秘密主義

 由香は閲覧用の端末でポータルサイトの天気予報を眺めてため息をついた。

「やっぱ明日台風来るかな」

「難しいところですね。今日の深夜から始まって朝方がピークの予報ですが、場合によっては明日に響くかもしれません」

 千鶴は淡々と答える。朗読会に関してはこいつが言い出しっぺのはずだが、惜しくはないのだろうか。二人は閲覧室を出て、掲示板の前にあるベンチに座った。

「んで、結局なにがあったわけよ、昨日。さすがに空気おかしくて肩こるわ」

「秘密は秘密です」

「あたしが秘密にすればいい」

 千鶴はついと視線をそらし、正面を向いた。会話を打ち切ったようにも見えるが、一度落ち着いて由香はその横顔を観察した。これは案外、押したらどうにかなるかもしれない。

「聞いてどうするんですか?」

「ちょっかいかける」

「困りましたね。私、ゴシップは趣味じゃないんです」

 千鶴がいるのと反対から声が聞こえたので、由香はなかば呆れながらそちらを見た。案の定、森智里が面白くもなさそうにカメラをいじっている姿があった。

「あんたは結局何者なん?」

「しがない新聞委員の森智里です。あしからず」

 千鶴が乗り出して智里を見る。

「でも、森さんは暴露の現場にいなかったですよね」

 『暴露』という言葉を漏らした千鶴は、しまったと言うように眉をひそめた。

「私の耳は少し特殊でして」

 智里はおでこがくっつくぐらい由香に顔を寄せた。

「実は私、ロバの耳なんです」

「なんのこっちゃ」

 由香は毒気を抜かれた気分で千鶴と向き直った。

「まあ、だれが関わっとるのかは大体分かっとるねん」

 由香は指折り数えた。

「当てたろか。美咲と、満と、それからりんごと夏帆やろ」

「一人だけハズレです」

 智里が言った。

「ほな、美咲はハズレか。あてられてるだけか?珍しいな」

 千鶴が戸惑いを含んだ目で由香を見た。

「ハズレは満です。彼女は無関係ですよ」

「それはウソやろ。あいつ結構落込んでるやん」


 ++++++


 朗読会に使うホールを見下ろす位置に音響操作室がある。満はマニュアル片手に装置をいじりながら、智里の報告を聞いていた。

「それで、まさか監督役のことなんか話してないでしょうね」

「必要が無いのでしていません。ですが、監督役にはその権利があるんですよ。仲人のように不自由ではないのです」

「うらやましいわ。どうして監督役だけがそんなに自由なのかしらね」

 協定の監督役というのは、ルールに従って姫百合協定が運用されるように仲人と協力し、ときにはストッパーとなる役職のことだ。智里が監督役についたのは今年の四月だが、彼女はずいぶんと慣れた様子でしゃべる。

「秘密主義者は良い参謀にはなれない。彼らは秘密をもっているだけで人より多くの情報を持っていると錯覚するからだ」

「誰の言葉?」

「誰でしたっけ?私、その言葉を誰が言ったのかは重要視しないんです。言葉の本質に関わらないので」

「あなたが新聞部じゃなかったら、もっともらしく聞こえるんだけどね」

 智里は小窓をのぞき込んだ。満の位置からも舞台に歩夢がいるのが、遠く見える。座席の側にいるのは、りんごだろうか。

「悔しかったらあなたも全部吐いてしまったらどうですか?正直私には、いまのあなたたちはひどくじれったく見えています」

 智里が機械を操作すると、マイクのスイッチが入った。こちらの声があちらに聞こえるわけではない。あちらの声がこちらに聞こえるだけだ。

「仲人の正体、協定の内容、そもそも誰が協定を結んだのか、それだけでも正直に共有すれば、まだ状況は分かりやすかったと思いませんか?」

「思わないわよ。それだけじゃ消えない問題が、いくらでもある」

 仲人が分を超えた行動に出るのを防ぐのは監督役の重要な役目の一つだ。積極的に仲人の干渉をあおるようなことを言うのは、お門違いも甚だしい。

「どっちにしてもよ、仲人が守秘義務を破って干渉するのは、特権を裏切ることになる」

「本当に?」

「私が決めることじゃないのよ。知ってるでしょ」


 ++++++


 ブツブツと騒がしいノイズに続いて、歩夢の声がホールに響いた。

「あー、あー、ただいまマイクのテスト中。いや、そんなん知ってるっつーのね」

 りんごは座席の間でその声を聞きながら、片手を挙げた。聞こえているというサインだ。歩夢は頷くと、再びマイクを口に当てた。予定と違う行動だ。

「りんご、ごめん。うちのバカ姉が」

 歩夢の声はスピーカー越しに増幅されている。

「でもね、りんご。分からないかもしれないけど、私、怒ってるよ。私が知らないところで、夏帆はともかくお姉に相談するなんて」

「だって、歩夢に損させたくない」

 りんごの地声は遠いステージの上にいる歩夢には届かない。悪質な比喩だ。歩夢は続けた。

「しょうがないか。結局私は、誰のことも自力で手に入れていない」

 違う。りんごは心の中で否定した。歩夢に何も話していないのは、それが無駄な負担だからだ。解決しない、ただの悲劇を歩夢に話せば、彼女にもそれを背負わせることになる。その行動で得する人は誰もいない。損が一方的に増えるだけだ。

 だから、その選択肢は、初めからりんごの中になかった。

 歩夢はステージを降りてりんごの方に歩いてきた。声が届くようになると、こんどは気力が萎えてしまって、りんごは結局歩夢に反論できなかった。

「りんご、協定を結ぼう。私は夏帆の友達で居ることを誓うから、りんごは私に隠し事とかするのやめてよ」

「なんでもかんでも協定にするの、感心しないわね」

 歩夢が声の主を探して顔を上げた。つられて上を見ると、キャットウォークに満が現れた。

「そんなの、満に言われることじゃないし」

「確かに、仲人が言うことじゃないわね」

 歩夢の表情が複雑に変化した。りんごにしてみれば今更の話であるし、満自身はもっと飽き飽きしている流れだろう。興味もなさそうに生徒手帳を見せた。

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