1-6

 ドアから首を突きだした女子生徒は、覗きこんだ調理室に目当ての桜木先輩を発見すると、彼の返事を待たず部屋に踏みこんだ。

 額が広いな、という第一印象は肩まで伸ばした髪をワンレンに切りそろえているからだろう。その髪型が表情に残る幼さをカバーしているようだ。クールでありながら、軽快さを兼ね備える美形――見るからにわたしとは別の世界の人間。

 こういう相手は最初に確認すべきポイントがある。シューズだ。

 なるほど、三年生だ。

栞里しおり先輩。どうしました?」

 もう片づけちゃいましたよ、と彼が付け加える。彼がそれを言い切る前に、栞里と呼ばれた彼女が言葉を重ねる。

「どうしたも何も、言ったでしょ。頼み事だってば」

 落ち着きのない三年生は、それからすぐにわたしに目を向ける。

 流し台のすぐ近くまで歩み寄ってくると、台の反対側から身を乗りだしてくる。

「女の子なんか連れ込んだの? 初っ端から大胆だねぇ、新部長は」

 目を合わせるだけで怯んでしまう。ひとたび視線がバッティングしてしまうと、逸らすことを許されず、茶色っぽい瞳の中に浮かぶ、真っ黒な瞳孔がわたしを逃すまいと追いかけてくる。ニコニコと愛らしい笑顔が鬱陶しい。

「一年生? 新しい部員?」

 そう言って桜木先輩に尋ねるので、わたしはほっと息をつく。彼女から浴びせられる視線には、抱き着かれているのとほとんど変わらない暑苦しさがある。

「先輩の喋り方は自分本位で困ります」桜木先輩は呆れながらも、慣れた様子だ。「まさかナンパして連れ込んだわけではありませんし、残念ながら新入部員でもありません。葉山は、たまたまケーキに釣られてやってきた一年生です」

 人を食い意地が張っているかのように語る紹介に、むっと口許に力が入る。

 ふたりの会話から察するに、調理部の先輩後輩の関係なのだろう。もしそれくらい親しい仲でないのなら、彼の胸元に揺れるリボンを一切気にしないなんて、ありえない。

「なんだ、部員が増えると思ったのに」ちょっと油断した隙に、彼女の顔が迫ってくる。さらに、ほとんど捲し立てる調子で言葉を投げつける。「リボンの変態男子に捕まった不運な子じゃなくてよかったよ。というか、知っていたらこの部屋に来ないよね。一年生のあいだではまだ恵都も有名人じゃないってことか」

 栞里というその先輩の言葉には、気になるところがいくつもあった。しかし、わたしが聞き逃すまいと思っていたのはただ一か所。どうしても急ぎ確認したかったそのフレーズだけは、早口な彼女の口調にも埋もれず際立っていた。


 リボンの変態男子!


 ということは、リボンを付けた途端に女性らしくも見えたのも、ほんの気の迷い。危ない人物に出会ったとは思いたくない、現実逃避の如き心理がはたらいたせいだろう。実際には、肉眼で以て最初に感じた印象のほうが正しかったのだ。


 彼は、男性だ!


 咄嗟に、彼と知り合いなのか問うていた。得体の知れない三年生のマイペース女子は、訊かれたかったとばかりである。

「もう、知り合いも知り合い! 調理部の部長として、彼が入部したころからの付き合いだからね。まあ、長いふうに言っているけど、せいぜい半年か」

「と、ともかく知り合いなら、そのリボンは……! 鮎川先生も!」

 桜木先輩がリボンを着用している疑問に対して、動転しているのはわたしくらいのものだ。それに比して調理部関係者は、あまりにも冷静であり、当然のことと言わんばかりに受け止めてしまっている。栞里という先輩は彼をからかって貶したが、そこに嫌悪や非難は含まれていなかった。鮎川先生も、その奇妙なさまを正すよう指導しない。

 こんなことがあっていいはずがない。この学校は歴史ある名門、天保大学の附属校なのだ。そんな学校の制服を着崩しておいて、見逃されるなんて。

 しかし。

 鮎川先生は相変わらず笑顔を湛えて肩を竦めるだけ。

 元部長も面白がったようなニヤニヤを崩さないまま。

「事情を知ってくれている人はこんな感じさ。ただ、このくらいまで理解してもらうには時間がかかる」

 桜木先輩はどこか自慢げに手を広げてみせた。




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