1-5

 そういえば、と思い出してスクールバッグを開く。

 わたしのリボンは、鞄の中にあった。わたしがリボンを外したのは、再試のとき。暑くて外したのち、鞄に仕舞ったのだった。机の上に出しているとカンニングになる。

 いま付けているリボンが自分のものでないことはわかった。でも、その持ち主には同意しかねる。

「ええと……桜木先輩のものじゃないですよね、これ?」

「僕のだよ。この部屋で他に誰が付けるのさ?」

「いや、絶対桜木先輩以外の誰かですよね!」

 リボンは言うまでもなく女子制服の一部だ。男子はネクタイを着用することになっている。桜木先輩はエプロンを着ているあいだ、ノーネクタイで過ごしていた。そこに付けるネクタイがあるはずで、それはリボンではありえない。

 まさか、女装の趣味? でも、校則違反になる装いを趣味にできるだろうか。彼はこっそりリボンを持ち歩いていたに違いない。だとすれば、本来の持ち主がいるリボンを持ち歩いているとか……?

「何か悪い想像をされているようだね」

 苦々しい笑みを浮かべる彼だが、今度は難しく思考回路でわたしの考えを見抜いたわけではないだろう。

 彼はわたしがテーブルに置いたそれをさっと取ると、躊躇いもなく身に付ける。

「うわぁ!」

「悲鳴を上げるとはひどいものだね。似合っているだろう?」

 何歩か後ずさりして、間合いを取る。本格的な変態に出会ってしまったかもしれない。自分のものではないはずのリボンを事も無げに装着したばかりか、似合っているかと尋ねてくる――相当ヤバい人なのでは?

 と、思っていたが。

「……?」

 意外と、似合っている。

 いや、似合っているからといって変質者でなくなるわけではないのだけれど、着慣れているのか、一見しただけでは違和感がない。彼の顔が良いから? 男子にしては髪が長いから?

 リボンを付けた途端にこれだけ激しく印象が変わるとは――もしかして、最初から女子なのか? そもそも男子というのが誤解だったのか? そういえば、外見にも声にも、中性的な印象があった。調理部に所属しているのも、男子より女子のほうがありふれている。「ケイト」という名前も、日本語なら男性的な響きがあるけれど、外国語の名前であれば女性に付けられるほうが普通だ。

 一人称は「僕」……現実で初めて「僕っ娘」に出会ってしまったのか?

 でも、ブレザーは男物だった。スラックスも穿いている。男子用の制服に女子用のリボンを付けるような、制服に設定される性別を越境するのは違反だ。以前よりルールが緩やかになった天保も、歴史ある私立学校である。服装の乱れを意味する校則違反は、厳しく指導するはず。よく校門で生徒指導の先生がスカートの長さを注意しているくらいだ。

 頭がこんがらがってきた。サインもコサインも、この問題に比べれば簡単かもしれない。

 捻りだせたのは、ただひとつの問いであった。

「どうしてリボンを……?」

 リボン以外は男子制服なのだ。桜木恵都という人物の性別はとりあえず横に置いておいても、そのあべこべな恰好の理由を問うことはできる。

「よく訊いてくれた! うん、確かに気になるだろうね」

 何やら喜んでいる。

 質問されたくて、変な恰好をしているのだろうか。とんだ目立ちたがり屋だ。それとも、ナンパのネタにするのだろうか。

「それじゃあ、訊かせてもらうけれど、葉山はどうしてリボンをしているんだい?」

「は?」

「他人に訊きたいことは、自分が訊かれたいことでもある」

 いよいよ桜木恵都という人が理解できなくなって、鮎川先生の表情を窺ってみる。

 彼は、「まあ、いいから」と微笑みで伝えてきた。そういえば、この先生は彼の校則違反の服装を咎めるべきだが、そうしていない。何か真っ当な、わたしをはじめ誰もが納得のいく理由があるかのように。

「そりゃあ、そういう校則だからです」

「校則になければ付けないの? この学校が私服登校可だったら? 女子もネクタイを付けられる決まりだったら?」

「ええと……なんでそんなことを訊くんですか? 妄想の話ですよね? それに、中学のころからリボンがあって当たり前、普通のことです」

 ふうん、と彼は腕を組んだ。上着の襟が膨れて、胸元のリボンも浮きあがる。

「わたしの質問には答えないんですか?」

「ああ、答えられるよ。ただ――」

 と、彼が何かを話そうとしたところで、教室の扉がノックされる。

 悪いね、とわたしとの会話を切り上げると、来客を迎えるために返事をする。踵を返してドアに向かおうとするが、彼が到着するよりも先に扉は開かれた。


「恵都、いる? 頼みがあるんだけど」


 今度こそ、リボンを付けた男子生徒などではない。

 見紛うことなき女子生徒が、ひょいと顔を覗かせた。



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