だったらちょうだい
岸田さやかは、朗読会に参加するグループの間を慌ただしく駆け回っていた。台風についての対応を相談して回っているのだ。ノックをして八ヶ瀬高校のグループが使っている部屋に入ると、メンバーの一人がノートパソコンに向かっていた。
「あなた、牧村美咲さん、だよね」
「はい」
美咲はやや警戒しながら会釈した。
「あ、警戒しないで。名前はあたしが一方的に覚えるだけだから。もの覚えだけはいいの」
朗読会に関わってはいるものの、その辺の職員の一人であるさやかが自分の名前を覚えているのは不思議なのだろう。そういう経験は何度もある。さやかはもう一度部屋を眺め回した。
「そうだ、小山夏帆さん、どうしてる?」
「どうって、なにかあったんですか?」
「ほら、あたしたちがいろいろ口出しして、演目を何回も変えさせちゃったでしょ?」
「ああ、まあ、私たちもギリギリで参加しちゃったんで、覚悟はしてました」
事情をよく飲み込めない美咲が立ち上がるのを見たさやかは、もう一度彼女を座らせた。
「ごめん。そっちは本題じゃないの」
軽く説明しながら、プリントアウトを手渡す。
++++++
岸田さやかと名乗った職員は、手早く台風に関連する相談をして最後にもう一度、演目のことで相談があったら声をかけてくれと言った。
この人、相談する相手を間違えたな、と美咲は思う。台風のことはともかく、演目に関する気配りを伝えるべき相手に伝える技術を、美咲は持たない。
「ところで、これは独り言なんだけど」
さやかは立ち上がりながら書類をまとめた。
「好きな人は自分の心で選んだほうがいいよ」
なんの話だろうと思う間もなく扉が開いた。二人がそちらを見ると、無言で夏帆が歩いて来た。さやかの存在に驚いた様子はない。さやかは口を結び、夏帆に背中を見せるのを嫌うような妙な歩き方で扉に回り込んだ。
「ごめんね長居しちゃって。じゃああたし、これで行くから」
さやかは何やら慌てた様子で部屋を出た。夏帆はそちらを振り返りもしない。椅子に座ってから、やっと口を開いた。
「りんごちゃん、アイシャなんて読んでるから、毒されてるんだ。自分があげたものと帰ってくるものが釣り合わないと気にくわないんだ。私だって、好きでビンボーなわけじゃない」
「それさ、夏帆ちゃんとしては、どうなったら収支が合ったことになるわけ?」
夏帆が美咲を睨み返し、『何を言っているのかわかりません』と目で訴えた。
「だってさ、夏帆ちゃんが釣り合い取らせようとしてるのは、自分の感情だろ?そんなん、何もないとこから無限に湧いてくるんだから、他人に埋め合わせさせるのは無理なんだよ」
夏帆はさやかが残した書類を読んでいるような仕草をした。
「それで提案なんだけどさ。私、夏帆ちゃんの友達になるよ。りんごちゃんの代わりに、責任を持って」
「責任って何ですか?人のこと罰ゲームみたいに」
「そのへんはお互い様じゃない?」
夏帆の使っているノートパソコンが起動する音が、場違いに大きく響いた。
「お気に入りの私をりんごちゃんに差し出せば、それだけ大きな見返りが来ると思った?」
「先輩だってピエロじゃないですか。私もりんごちゃんも先輩のことなんかいらないのに、押し付けあいされてたんだ」
途切れた語彙を補うように、夏帆は短く笑った。美咲は自分でも意外なほど不快な気分になって、固い声を出した。
「ほんとうは、りんごちゃんじゃなくても、誰でもいいくせに」
岸田さやかがもう一度この部屋に入ってきて、空気を壊してくれればいいのに。それとも、もうそういう段階ではないのだろうか。
「自分が誰かに認められるっていう証明を他人に期待するのは無理だよ」
++++++
舞台に設けられた階段の脇に、演壇が置かれている。歩夢は手前側に立って、横のりんごをちらりと見た。満は演壇の奥に裁判官のように立っていた。
「まあいいわ。仲人は不介入が原則だもの」満は手帳をもてあそんだ。「それで?協定の証は用意してあるのかしら」
歩夢は前髪を留めていたゴム紐を解いた。癖のついた房が無秩序にばらけた。りんごは応えなかった。
「あなたは納得してないのね。いいの?今度こそ協定破りができるチャンスじゃない」
「守秘義務はどうしたんですか」
「今回の協定に関しては歩夢は当事者だもの」
歩夢は流れが分からず無為に前髪をはじいた。満がチラリと歩夢を見た。
「心配しなくて良いわよ。私は当分仲人で居るつもりだし、もしあなたが協定破りをしても、仲人にはならなくていい」
我慢できなくなって、歩夢は割り込んだ。
