3-11
「斉木くんはお母さんが来るか否かを気にして、勝ち負けを蔑ろにしてしまった。エースとしてそれを悔やんだ結果、チームメイトに対して申し訳なくなってしまって、コーチとの対立を言い訳に復帰を拒否した――そういう顛末だったわけだねぇ」
そう言って、榊先輩は今回の騒動を総括する。
「でも、恋人の説得もあって気分が晴れたらしいよ。正直に事情を話して、チームに復帰できるよう顧問と相談を始めたとも聞いた。丸く収まる方向に向かうといいなぁ」
たぶん、丸く収められる。コーチも斉木さんも、向いている方向は違っているものの、頭が固くなっているだけなのは同じだ。顧問の先生も協力的なのだから、「内側」のささやかな問題として静かに萎んでいくだろう。
ただ、「外側」の論争がどうなるかはわからない。
隠し球を巡る論争は、良くも悪くも収束に向かっている。学校のリリースが効果的だったらしく、隠し球を肯定する姿勢をはっきりと打ち出したこと、部の活動に支障が出ていると伝えたことなどが不要な騒ぎを控えさせた。
批判の趣旨はわかる。隠し球というプレーは、相手を出し抜く技術が必要なのも否定できない。高校生には、勝負にこだわるより大切にすべきことがないとも言えないだろう。純粋な動機でスポーツに汗を流す――なるほど、わたしにはできない美しく素晴らしい青春だ。
斉木さんはどうだろうか?
彼は隠し球を否定したのだから、正々堂々としたプレーを肯定する側を喜ばせるだろう。しかし彼は同時に、親を想う心からチームを裏切り、スポーツにあるまじき敗退行為を試みた。そのような行為を、人々はスポーツマンとして肯定的には考えない。では、彼を正しく批判できるのは誰だろうか、擁護できるのは誰だろうか。
勝負よりも清らかさを求める声は、隠し球を用いて勝利しようとしたどの部員よりも、隠し球に与せずとも清らかではいられなかった斉木さんを孤独へと貶める。
「外側」の問題は次第に風化していくだろうし、「内側」の問題として処理されればこれ以上騒ぎになることはない。あとは斉木さん本人がどれだけ気に病んでいるかの問題なのだけれど、こればかりはわたしには知りようがない。でも、それで終わってしまっていいのかもわからない。
誰も気にしない問題をひとりで悩めばひどく寂しい。
論点が食い違えば孤独な戦いを強いられて息苦しい。
こんなことを気にしているなんて知れたら、また笑われそうだ。
「……斉木さんには味方がいます。たぶん、大丈夫です」
口に含むチョコレートケーキは、ブラックのコーヒーの刺激を無に帰すほど甘ったるかった。
それで、と榊先輩が妙にいやらしい表情で話題を転じた。
「今回の借りはどうやって返そうか?」
唐突な提案に、わたしはフォークを咥えたまま「へ?」と漏らしてしまった。まるで、去年まで着ていた洋服を捨てた、とお母さんから出し抜けに言われたときの気の抜けた返事かの如く。
榊先輩のタンブラーでは、生クリームがコーヒーの海に沈没しようとしている。
「だって、貸しにしていたでしょ?」
「このケーキがお礼だったのでは?」
「これはご足労ありがとうございます、の気持ち。お話しやすいように、でもあるよね。それとは別に借りは返さなきゃ。あたしが言うんだから、葉山ちゃんにはまだお返しを受け取る権利があるんだよ」
強引な論理を通してでもわたしに有利な条件を提示しているのだから、わたしは黙って受け取るほうが正しい礼儀なのかもしれない。そう思えてしまうところが、榊先輩の術中にハマっている証左とも考えられるけれど。
何でもいいよ、と彼女は頬杖をついてニヤニヤ。あげる側が喜んで、もらう側が困惑するあべこべな時間は、確かに、ケーキとコーヒーがないとやっていられない。ありがたく、フォークを舐るように味わう。
糖分補給をしつつ、何を返してもらおうかと考える。妥当な落としどころを見つけたい。モノをもらうのはさんざん奢ってもらっておいて厚かましいから、何かをしてもらうのがちょうどいいだろうか。受験生の先輩でも迷惑にならない、簡単なこと。勉強でも教えてもらおうか? いや、それはわたしが疲れる。調理部の腕を見せてもらおうか? いや、それではモノをもらうのと同じだ。
カップを口元に近づけ、ふう、と息を吹きかけたところで思い出す。熱いものを気にするわたしの猫舌は、ついさっきグラタンのために火傷した。その作り手たる調理部部長の顔が、ゆらゆらと脳裏に浮かんできたのだ。わたしが野球について調べてきたことを、面白がってからかったときの顔で。
そうだ、その手があった。
「じゃあ、桜木先輩がリボンを付けている理由を教えてください」
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