勲章みたいに

 千鶴に飲み物でもおごってやろうかと考えた由香は、自分でそれを打ち消した。そういう気遣いを千鶴が嫌うことは、だんだん分かってきた。通路から奥まった場所にある自動販売機に無為な視線を送った由香は、そこに見知った人影を見つけた。気遣いの嫌いな奴がもう一人。由香に気付いたりんごは、軽く手を上げて挨拶すると、買ったばかりらしいコーラと由香を見比べて、微笑んだ。

「ちょうど良かった。これ余ってたんですよ。先輩、もらってくれませんか?」

 どういうことになったらそんな余りかたをするのか、訊くのが本当なのかもしれなかったが、由香はただそれを受け取った。

「なんや気前良いやん」

「お返しですよ。この間の」

 由香は多少あきれて、ペットボトルを慎重にゆらした。

「湊先輩のこと、心配ですか」

「心配?あたしが?」

「違うんですか?……だったらもしかして、協定のため、とか」

 ペットボトルの蓋を開ける由香の手が止まり、空気の抜ける間抜けな音が響いた。

「わかりますよ。二人そろって赤いリボンの腕時計を付けてるんですから」

 指さされた腕時計を眺めてみてから、由香はコーラをあおった。どう考えても一気に飲むには多い量を喉に流し込む由香を見て、りんごは慌てた。由香は無視して、適当なところで口を離した。

「あたしな、炭酸苦手やねん」

「なんで飲んでから言うんですか……」

 それで一発景気付いた気分になり、勢いに任せて、しかしぽつりと由香は言った。

「りんご、あんた下手やな」

「普通に渡しても受け取ってくれないじゃないですか」

「そういうやつとちがくて」

 哀れにも逆さまにされたペットボトルの中で、残り少ないコーラが蓋の方にたまる。

「あんた、夏帆をビリにしたくないんやろ」

 蓋が閉まっているので、当然中のコーラはこぼれない。由香はそれを不思議な気持ちで眺めた。りんごが眉をひそめて、やや真面目な顔になる。

「そうですよ。夏帆、かわいそうで見てらんないから」

「りんご。あんた、夏帆のナイトになるつもりなんか?」

「だったらいけませんか?」

「あの子がお姫様やったらそれでもええかもしれんけどな」少し言葉を選ぶように間を取ってから。「お宝かなにかと思ってるんちゃうかと思ってな」

 りんごは由香からペットボトルを奪い、残りを飲み干した。

「嫌いなんですよね、炭酸?」

 ゆっくりと首を縦に振った由香の仕草をりんごがどう受け取ったのかはわからない。りんごはペットボトルを備え付けのゴミ箱に捨てた。

「なんで、そんなに言葉に素直なんですか?」

「当たり前やろ。いつ嘘をつかれるか分からない、なんて考えながら生きてないよ。そういうのが社会の約束やんか」

 とりあえず返事をしてから内容を消化して、由香は改めて身を乗り出した。

「あのな、コレが一番不思議やねんけど、誤解されたくないんなら、本当のことを言ったらええやん。こっちが訊いてるうちに、答えたらええやん」

 本当のこと、とりんごは口の中でつぶやいた。

「友情って、協定みたいだと思いませんか?軽い気持ちで結んでしまうと、自分だけの都合で取り消すことはできない」

「ケンカでもしたんか」

「喧嘩なら良いですよ。お互いに喧嘩をしたことは知ってるじゃないですか」

 由香は自動販売機の前に立ち、小銭を投入した。並んだ商品を選びながら、とんとんと指でリズムを取ってみる。

「贅沢やんな。こっちが気い使っても、勝手に嫌ってると思い込まれることもあんのに」

「千鶴先輩のことですか」

「大ハズレ」

 ボタンが押され、ゴトリという音と共にウーロン茶のペットボトルが吐き出された。

「それ、自分で飲むんですか?」

「千鶴に断られたらそうする」

 りんごに分かるわけがない。由香のことで、りんごが知ってることなど本当に少ない。ついさっきのりんごとの問答を皮肉な気持ちで思い出しながら、由香は背を向けて歩いた。


 ++++++


「というわけで、私はこの『そよの金魚鉢』を推薦します」

 通販番組よろしく千鶴が表紙を見せる絵本に、一同の注目が集まった。

「日本の昔話のようにも思えますが、そう考えると奇妙な描写も多く、無国籍な話にも思えます。寒村に嫁いできた『そよ』が持ってきた嫁入り道具は、金魚鉢だけでした。海藻の一本もなく、ただ砂利と水が入っているだけの鉢に、そよは毎日己の髪を一本差し込みます」