「それ、私に聞かせるために言ってる?それとも私をつまはじきにするため?」
「それってどれのこと?酒匂さんの一つ前の協定のこと?守秘義務のこと?協定を破った人は仲人になるってこと?」
「仲人さん、不干渉はどうしたんですか!」
りんごの言葉で、満は一応大人しくなった。しかし、そうやって感情的になってまで秘密を守る態度は、ますます歩夢をあおるだけだった。
「その、協定破りってさ、これに関係ある?」
歩夢は智里から預かったマスコットを突き出した。
「りんご、本当は拾ってなかったんでしょ?自分のを夏帆に渡した。なんでそんなことしたの?」
また前髪が目にかかる。こんなときに限って、いつもの天をつく元気がないと来ている。
「夏帆に訊かれたの。りんごと夏帆、どっちをとるのかって。私、夏帆を放っておけなかった」
「だったら問題ないじゃん。夏帆を選べよ」
「ばかだね、私。なんとかちょろまかして、りんごと夏帆両方選べないかって思ってたけど、りんごはそうじゃなかった」
髪が目に入る。目が痛い。
「私たち、友達じゃなかったんだ」
++++++
思いつく言葉もそう多くはなかったので、りんごは正直にそれを言うしかなかった。
「解決できない問題を背負わせるのが友達なら、私たちは友達じゃなくていい」
「可哀想な子が好きって本当?」
りんごは動揺した。その言葉の意味を考えるより先に、飛躍した思考の不気味な感触に心を堅くした。
「夏帆が可哀想だから付き合ってたって、むかし仲良かった麻子って子もそうだったって。私のことも、夏帆のおまけみたいにくっついてきたから、お情けで付き合ってたの?」
そんなことはない。歩夢の感じているわけのわからないコンプレックスを打ち消すことが出来るのなら、りんごはもう一度彼女と友達になることを宣言してもいい。しかし、それはひどく不誠実な申し出に感じられて、りんごはその可能性を諦めた。
「酒匂さん、変わってる。好意は不公平を生むと思ってるのに、迷惑は公平にやってくるって思ってる」
割り込んだのは満だった。
++++++
歩夢にとってりんごと満が互いのことを語るのは不思議な感覚だった。ここしばらく自分の知らないところでいろいろなことが進んでいるようだが、これはとびきり奇妙なことに思えた。
「自分が小山さんのこと切り捨てたから、同じ理屈で歩夢に甘える権利ないと思ってるんでしょ。歩夢に親切にされたら、同じだけのものを返す自信がないと思ってる」
満はりんごにするように無遠慮に、歩夢のことを語ることができるだろうか?歩夢は満のことを語ることができるだろうか?
「子供の頃さ、プロフィール帳ってあったでしょう?その中で、友達になる条件みたいなのがあったの覚えてる?」
「私のはなかった」
歩夢は蚊帳の外を承知で口を挟んだ。私のクラスで回されていたものは、と言うべきだったのかもしれない。しかし、この状況でそこまで訂正する義理はなかった。
「私ね。たくさん書いたわよ。清潔な人、悪い言葉を使わない人、なんでも罰ゲームにしない人、えこひいきをしない人、あと何だったかしら」
聞きながら、歩夢は考えた。自分はこれまで満の条件を破ったことがあったのだろうか。
「そんなに簡単に、人を嫌いになるの」
満は不思議そうな表情をしてから、困ったように笑った。
「知らなかった?私、子供なの。でも、特別なことじゃないと思うけどね。どこにあるかわからないスイッチで勝手に人を嫌いになるのと、子供みたいな取扱説明書を押しつけるの、どっちが誠実でどっちがわがままなのかしらね」
どっちも自分勝手だ。ロボットじゃあるまいし、スイッチ一つで感情が変わるわけがない。言いたいことがあるなら、その都度ちゃんと言葉にするしかないだろう。
「私、踏み外したの?だから満は、不機嫌なの?」
妙に透る視線が歩夢を射貫いた。
「それが傲慢だって言うのよ。他人の不機嫌が、全部自分のものだなんて思うの、やめたほうがいいわよ」
胃かむかむかする。詰まってしまった空気のかたまりを吐き出すように、歩夢は言葉を絞り出した。
「私にはくれないってわけ」
不機嫌という感情ですら、自分には送る価値がないのか。
「ふざけんな。満はお姉がほしいんじゃないの?りんごは友達が欲しいんじゃないの?なんで興味ないようなことばっか言うんだよ」
自分には奪うことも与えることも出来ないのか。
「だったちょうだい!最初から、全部いらないくせに!」
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