どっちが好き
事務仕事のために割り当てられた部屋には、満の他に歩夢と千鶴が残っていた。ひときわ早い千鶴のタイピング音がやんだかと思うと、ぽつりとした声が聞こえた。
「もしかして、酒匂さんと小山って豊島小ですか?」
「そうだったかも」
答えたのは歩夢だった。それがどうかしたの?と目顔で訊いている。
「私も豊島小出身なんですけど、低学年の頃、エリオットの絵本は順番待ちが出るくらい人気だったんです。それと同じくらい人気の絵本がもう一つあって、それが『アイシャのお城』でした」
意外なところから答え合わせがはじまり、満も思わず手を止めた。
「私のクラスではそんなに大きな話題にはなりませんでしたけど、人によってはどっちが好きかで結構いがみ合いもあったと聞きます」
「絵本が好きな同士くらい仲良くすればいいのに」
「私に言わないでくださいよ」
歩夢は両手のひらを見せて降参のポーズをとり、苦笑いした。
「まあ、本質以上に意固地になっているような子供が多かったのは事実でしょうね。そんな事情を知ってか知らずか、図書委員主催でどちらが人気かの投票がありました」
「どっちが人気だったんですか?」
「確か、『エリオット』の方だったと思いますけど。まあ、それはあまり重要ではないかもしれません」
++++++
美咲とりんごは図書館を出て、休憩コーナーまで歩いて来た。袋詰めになっているとはいえ、飲食物を書庫に持ち込んでいるのは気持ちが悪い、とりんごに言われた。
「それで、りんごちゃんはどっちが好きだったの?」
「そんなことが気になるんですか?」
『カエルのエリオット』と『アイシャのお城』の二つの絵本を巡るいさかい。りんごはその話を大げさに受け取られるのを嫌っているようだが、先ほどの夏帆との様子を見せられてそれを気にしないでいるというのも無理な話だ。
「そうじゃなきゃ、オチがない」
「分かったことにしたいだけのくせに」
それの何が悪いのか。美咲は内心開き直って、りんごの次の言葉を待った。
「じゃあ聞きますけど、先輩は『エリオット』と『アイシャ』のどっちが好きなんですか」
美咲は言葉に詰まった。りんごは『ほらね』という顔をした後、悔しそうに顔を背けた。だとすると、りんごが選びたかったのは、やっぱり『アイシャ』だったのではないかと、美咲は思った。
「読ませてよ。私きっと、『アイシャ』好きだと思う」
りんごは美咲の目を見て、「嘘つき」と言った。目を見て繰り返すことでより深く美咲を傷つけることができるのだと信じているみたいに、もう一度はっきり言った。
「嘘つき」
++++++
職員に報告をする用事があるとかで、歩夢が部屋を出た。二人きりになると、千鶴の態度が少し変わったのを、満は感じた。
「今日の件、酒匂さんと小山さんの協定に、関係があるんですか?」
満は舌を出した。
「仲人には守秘義務と不干渉の原則がありますから」
実際のところは、満には分からない。協定を結んだはずの夏帆がそれを反故にするのではないかとひやひやした局面はあったが、それだって本来仲人が気にするべきことではないのだ。けれど、
「湊こそ、酒匂さんに事情を聞いてるんじゃないの?あの子に仲人のこと教えたの、あなたなんでしょう?」
「私は普段から不干渉の原則を守っているので」
心の中で苦笑いし、満は作業に戻ろうとした。千鶴ならそこで会話を打ち切ると思ったのだが、意外にもそれは続いた。
「満は、協定というのはなんだと思いますか?」
「姫百合協定についてということなら、言ってしまえば交換条件よね。約束。あれをする代わりにそれをやってくれという強制」
「私は、線引きだと思いました」
仲人として知り合った人間とは別に、元から知り合いだった千鶴とこうして仲人としての会話をするのは不思議な感じだった。催眠術かなにかにかかったまま言ってはいけないことを言っているような錯覚に陥る。
「線引き?」
「小さな借りで延々と見返りを引き出されないようにするための制約、というか」
千鶴って、そういうことを考えているのか。多少不思議な思いで、満はその言葉を咀嚼した。
++++++
用事を済ませた後、歩夢は森智里に出会った。『アイシャのお城』の絵本を読んでみたかったのだが、あるはずの場所にそれがなくて首をひねっていたところにふらりと現れたのだ。
「誰か来るような予感はしていましたが、あなたでしたか」
何やら意味深な言葉に、からくりでもあるのかと思ったが、智里はあっさりそれを否定した。
「本はきっと、誰かが閲覧中なんでしょう。でも、あらすじなら分かりますよ」
「ずいぶん都合がいい」
などと、おどけるのもほどほどに聞いてみた絵本のあらすじは次のようなものだ。
主人公であるお姫様のアイシャは、魔術師が人間の善意の貸し借りを記録した帳簿を見つける。姫として生きてきた人生には大きな貸しがあると感じたアイシャは、それを返すための旅を始める。その中でいろいろな形の人間関係、貸し借りのありかたに触れたアイシャは、彼女なりの結論を出す。
ふむふむと頷きながら聞いてみたものの、智里の記憶では曖昧な部分もあり、結局のところはよく分からなかった。もともと、具体的な何かを期待していた訳ではない。
「そういえば、私も本来の持ち主に返せていないものがありましてね。ここの落とし物として届けても良いんですが」
言いながら、智里は無造作にポケットから何かを取り出した。それは見覚えのあるカエルのマスコットだった。
「嘘」
「嘘と言うのは、口からでまかせ言うものです。ポケットから出すものではありません」
歩夢は問題のマスコットのことを頭の中で数えた。一つは美咲のものだ。これは結局夏帆のもとには渡らず美咲がまだ持っているはずだ。もう一つは夏帆のものだ。これは一度なくなったが、りんごが見つけて夏帆に渡した。最後の一つはりんごのもので、これはずっとりんごが持っているはずだ。
「智里さん。これ、どこで拾ったの?」
「クスノキの下です」
「どこの!」
智里はなぜか面倒くさそうな顔になり、それでも答えた。
「金柄神社のクスノキですよ。お祭りの日に、落ちていたんです」
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