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 一〇月末の土曜日。

 このあとのタスクは主にふたつ。第一に、調理室で桜木先輩のお菓子作りを手伝う。第二に、そのお菓子を携えて公民館へ向かい、生徒会役員とともにハロウィンのイベントの運営を手伝う。報酬は、図書券。

 昼食にかこつけて本日分のスタミナを消費し、デイリーミッションもこなしておいた。計算が狂わなければ、寝る前にもう一度ログインして周回できるはず。わたしの計画は完璧だ。

 なるべくゆっくりとした足取りで特別棟に辿りつく。帰宅部員の有志の参加なのだから、遅刻するくらいでちょうどいいはず。数週間前にしたのと同じように、ドアの窓からこっそりと調理室の中を窺う。

 なんだ、とため息とも舌打ちともつかない落胆が漏れる。

 作業はまだ始まっていなかった。

「久しぶり」

「あっハイ」

「サボらず来てくれて助かるよ」

 調理部の二年生部長の認識では、わたしはサボり魔なのか。補習の常習犯だとは知られているから、そう連想されてしまったらしい。これでも、遅刻も欠席もほとんどしないのだが。

 彼は部屋の奥のテーブルで昼食中だった。その手には、調理室の丼がある。見回してみると、調理器具も使っていたようだ。

 料理をしていたからか、その胸元にリボンはない。ワイシャツにエプロン、頭にはバンダナ。

 彼と会うのは初対面のあのとき以来で、きょうまで校内ですれ違ったことさえなかった。リボンの目立つ男子を見逃すわけがないから、本当に会っていないのだ。天保の生徒は高等部だけでも千人を超えるから無理もない。

 何を食べているのだろう、と思っていると、訊いてもいないのに彼は説明口調で語りだした。

「欠席云々の都合で調理実習の食材が余ったらしいから、使わせてもらったんだ。めんつゆで玉ねぎを煮て玉子で閉じるだけでも、充分美味い」

 玉子丼ということか。確かに美味しかろう。出汁の香りだけでも美味と想像できる。

 ただ、わたしはそれ以上に、彼が丼を食べる脇に置いてある弁当箱に目を奪われていた。鮎川先生は席を外しているようだから、弁当は彼の持ち物である。驚くべきことに、玉子丼は彼にとって二度目の昼食なのだ。

 そういえば、以前大食だと自称していたような。

 言葉を失っていると、準備室と通じる背後の扉が開いた。鮎川先生が姿を見せる。

「あ、葉山も来たね。桜木、すごいでしょ。一日三食じゃ足りないらしい」

「そうみたいですね」

 そのちょっとの会話の隙に桜木先輩は食事を終えて、とん、とテーブルに器を置いた。手早く食器をまとめると、ひとりで食器洗いを始める。五分もすれば、お菓子作りが始まるだろう。

「それで、きょうは何を?」

「クッキーを焼くよ。大量に作るには簡単だし、冷めても美味い。ケーキでもよかったけど、つい最近作ったばかりのものでは芸がないからね」

 調理部の活動としても泊が付けば、得なのだろう。

 それにしても、またしてもお菓子作りを簡単だと言ってしまった。料理をよくするわたしではないが、計量などそれなりに難しく手間がかかると聞く。

「何をすればいいんですか?」

「材料を混ぜた生地を作って、型を抜いてから焼く。それだけ」

 その説明だけでクッキーを作れる人がいたとすれば、神通力の持ち主だろう。

 鮎川先生にアイコンタクトで助けを求めると、「概ね桜木の言う通り」と笑ってから続けた。

「作業の手順は作りながらにしよう。計画では子どもを三〇人と想定して、二種類、計六〇枚を焼くことにしたんだ。片方は普通のバタークッキーにして、もう片方にはココアパウダーを入れる。きょうは袋に入れてリボンを付ける作業も忘れちゃいけない」

 リボン、と聞いてつい桜木先輩を一瞥してしまう。

 いまはリボンを外しているから、あべこべないで立ちはしていない。

 このあとのイベントには制服で参加する。そのとき彼は、どのような恰好で子どもたちの前に立つつもりだろうか。

 食器を洗い終えた彼は、捲っていた袖を改めてたくし上げると、ふう、と息を吐いた。

「さあ、最初は材料を準備室から持ってくる作業だ」

 わたしも、鞄からエプロンとバンダナを取りだした。



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