カミサマの正体

 罰が当たったのかもしれない。

 三原満は、赤いママチャリの前にしゃがみこんでいた。左手の人差し指にできた真一文字の傷からは、赤い血が滲んでいる。


 公民館に併設された運動公園の掲示板を見に行った満は、予定よりも大幅に時間をかけて戻った。由香から借りた自転車をパンクさせてしまったので、みじめな気持ちでそれを押して戻った。八ヶ瀬高校のメンバー達に囲まれた満は、すぐさま自転車の修理に出かけることを申し出た。

「私が行く。ミスしたのは私なんだし」

 しかし、由香が強引にハンドルに手をかけた。

「かまへんて。あたしのチャリやし、自転車屋の場所も知っとるし」

「でも」

 由香は満をじっと見つめてから拳を揺らした。

「最初はグー」

 反射的に目で追った満を無視して、彼女は続けた。

「じゃんけんホイ」

 由香の手はパー、満の手はグーだった。

「ボードゲームはせんのに、じゃんけんはやんのな」

 それは、どういう意味?言葉を迷った満をよそに、由香は話を進めた。

「あたしが勝ったから、あたしの好きにしてええな」

 返事を待たず、由香は去った。どうせ、由香の方が負けたら罰ゲームで自分が行くとでもいうつもりだったのだろう。


 ++++++


 どこかから借りてきた消毒液を持った夏帆が立っていた。こちらに声をかけるわけでもなく突っ立っている様子に戸惑いながらも、満は口を開いた。

「大丈夫よ、そんなにひどい傷じゃないから」

「ダメです。傷口から菌が入ったら指を切り落とすこともあるんですよ」

 妙に頑固な夏帆に押し切られ、傷口を消毒してもらい、絆創膏までわけてもらった。

「大丈夫ですよ。人生、悪いことばかりじゃない」

 夏帆は満の指を撫でた。夏帆の手が少し傷に障ったが、満はそれを表に出さなかった。

「不公平なことってあるじゃないですか、世の中。でも、それは今だけで見てるからなんです。長い目で見たら、きっと『カミサマ』がうまく収まるようにしてくれるんです」

 つい昨日りんごからも同じような話をされたなと、皮肉な気持ちで考える。運を引き寄せるコツなるものを、結局聞きそびれてしまった。

「ね、美咲先輩も知ってますよね。私、すごいなって思って。友情の証も、なくなっちゃったけど、美咲先輩もりんごちゃんも、私に戻ってくるようにしてくれた」

「それは違うよ、夏帆ちゃん」

 美咲は奇妙にまっすぐな目で夏帆を見ていた。それは昨日りんごに対して見せた不器用な態度に似ていた。

「神様がくれたわけじゃないんだよ。ひとりでになんとかなったわけでもない。ずっとりんごちゃんが君のこと守って、苦しんでたんだ」

 じっと美咲の言葉を聞いていた夏帆の表情が曇った。

「苦しんでた?」

「ずっとボランティアで夏帆ちゃんに付き合ってたってこと」

 歩夢と千鶴は戸惑いながら言葉を交わす二人を見比べていた。

「だから、返そうとしてるじゃないですか。私だってそこまで鈍くないです」

「りんごちゃん、私なんか要らないってさ」

「先輩、私のこと嫌いなんですか?」

「話がごっちゃになってる」

 人差し指に巻かれた絆創膏にはもうすっかり血が滲んでしまっている。一度ガーゼに張り替えた方が良いのではないかとも思ったが、夏帆の前でそうするのはためらわれた。

「りんごちゃん本人から聞くまで信じません」


 ++++++


 歩夢は夏帆を追いかけて駐車場までやってきた。満もついてきている。案内板の配置を確認していたりんごは、三人の剣幕に驚いた様子を見せた。

「りんごちゃん、一個訊きたいんだけど」

「……仕事のことじゃないよね」

「りんごちゃん、美咲先輩のこと好きなの?」

 その言葉でりんごは何かを悟ったようだった。歩夢はついさっきの美咲と夏帆のやりとりを思い出していた。

「なんでそんなこと訊くの?いままでずっと言葉に素直だったじゃん」

 夏帆の表情は定まらず、口に入れたものをどうしても飲み込めないように動いた。

「嘘なんだ」

 嘘なんて、別に良いじゃないか。場違いだと自覚しながらも、歩夢はすねた気持ちになった。こっちの知らないことで喧嘩するなよ。まして姉のことで。

「嘘をつくのは悪いことだよ」

「嘘をつかないといけないように相手を追い込むのは、悪いことじゃないの?」

 夏帆の両手がりんごの右手を包んだ。

「私が悪者だって言いたいの?」

「言いたいよ。いままでずっと言いたかった」

 夏帆の口が油の切れたロボットのようにぎこちなく動く。りんごは夏帆の指を剥がして目を合わせながら距離を取った。

「ごめん。私、職員の人に報告があったんだ」

 りんごは一段高くなった駐車場から飛び降り、下の歩道を歩いて行った。夏帆はその縁に駆け寄り、しかし飛び降りはしないでとどまった。歩夢はりんごと夏帆を見比べ、迷った。

「りんご、待って」

 りんごは背を向けたままゆっくりと言った。

「夏帆と私、お守りが必要なのはどっちだと思う?」

 お守り、だってさ。その言葉は自分で思う以上に歩夢を動揺させた。

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