2-3
朝早くは雨が降ったようだが、午後からは空模様が明るかった。
わたしと先輩でひとつずつ携えた紙袋には、ビニールの小袋に詰められたクッキーがいっぱいに詰まっている。ハロウィンにかこつけてお菓子を狙う子どもたちを満足させる品になっているはずだ。
サクサク食感に仕上がったそれらは、学校から会場まで持ち歩いてもさほど重たいものではない。それでもしびれが走る手首を気にしながら歩いていると、
「泡だて器は、使い方が下手だと疲れるだろう?」
と厭味ったらしいことを言われる。
「電動泡立て器がないほうがおかしいんです」
本来、わたしの手首はコントローラとキーボードで鍛えられて強靭なはずなのだ。
こうやって桜木先輩がわたしをからかっていればいいのだが、言葉を交わさない時間がほんの数秒でも続くと、並んで歩くシチュエーションに強烈な違和感を覚えてしまう。原因は明白である。
彼の胸元で秋風に揺れる、リボンだ。
彼のリボンそのものに自ずと視線が向いてしまうし、すれ違う街の人々がちらりと彼に向ける視線にも意識が向いてしまう。
先ほど、公民館に出かけるために彼が上着を羽織って、リボンを身に付けたときも、鮎川先生は何も言わなかった。調理室にいるときだけの、特別な恰好ではないということだ。学校を出て天保高校生徒として街を歩き、まして子どもたちの前に立つというのに、先生はお咎めなし――熱心な指導をしない先生なのだろうか。
女性的な雰囲気も醸し出す桜木先輩だから、見苦しいとまで言って罵るつもりはない。しかし、だからといって疑問を拭えるわけではない。規則通りにリボンを付けて女子制服を着こなすわたしと、よく平然と並んで歩けるものだ。怪訝な視線を注がれても、さっぱり気にする様子がない。
わたしとて、彼を不審がるひとりである。
彼の服装への疑問は消えていない。
そのとき、彼のリボンを揺らすひんやりとした風が、羽で撫でたかの如くわたしの頬をも掠った。くすぐったい感覚に右手を添えると、肌に冷たい感覚が残っている。
とりあえず、再度問うことはしないでおこう。
このイベントを最後に、また他人に戻るだろうから。
窪寺市のその施設は、呼びやすく「公民館」と呼ばれているが、実際には複合施設である。役場の支所として窓口を備えていたり、小規模ながら図書館施設があったり。公民館もその機能のひとつなのだ。
タイル張りのエントランスをくぐると、最初の部屋はホールになっていた。入り口傍の窓口の人から、二階にイベント主催者の控室があると教えられる。ホールの脇にある階段を上ってそこを訪ねると、有志のおじさんたちと会うことはできたものの、高校生は見当たらない。荷物は置いてあるようなので、自分たちもバッグを並べて置いていると、あるおばさんから「下の会場にいるみたい」と言われた。
上ったばかりの階段を降り、ホールの脇から延びる廊下を歩くと、すぐに高校生たちの居場所がわかかった。プレイルームがあるという通路の突き当りに、真っ黒なビニールで作られた即席の暗幕が垂れ下がっている。
「脱出ゲーム!」
とカラフルな看板が掲げられている。
なるほど、コンセプトを確かめてほしいとは、これのことか。
「お、恵都に葉山ちゃん。よく来てくれたね!」
入室して一番に榊先輩の甲高い声が響く。
「悪いんだけど、まだ部屋には入らないでくれるかな!」
ろくに挨拶も返せないうちに、桜木先輩ともども部屋から押し出され、暗幕の前に待たされる。まったく、忙しない。
脱出ゲームの仕込み中、ということか。
一、二分も部屋の中がバタバタする音を聞いていれば、榊先輩が扉を開いた。
「あ、お菓子ありがとう! クッキー? いいねぇ最高だよ、余ったらあたしにもちょうだいね!」
彼女はわたしと桜木先輩から紙袋をひったくると、ばたん、と再び扉を閉めてしまった。「まったく、忙しないな」とは、今度は桜木先輩の独り言だ。
再度数分間待っていると、次に部屋から出てきたのは榊先輩とは別の人物だった。
「来なくてもよかったのに……」
その女子生徒は、桜木先輩に訝しがる視線を浴びせかける。
彼女のトレードマークは、何よりも先に目に付く長い髪と、前髪を留める銀色のピン。ストレートの美しい黒髪から時折覗く耳が妙に色っぽく、リップクリームで艶めく唇とともに男子を虜にする蠱惑的な雰囲気を漂わせる。細い首筋や狭い肩幅など、どこか頼りなく小ぢんまりとしているようで、鋭い眼光に充分以上の威厳を備えている。
これだけ近くで見たことはないが、見間違えることはない。
生徒会長の町田美雨である。
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