本当の協定

 朗読会が開かれるホール群と併設された噴水公園との間、獣道のなかに取り残されたように東屋がある。酒匂りんごは緊張した気分で三原満を見た。満はちらりとあたりに目をやってから、手元の生徒手帳に視線を落とした。

 隣に立っていた夏帆が、不安そうにりんごを見た。本当にこの人が仲人なの?という目線。それについては、りんごだって千鶴から聞き出しただけで、確たる証拠を持ってはいない。満は証拠として生徒手帳に取り付けられたリボンを見せたが、そういったものに対する情報だって、千鶴に聞いたものしかない。

「それでは、これより姫百合協定、締結の儀式を始めます。お手元の生徒手帳への記入は終わりましたか?」

 満が仲人としての声を出し、りんごの意識は現在に戻った。りんごと夏帆の二人が生徒手帳を差し出し、満は頷いた。

「まって」

 夏帆がぐずるような声を出した。彼女はりんごに目で訴え、右手を差し出した。

「りんごちゃん。手を握ってて」

 りんごは夏帆に従って、右手を差し出した。

「これで、お願いします」

 それでは、と満が促した。夏帆がすっと息を整えた。

「私、小山夏帆は、立花公民館で開催される朗読会に参加し、朗読をやりとげることを誓います」

 夏帆の右手がぎゅっと握り込まれた。次を。早く、早く。

「私、酒匂りんごは、小山夏帆の朗読に拍手し、アンコールを要求することを誓います」

 途中で夏帆の手がもう一度握り込まれ、思わず声が裏返りそうになった。そんなりんごの事情を知る由もなく、満が頷いた。

「この協定は、当人同士の名誉によってのみ成り立ちます。仲人はその内容に対して、強制力や責任を負うものではありません」

 法律を読み上げてるみたいだな、と思った。

「それでは、『協定の証』の交換を行います」

 二組はあらかじめ机の上に置かれた『証』を手にとった。やっと夏帆の右手から解放され、りんごは安堵した。夏帆はカエルのマスコットを差し出した。金柄祭りの日にりんごから手渡した『エリオット』だ。りんごはモミジの模様が刻まれたメダルのキーホルダーを取り出した。金具のあたりに、申し訳程度に赤いリボンが結ばれている。それが『アイシャお城』に登場する小道具だと、夏帆はきっと知らないだろう。二人は『証』を交換した。

「お疲れ様です。これで姫百合協定は結ばれました。」

 りんごは息をついた。

「りんごちゃん」

 夏帆が歩み寄り、りんごに抱きついた。不思議と、手を握ったときほどの嫌悪感はなかった。夏帆が離れると、りんごは乱れた前髪を整えた。

「頑張って、夏帆」

「うん」

 りんごは両手を体の後ろに隠し、右手を左手で包み込んだ。感触が残ったらどうしてくれる。

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