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 しばらくはグラタンづくりに集中し、手が空いてから件の動画を視聴することにする。バターで炒めた具材を耐熱皿に盛り、ちょっと多すぎるくらいにチーズを乗せれば、あとは予め温度を上げておいたオーブンに入れて焼くだけだ。完成は近い。

 ミトンを外したなら、次に操作するのはスマートフォンだ。わたしのものは榊先輩の音声を再生するのにバッテリーを減らしてしまったので、桜木先輩のもので動画を再生するべく操作する。

「探したのは準々決勝の最終回を含む動画です。とりあえず、ふたつ見つけました。どちらにも、隠し球が発生した瞬間が捉えられています」

 高校野球にはやはり熱心なファンがいるもので、地方大会の準々決勝など誰も映像に収めていないと侮っていたわたしの予想を裏切った。

 ふたつあるうちのひとつ、隠し球の状況を最も鮮明に捉えた動画は、最終回のボールの行方を追った、試合当日の様子がよくわかるものになっている。隠し球をめぐる論評が盛り上がるにつれ、その動画をコピーした別の動画が数多投稿されるようになっていて、オリジナルを探すのに苦労した。

 もう一方は、大会注目投手である斉木くんの投球を収めた動画である。内容は彼のプレーに限られているため、編集もされているが、最終回の全部を見ることができる。

 できることなら試合の全部を観たほうがよいのだが、厳密にやろうとすればするほどキリがなくなる。ベンチを観なくていいのか、とか、試合前はどうだったのか、とか。限界がある中で、「何事かありそうな」最終回に着眼点を絞ったと思い妥協する。

「実際に動画を観るのは初めてだな」

「そうだね、見る価値はあると思う」

 桜木先輩と鮎川先生も、隠し球の瞬間に興味津々だ。

 ひとつめの動画、問題のシーンを試合展開に着目して収めた動画を再生する。



 一点差で迎えたラストイニング。天保のナインが守備に就き、完投に向けてマウンドに上った斉木さんが、九回裏の第一球を投じるところから動画が始まる。

 カメラの位置は一塁側、反対側のスタンドに天保のブラスバンドが映りこむ高めのスタンド。左投げの斉木くんはマウンド上でカメラ側に身体を向けているが、遠いのでさすがに表情までは窺えない。

「すごいな、九回投げ切っちまうぞ」

 動画を観ていると、時々、会場の生の声が聞こえてくる。

 再生を始めて何分もしないうちに、斉木さんは打者ふたりを三振に仕留めてしまった。プロのスカウトが注目するだけあって、素人目で見ても彼の投じるボールは速い。相手打者が空振りするさまなど、滅茶苦茶にバットを振っているかの如く見えてくる。

 しかし、最後の打者に代打が送られると、セーフティーバントが決まる。ボテボテのゴロを処理した三塁手の送球は、一塁でアウトにするのに充分なタイミングにも見えたが、一塁手がそれを弾いてしまったのだ。試合が終わると思った観客たちの悲鳴――スタンドごとにその意味合いは異なる――が響く。

 一塁セーフの瞬間は、一塁手と出塁したランナーがアップで映される。さらに、次の打者にも代打が送られ、その選手がバッターボックスに立つまでの様子が続く。天保のエースはそのあとになってようやく画面に戻ってくる。

 画面が再度ルーズになり、投手、走者、打者が一画面に収まる。

 瞬間、初球から相手は仕掛けてきた。ランナーがスタートを切り、バッターも思い切りよくスイングする。采配は的中し、鋭い打球が外野まで飛んでいく。ライトの選手がボールを押さえると、勝利か同点かがかかる場面に判断を急いでしまったのか、ギリギリのタイミングにも拘わらず三塁に送球する。

 送球は大きく山なりになって、三塁手が飛び上がってそれを押さえたときには、一塁ランナーが三塁に到達している。

 それどころか、バッターランナーが二塁を陥れようとしている。

 気がついた三塁手は素早く三塁に送球する素振りを見せるが、すでにセーフのタイミング。天保高校は、勝利目前だったのがよもや逆転という場面まで追い上げられてしまう。球場は終盤の山場にざわつきだす。

「逆転あるよ」

「いける、いける!」

 しかし、カメラを構えている人物は冷静だった。

 サードがボールを手放していないことに気づき、三塁手をアップで捉えた。

 グラウンドの選手の中には、それに気づく選手もいたかもしれない。三塁走者にそれが伝わっていれば、事件は発生しなかった。でも、不運にも三塁側ベンチは天保ベンチで、ボルテージの高まる会場は選手間の掛け声を届きにくくした。

 三塁ランナーは、緊張のあまり警戒を欠いていた。

 立ち上がった瞬間を狙われ、三塁手からタッチされた。

「ああ、隠し球だ!」

 近くに座る中年男性が残念がってあげた声を、マイクが拾っていた。

 審判はアウトを宣告し、会場が大きく湧く。三塁ランナーはその場に崩れ落ちる。それをよそに、天保の選手たちは礼をすべくグラウンドの中央に集まっていく。斉木さんも画面の端に映っていて、身体をわずかによろめかせるなど疲れが隠せない様子で、仲間たちに歩み寄って列をつくる。

「嘘、本当に終わり? あんなので終わっちゃうの?」

 選手の母親だろうか、悔やんでも悔やみきれない悲痛な声。

 動画は礼をする前に終わってしまった。



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