひどかった。文化祭後のたるんだ教室で、ゲームのイベントや新刊の発売日が重なるなどしたせいで、どうにも勉学に手が伸びず、まるで五月病が遅れてやってきたかのようだった。
「やるべきことはやってくれないとね。親御さんからも聞いているんだからね。葉山さん、部屋で夜更かししながらゲームと漫画とアニメをローテーションしているんだって? 好きなものを責める気はないけれど、体調や成績も慮ってくれないと。特に葉山さんは、できるのにやっていないだけなんだから、もったいないよ?」
「はあ……」
没頭しているわたしが一〇〇パーセント悪いのだから、反論のしようがない。お母さんが先生を心配させる口ぶりで告げ口していたのは不満だが。
「それはそうと」お叱りの調子は引っ込めて、槇原先生は声色を明るくした。アラサーでも現場経験の浅い彼女は、天保の教師としては優しすぎるきらいがある。「ごめんなさいね、用事がないからって長々と引き留めて。大丈夫だった?」
「いえ、平気です」荷物をまとめつつ応じる。「どうせ、帰宅部なので」
わたしの言葉に、ああ、と槇原先生が思いがけず反応した。
「鮎川先生から聞いたよ、調理部に顔を出しているんだって?」
ぎくり。
決してやましい話ではないのに、意味もなく胸がきゅっとする。
いや、考えてみたらやましいことに思えてくる。一年生の女子が、リボンを着用する二年生男子――先生たちから言わせれば「歩く校則違反」――とつるんでいるのだ。もしかすると、槇原先生はわたしの悪い交友を咎めたいのかもしれない。
「はい、何回か」
咄嗟に吐ける嘘が思いつかず、曖昧に返事をしておく。
「入部を考えているなら、いつでも入部届を持ってきてね。届出には担任印も必要だから」
「…………」
「どうかした?」
「あ、いえ。なんでも」
変に意識し過ぎていたか。
桜木先輩は校内では浮いた存在で、鼻つまみ者かもしれないが、わたしまで思い込むことはない。
それに、せっかく話題に上ったいまをチャンスと思うべきだ。きのう、榊先輩が意味ありげに「あたしに訊いても」と言っていたではないか。訊く相手は、桜木先輩本人を例外としても、榊先輩だけではないのだ。
「調理部、どうして部員がたったひとりなんですか?」
調理部を知っていれば、桜木先輩を知らなくても当然に思う疑問。ふと気になって尋ねたふうを装って、教室の明かりを消す先生に尋ねる。
「桜木くんから聞いていないの?」
やはり、彼のことを知っているか。
「その桜木先輩自体不思議な人っていうか。あんな恰好で、鮎川先生も何も言わないし。そのせいで部員がいないんですか?」
「ああ……そうね」
先生は、教室を出るようわたしに視線で促す。教室を出、施錠するあいだ時間を稼いで、生徒の踏みこんだ質問に返すべき適切な応答を考えるのだろう。
廊下に三歩踏み出して振り返ると、彼女の表情は浮かなかった。
「何はともあれ、違反した服装は指導します。すぐには直してくれなくても、粘り強く。彼が自分の行いに自分で気がついて、ルールを守ってくれるまで」
でも、と大きな嘆息が続く。
「桜木くんは何かを誤解しているし、周りの生徒も先生も誤解していると思う。変に思うのも無理はないかもね、明らかに『特別』になってしまったから」
そう言い残すと、彼女は腕時計ちらと見ながら、そそくさと別れの挨拶を述べて去っていった。
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