 りんごに夏帆に満に由香、相変わらずの顔ぶれのなか、誰かがつばを飲んだ。

「そもそも、髪が水面に浮かばないのがおかしいのです。それは毎日砂利の間に沈みました。そして、そこに溜まる様子もなく、いつの間にか消えているのです」

 千鶴は閉じたままの絵本の表紙を撫でた。それがなんだか呪術めいていて、りんごには一層不気味に感じられた。

「しばらくすると、村で不思議な事件が起こり始めました。犬やニワトリが姿を消し始めたのです。詳細は省きますが、ある日ついにそよの義母が姿を消します。夫はそよを問い詰めたあげく、首を絞めて殺してしまいます。残った鉢はたたき割られ、そよと一緒に埋められました」

 りんごの隣の満は、心なしか瞬きの回数が多い。

「ところが三日後、そよの義母、つまり夫の母がひょっこり返ってきます。ただし、金魚鉢を持って」

 由香は強がるように苦笑いを浮かべている。

「夫の母親は毎日自分の髪の毛を金魚鉢に差し込みます」

 千鶴が口を閉じると、しばらく絵本を撫でる手だけが動く時間が過ぎた。由香が沈黙を破った。

「それで、続きは?」

「これで終わりです」

 ずっと黙っていた夏帆がおずおずと手を挙げた。

「あの、これってもしかして、怖い話ですか」

「なんやと思っとったん?」

 その突っ込みをきっかけに、おのおの座っていた椅子を立ったり、体をひねったり、緊張をほぐしはじめた。夏帆は納得いかない様子だ。

「そんなのやったら駄目でしょう」

「そうでもありません。第四十六回には怪談が二つありましたし、第四十二回にも二つ、四十七回は四つもありました」

 夏帆は渋い顔になった。

「とにかく、やりたくありません」

 朗読会への夏帆の参加を申請したのは数日前のことだ。そして、つい二時間程前、参加が許可された旨の連絡があった。ただし、条件が一つ。夏帆が申請したエリオットの絵本は、他のグループがやるものと被っているということで、やめるように提案されたのだ。

「ごめん、りんごちゃん」

 あやまることじゃないだろう、と考えながら、りんごは絵本の山からひとつを手に取った。何から手を付ければ良いのか分からず、五人でかき集めた候補の本だ。五人、と言っても、夏帆はほとんど本を集めていなかった。

「でもさ、最初からそういうことになってるんだよ。拍手をもらえるのは、あっちの人たち」

 突っかかるように投げつけられる夏帆の言葉は、謝っているのにもかかわらず、自分を責めているように、りんごには聞こえた。


 ++++++


 ばい菌の入った傷口の、ひどく化膿した症例の写真を、りんごは見ていた。

「やめなよ。りんごちゃん、怖い写真ダメなんでしょ?」

 夏帆はこちらを見ようともしないで言った。いつの頃の話だよ、と言う代わりに、りんごは言った。

「中途半端に見るから余計頭に残るんだよ。じっくり見れば、そのうち慣れてなんだこんなもんかって思うようになるんだって」

 今回の朗読会では各グループから最低二人が安全委員という役職になり、怪我などのトラブルを予防したりもしものとき担当の職員との連携をとることになっている。りんごたちのグループからは夏帆が担当として選ばれていたが、彼女が朗読会に参加することになったため、後からりんごと合わせて二人体制をとることになった。

「あのさ、アンコール、するよ」

 夏帆の青い顔に、不思議そうな表情が浮かんだ。二人は先ほど職員から消毒液や絆創膏の場所を教わったばかりで、夏帆はまだメモ帳とシャーペンを持っている。

「今から二枠にはできないけどさ、内輪だけで、アンコールしようよ。そこで『エリオット』を読めばいい」

 夏帆の後ろに、充血した眼球の巨大な写真が見える。あれは一体何を警告しているのだろう。

「それ、約束?」

「ううん。協定」

 どくどくと不安定な心臓の音を、りんごは一人で聞いた。

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