Episode 3 -- 野球部エースの逆心

3-1

 リボンを付けた二年生男子の噂は、わたしの耳にも届くようになってきた。

 一緒に噂話をする友人が新たにできたわけではない。わたしの生活には特段の変化はなく、授業中に居眠りしたり、そのせいで補習に出かけたりするくらいだ。ただ、知り合いの噂話を敏感に聞きとってしまうだけ。

 噂に登場する桜木恵都は、わたしの知る像に比べれば曖昧なものだ。「男のくせにリボンをしている」「調理部の唯一の部員で部長」というわかりやすい事実以外は、噂好きな一年生にとっても謎に包まれているらしい。ネガティブな意見では「女装癖」「校則違反」とか、ポジティブな意見では「イケメン」「料理男子」とか。

 細かに見ていけば、無数の噂が流れている。

 それらはつまるところ、たった一言で評価しうる。

「ガワ」しか見ていない。

 確かに、一年生と二年生とでは生活空間が異なる。ホームルームのフロアも、昇降口も、受けている授業も。彼の場合部活で後輩と接する機会がないのだから、ほかに一年生と接触する場面といえば、せいぜい教室移動の最中にすれ違うくらいだろう。外見からくる単純な評価ばかりが流布するのも自然な話なのだ。

 ということは、二、三年生のあいだで流れている噂なら、毛色が違っているはずだ。

 たとえば、調理部が放課後の孤島になってしまった経緯や、そもそもリボンを付けはじめた理由など、時間の経過や彼の行動に着目した言説が考えられる。

 しかし、それらを収集するのは容易ではなかろう。問題が風化して、誰も口にしなくなっているかもしれない。あるいは、あまりに忌避されて、アウトローの扱いを受けていてもおかしくない。

 それに。

 わたしが熱心に彼のことを知ろうとする義理はない。



 最寄り駅まで歩く道のりも、涼しさが身に染みる時期である。

 商店街のビルを抜ける風は冷たく、身体の隙間を駆け抜けていくので、ブレザーの下にセーターを着たくらいでは防寒が不充分だ。特に朝夕などは、ついこのあいだまでは日向にいると汗ばんでいたのに、いまでは日向を選んで道を歩いている。

 にわかに寒さが強くなったのには、天保高校からある「熱」が過ぎ去ったことも一因になっているように思う。

 きのう、日曜日、天保高校野球部が秋の大会で敗退した。準決勝まで進んでいたようだ。野球部員やその周囲の男子たちはその話題で持ちきりであり、女子たちもどこか色目を使ったような態度でその輪に加わっていた。

 野球のルールや面白さは、よくわからない。知らないことにはタッチしないことが平穏を保つコツであると、わたしは心得ている。それでも、今年の野球部は校内やその関係者のみならず広く世間を賑わせてしまったので、わたしもまったくの無関心でいられたわけではなかった。

 キオスクに並ぶスポーツ新聞を一瞥する。

 見出しには、天保高校の文字がみられる。

 監督やコーチが学校を通して見解を述べたようだ。先週の試合の出来事なのに、未だに大きく報じられているとは。学校内ではむしろ騒がれ方が小さいのかもしれない。

 なんでも、準々決勝の試合でルール違反だか何だか知らないが、とても汚い手段を用いて試合に勝利してしまったのだという。それを巡って、正々堂々勝負しなかったと批判する人々もいれば、勝つために作戦を練ったのだと擁護する人々もいる。

 詳しいことは知らない。

 とにもかくにも、何事にも論争は起こるものだ。わたしだって論争の起こりやすい世界をよく目にしている。推しキャラとか、カップリングとか。それで面倒に巻き込まれないためには、ナントカコンセンサスが必要なのだ。あれ、なんか違う?

「ああ、葉山ちゃん!」

 改札を通り抜けようとパスケースを取りだしたとき、急にわたしを呼ぶ高い声がある。

 ただでさえ友達の少ないわたしを「ちゃん」付けで――しかも苗字に付けて――呼ぶ人物は、ひとりしか思いつかない。捕まると厄介なことになる、と直感がはたらき、気づかなかったふりをして歩いてしまおうとする。

 しかし、相手は予想を上回る素早さですり寄ってきて、背後からするりと腕を絡めてきた。思いのほか力強く引っ張られて、逃げられない!

「待ってよ、葉山ちゃん。久しぶりだねぇ、時間あるでしょ? 少しお話していこうよ。飲み物くらい先輩がおごってあげるからさ」

 わたしに時間があると決めてかかる強引さときたら。放課後に補習以外で予定のあった試しなどないから、事実なのが悔しい。

 久しぶりと彼女は言うけれど、最後に会ってからまだ一〇日ほど。ハロウィンのイベントがあったあの日ぶりだ。

「ええと……お久しぶりです」

 元生徒会役員で元調理部部長、ワンレンの似合うマイペースなハツラツ女子、榊栞里先輩である。



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