3-5

「葉山が野球の話を持ちだした時点で、意外には思っていた。疑問を持つのは自然なことだし、素晴らしいことだからそれは結構。でも、僕も何も知らない立場ではない。野球部エースと元調理部員との恋人関係なら、僕も噂程度には知っている」


 ソースを準備すべく鍋でバターと小麦をこねながら、彼は、わたしを差し向けた人物の存在を指摘する。

 彼は相手の意図を勝手に解釈する人ではない。わたしが野球の話をするはずがないと決めつけたのではなく、榊先輩が黒幕ではないかとカマをかけたのだろう。木べらでバターと小麦の塊をいじる彼を窺うと、にやりと笑う。

「栞里先輩が余計な気を遣ったみたいだね。そんなことで僕が話に乗らないと思ったのかもしれないけれど、それじゃあ僕がいじけているみたいじゃないか」

「じゃあ、この話に乗ってくれるんですね?」

「栞里先輩への貸しにしておくよ」

 自分で相談しなかったばっかりに、榊先輩は借りをふたつも作ってしまったか。自業自得である。

「天保は『隠し球』の論争にどういう立場なんでしたっけ?」

 彼が鮎川先生に問うと、職員室の事情を知る先生は隠すことなく応じてくれる。

「簡単に言えば、隠し球をして何が悪いって立場だよ。卑怯と言われがちなプレーをしたのは確かでも、だからって勝負やそのための駆け引きを蔑ろにした指導が生徒のために適切とは思っていない、とね」

 新聞記事になっていた声明の話だろう。意外と強気な主張だ。

 はあ、と嘆息する鮎川先生は、愚痴っぽく続けた。

「本当はこんな声明、要らないんだけどね。職員室にはそういう意見もあったよ、スポーツの話だもの。でも、これも有名私立の宿命かな。どうしても世間の注目を浴びるし、OBOGもうるさいし。生徒を守るには開き直りが要ったのさ」

 生徒に向かってそんなにざっくばらんに話していいものなのだろうか。申し訳なくなるほど、日々の気苦労は伝わってきた。

 それにしても、学校がそこまでして野球部を擁護したのだ。斉木さんの行動は、ますます不可解になる。論争に巻きこまれたといっても本人に実害はなく、学校がバックアップしているのだ。心の傷は少なからず負ってしまったかもしれないが、活動をボイコットするほどのことだろうか。まして彼はエースで、チームの誰よりも守られている。

 わたしの中でどんどん迷宮入りしてしまうが、それは構わない。いまは、桜木先輩の考えを聞く段階にある。

 実は、榊先輩とのやり取りはスマートフォンのアプリで録音していた。本当は自分の確認用だったけれど、榊先輩が関与しているとバレてしまったので、これをそのまま桜木先輩に聞かせることができる。わたしは鞄からスマホを取りだし、バッテリー残量を気にしつつも音量を最大にして再生する。

 ちょうど鍋に牛乳を注いだことで、バターの焼ける音は静かになった。



「なるほど、不思議な話だね」

 ソースの具合がよくなった頃合いに、榊先輩の話も聞き終えた。

 鮎川先生に確認してみると、榊先輩の話は、先生が職員室で耳にすることと矛盾しないらしい。ついでに、斉木さんの母親の容体については個人情報なので、先生が漏らしたことは内緒にするよう釘を刺された。もちろんです、先生。

「気になる話ではあるのだけれど」桜木先輩はソースが完成した鍋を横に置いて、具材を炒めるフライパンで油を温めはじめる。「どう考えたって、調理室だけで考えるには限界があるよね。情報が栞里先輩の語りに限られるのでは、ちょっと」

「あ、それなら」彼の心配は当然に考えうるものなので、準備しておいた。「きのうネットで見つけた動画があります。ここにヒントがあるかも」

 動画サイトを開くべくスマホを操作していると、桜木先輩と鮎川先生が目を丸くしてわたしを見つめている。その言わんとすることがわかった瞬間、肌寒かったはずの調理室の気温がぐっと上がったかのごとく感じた。

 昨晩、攻略サイトを見るためにネットを利用していたら、気がついたときには野球のルールを調べて数時間が経過していた。自分の見たかったものはこれではない、と目的のサイトを見ていたのだが、どうしてか再び気になりだして、動画も探し出してしまったのだ。実は、隠し球のルールも、反則の事例などプレー上の細かい留意点以外は理解できている。

「たまたま……気になったんです」

 何に対してかわからない弁明を述べると、ふたりはにんまりと口角を緩めた。気味が悪いくらい同じ、見透かしたような表情で。



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