3-7

 チーズが香ばしくなってきた。調理室に空腹を誘う香りが漂う。

「とりあえず、この動画に変なところはありませんでしたか?」

「いや……ないわけではないが、手掛かりが足りないよね」

 桜木先輩はわたしの質問に首を捻った。隠し球のシーンをしっかりと観られるのはいいが、ボールに注目しているせいで、今回わたしたちが関心とすべき斉木さんのシーンが多くない。

 ひとまず動画を観てしまおう、と話して、次の動画を再生することにする。今度は斉木さんにフォーカスした動画なので、期待が持てる。凝った編集もなされているそれは、最終回以前の投球も含まれている。再生位置を後半に合わせて、斉木さんの最終回のピッチングが再生されるのを待った。



 最終回のマウンドに上る斉木さんの表情には、どこか余裕さえあった。

 この動画を撮影した人は、ネット裏に座席を確保していたらしい。グラウンドより少し高い位置ではあるが、ズームにすれば斉木さんの目線も感じられるような正面のアングルで、彼の逞しい投げっぷりをダイナミックに撮影している。金網が映ってしまうことが玉に瑕だ。

 斉木さんの表情は、先発投手として長いイニングを投げてきたとは思えない。守備位置に就く仲間と短く言葉を交わして、ちらりと笑顔を覗かせる。日焼けした肌に白い歯のコントラストは、清々しいスポーツマンとしての彼を映しだす。

 学校を挙げての応援が内野席に集まっているので、ネット裏は個人観戦が比較的多いらしい。先刻の動画とは違って、別の観客の話し声は入ってこない。よくよく耳をすませば、撮影者の衣服が擦れる音や、息遣いらしき音に気がつく程度だ。

 外野の電光掲示板がちらりと映りこむ。時刻は、二時半ごろだろうか。

 最初の二者連続三振の様子は、アングルが良いだけに大迫力だ。左腕がしなるように振り抜かれるさまや、威力と球速を感じさせるストレート、変化球の曲がりなどが観る者を魅了する。いまにも画面から飛び出してきそうだ。

 代打を送られる場面などは編集が入って短縮されているが、ヒットを許した場面の投球もしっかりと収められている。

 かつん、とバントの構えから金属バットがボールを跳ね返す。斉木さんがマウンドから降りてそれを追おうとするが、それより先にサードが素手でボールを握り、身体を捻って一塁へと送球する。セーフだとわかると、バッテリーと三塁手との三人が揃って身体を仰け反った。

 ぱっと画面が切り替わると、次の打者との対戦がすでに始まっている。

 キン、と跳ね返された鋭い打球に、斉木さんが虚を突かれた表情で振り返った。打球方向を確認すると、直ちに守備の連係へと意識を変えて、三塁方向へ走り出す。それまでほぼ固定アングルだったカメラも、それを追った。

 いよいよ、例の隠し球のシーンだ。

 この撮影者は、ボールが交換されると思ったのか、三塁手がボールを持ち続けていることに気がついていなかった。マウンドへと歩いて戻っていく斉木さんが映される。

 ふと、一瞬だけ三塁を窺った。

 それから、何事もなかったかのように定位置へと戻っていく。

 その刹那、わっと会場が声を上げた。

「え、何?」

 撮影者の戸惑った声とともに、カメラが大きく揺さぶられる。

 斉木さんは見切れて、三塁手がグラブに入ったボールを審判にアピールしているところが映しだされる。呆然とする三塁ランナーに、走塁コーチを務める選手――彼らの気持ちや如何に、審判が右手を振り上げた。

「アウト? 何事なの? あ、隠し球!」

 再び撮影者の声。周囲が「隠し球だ!」と騒いでいるのに気がついて、彼も球場で起こった事件を理解できたらしい。

 この間、数秒。

 画面がマウンドに戻ってきたとき、斉木さんはしゃがみこんでいた。両目をきゅっと瞑り、口からは大きく息を吐く。このときばかりは、野球部エースが小さく見えた。

 試合終了を悟って歩み寄ってきたキャッチャーに促され、エースはふらふらと立ち上がり、チームメイトとともに列を作る。混乱しきった相手選手たちも、敗戦を覆せないことがわかると列を作った。

 帽子を脱いで、礼をする。

 後味悪く、動画は終了した。



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