2-10

 数人を残すのみとなった大部屋で、隣に立つ桜木先輩が小声で語りだす。数時間前、町田先輩の意図を推理して。

「町田はいくつか、僕たちにわざと誤った情報を与えていた」

 彼の静かな声色には、そこはかとなく強い感情が見受けられる。表情は努めて穏やかに、子どもたちには悟られないように。ただ高校生同士、イベントについて連絡し合っているふうを装って。

「ひとつ。嘘の時間を伝えた。街を巡っていた子どもたちは、幾分かは早く帰ってきたのかもしれない。でも、小一時間は余裕があると言っていたのに、ゲームに挑戦する一〇分間に事情が変わるなんて、子どもの参加する行事では論外だ。ほとんど予定内の時間だったに違いない」

 つまり、会長はわたしたちに脱出ゲームをクリアさせないか、クリアさせてもその後に時間を残さないようにしたかった。

「ふたつ。意図的に出題ミスをした。目的は単純、僕たちをプレイルームに釘付けにして、僕らの目を誤魔化せるその間に持ち場を離れるためだ。予定より早く戻った子どもたちの出迎えを建前にして。そうすることで、バタバタして持ち場にいられず、ゲームも中途半端に終わらせたことにできる。第三問の不正な出題も、時間稼ぎのうちだね」

 わたしたちは、脱出ゲームで出題された三つの問いに正解した。しかし、厳密にいえば、わたしたちはゲームをクリアできていない。なぜならば、わたしたちは肝心の「脱出」をしていないからである。

 正規の出口である倉庫の扉ではなく、入室時の入り口からゲーム空間を脱した。

 本来であれば、倉庫で初鹿野くんから景品としてクッキーを受け取り、廊下へ出てゲームが終了する。そうでないと、ストーリークリア後、自動セーブを待たずにエンディングの最中に筐体を強制終了してしまうのと同じだ。

「このふたつの嘘を組み合わせると、町田たちの魂胆が想像できる」

 桜木先輩の語気はいっそう強張っていく。


 景品をすり替えたんだ。

 子どもたちは、僕たちが作ったクッキーではなく、生徒会が用意したものを受け取っている。


 わたしも薄々感づいていた。

 注意深く子どもたちの景品を見つめても、学校で作ったクッキーが見つからない。それとは異なる包装紙を、子どもたちは手にしていた。

「栞里先輩から聞かされていたよね。生徒会は当初、僕を招かずに独自の予算で景品を準備しようとしていた」

「わたしたちが参加すると決まったころには、すでにお菓子を準備していたんですね」

「そういうことだ。それなのに、僕たちがお菓子を持ってきてしまった。予算で買ったお菓子は、学校に持ち帰るわけにもいかない。そちらを先に配り終えてしまって、それから調理部のクッキーを配るのが妥当な策だ。余りは運営で山分けすればいい。問題は、僕たちに気づかれないよう、景品をすり替える方法だ」

 言葉で説明されると、半端な気遣いだと感じる。堂々と目の前で入れ替えてトラブルになるのは嫌だが、生徒会が非を認めるのも嫌だった、というわけである。

「ゲストの子どもたちが到着する前に入れ替えると、僕たちにうっかり発見されるかもしれない。かといって、子どもたちが来てしまってからはすり替える隙を伺うのも難しい。そこで、僕たちを脱出ゲームに挑戦させ、子どもたちが来るまで監禁する策を思いついた。ゲーム中、僕たちはすり替えに気がつかないし、脱出後も子どもたちの相手をしていてすり替えに文句を言う時間はない」

 桜木先輩が推測する生徒会役員――というより、町田美雨――の魂胆は、どちらかといえば他者を説得しうる、イベントの実施上必要な言い分だ。それにも拘らず、説明しない道を選択した。

 もちろん、人間の意図は結局本人にしかわからない。桜木先輩は禁欲的に、町田先輩を貶めないように語ろうとしている。でも、本心ではこう言いたいのだろう。


 僕を省こうとしたな! と。


 町田美雨という人間をよく知るわたしではないが、わずかばかり不信感が芽生えている。

 彼女が調理部部長にどれだけ本気で敵意を向けているのか、正確には計りかねる。しかし、きょうの彼女の行いを見ていれば、悪意が存在していることは疑いようがない。

 性格の良い人間ではないだろう。

 彼女の作品たる脱出ゲームを見ればわかる。

 調理部部長を、調理部の活動Tea-partyを、「狂ったMad」と評してしまうのだから。

 オマージュの方法としては、はっきり言って下手くそだ。たぶん、タイトルと主な登場人物のプロフィールくらいしか知識はなく、つまみ食いした情報から構想のタネを得た程度。翻訳でも構わないから、原作を全編読んでこそオマージュは良質なものになるのに。しかも、自分が込めたい皮肉をぎゅうぎゅうに詰め込んだ結果、粗悪な真似事へと成り下がった。

 わたしがここに来ることになったもともとの依頼は、脱出ゲームのコンセプトを体験して評価することだった。面と向かって作者に評価を告げることはなかったものの、サブカルチャーで磨かれた感性は、はっきりと評価を下している。


 生徒会長は務められても、表現者には向くまい。



 最後のひとりが、母親の迎えに従って大部屋を出ようとする。

「バイバイ、ありがと」

 母親に促されて、小さな彼は舌足らずに礼を述べた。

 子どもたちは誰ひとり、桜木先輩のリボンについて訝しがる目を向けなかった。「仮装なの?」と無垢に問うことならあったが、他意はない。含みのあるまなざしを投げかけるのは、高校生以上の大人だけ。

 桜木先輩とはまだ知り合って一か月も経っていない。それでも、彼がリボンについて語ることを「時間がかかりすぎる」と躊躇った理由が少しわかった気がする。わたしより付き合いの長い町田先輩が、あの様子だから。

「全日程終了だね。図書券をせしめて、さっさと帰ろう」

 そう言って踵を返す桜木先輩に、わたしも続いた。

 図書券なんて、いくらもらっても足りない気がしている。



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