赤いリボンの生徒手帳
サイコロが転がり、テーブルの周りでそれぞれの一喜一憂を含んだ声が上がる。
「夏帆、あんた開拓地を増やす気なんか?」
「いけませんよ小山さん。こういう誘導尋問に答えるのは」
「ローカルルールがあるんなら先に言っといてくれる?あたしのいたとこじゃ、手の内さらしたうえで交渉するんがおもろいと思っててんけど」
由香と千鶴の言葉を聞きながら、満は『開拓地』や『街道』を眺めた。空き時間が出来たため、満達は公民館に置きっぱなしのボードゲームを使って遊んでいるのだ。手番である由香が、資源と呼ばれる手札の交換を夏帆に持ちかけている。満は手持ち無沙汰に説明書きを眺めた。
「ゲームの仕組みとしてはそうなんじゃないかしら?自分の持ってる資源もずっと表に出てる訳だし、本人が黙って何かやろうとしても、賢い誰かが気付くわよ」
「満みたいにか?」
「そうそう」
やや皮肉めいた由香の言葉を正面から受けて、満は答えた。プレイヤーとして盤面に向かっているのは由香、千鶴、りんご、夏帆の四人であり、言ってしまえば満が口を挟むのは岡目八目だ。
「ねえ、りんごちゃん」
他の顔ぶれから逃れるように、夏帆が左隣のりんごに身を乗り出す。どこか上の空のりんごは、見た目には自分の手持ちの資源とにらめっこしながら夏帆に返事をした。
「いいんじゃない?夏帆は開拓地を作りたいんでしょ?夏帆自身の損得としては悪くないと思うけど」
千鶴がりんごをちらりと見たが、結局は静観することに決めたようだった。夏帆は由香と資源を交換し、次の自分の番で開拓地を建てた。時計回りに順番が回り、りんごがサイコロを回した結果、鉱石カードが各プレイヤーに行き渡り、りんごと千鶴がそれぞれに何かを察した。
「じゃあ次は私の番ですね。木材四つを煉瓦と交換します」
「良いんですか?木材なら二つあれば私は煉瓦を出しても良いですよ」
千鶴の言葉に、りんごは視線を向けた。千鶴は続ける。
「次に麦が出たらこの人が上がりですよ」
「えっそうなの」
この人、と千鶴が指さした由香を見て、夏帆が驚きの声を上げる。りんごは続きを引き取った。
「私が木材渡したら湊先輩は最長交易路になる気ですよね」
「そうですけど、私の損得より、自分の損得を考えてみては?」
夏帆は目を白黒させながら千鶴とりんごを見比べていた。りんごはすねた子供のようにむっつりと自分の手元にある資材を並べ替えている。満から見て、それは時間稼ぎのようにしか見えなかった。そうしていれば騎兵隊は来るのかしら。心の中でつぶやいた満は、次の瞬間には口を開いていた。
「結局湊は、自分の戦略を隠すのはやめたわけ?」
「私ですか?」
千鶴はちらりと由香を見た。指摘されているように『あがり』が見えている由香はにやにやと面白そうに他のプレイヤーのやりとりを眺めている。千鶴は後生大事に掲げていた煉瓦の札をおいた。
「分かりました。この回ではこれ以上口出ししません。酒匂さんにおまかせします」
結局、りんごは千鶴の申し出を断り、由香はゲームに勝利した。
「なんや、お節介な奴が多くてかき回されたな」
全員で片付けをする間、由香はにやにやと夏帆に声をかけた。
「そうですよ。そうやって振り回すの、やめてください」
「ごめん。でも、足を引っ張ろうと思ってやったわけじゃないよ?」
「全部指示通りにやって勝っても嬉しないやろ」
夏帆はいらいらと、満と由香の二人の顔を見比べた。
「そもそも、なんで勝ちたい前提なんですか?」
「じゃあ負けたいんか?」
それじゃまるで『酸っぱいぶどう』だ。夏帆は首を横にふった。
「負けるのは嫌に決まってるじゃないですか。だからって勝っても嬉しくないんです。いや、勝てないんですけど」
「恥をかかずに乗り切りたい」
千鶴がポツリと口にした言葉に、夏帆は首を縦にふった。
「そうです。普段から恥かいてばかりなのに、わざわざこんなゲームでまで追加で恥かく意味がわからないです」
夏帆はカードを納めた容器の蓋を、ぱちんと閉めた。
++++++
湊千鶴は、吹き抜けに面したベンチに座り込んでいた。頭痛の巣くった右目の上を軽く小突くと、気休めにはなる。そのまま千鶴はつぶやいた。
「別に、平気ですよ」
ぶらぶらと歩いていた由香は、気にしたふうもなくそのまま千鶴との距離を縮めた。
「そう。べつにどっちでもええわ」
強がる子供をなだめてすかすような言葉だった。千鶴は自分がますますむきになるのを感じた。ゲームの後具合の悪くなった千鶴は、広い場所で休むことを皆に告げて、返ってくる質問にろくに答えることもなく、逃げるようにここにやってきたのだ。はっきりとは言わないが、由香は様子を見に来たのだろう。
「分かっていると思いますけど、私自身のことを訊くのは協定違反ですよ」
「協定もどきな」
由香と千鶴は視線を交わしたが、自分がどんな顔をしているのか、千鶴には分からなかった。
「それ思うねんけど、破ったらどうなるん?」
「私からの信頼を失います」
「ウケる。そんな安くてええんか」
「それからこれも、互いに返す必要があります」
千鶴は手首の腕時計を触った。由香の手首にも同じものが留められている。
「もどきでも?」
「もどきでもです」
真顔で言ってから、千鶴は息をついた。
「ただの貧血です。ゲームをやってる間、普段より多くしゃべったからこうなってるだけですよ」
「普段どんだけ人と話してへんねん」
由香は一転してげんなりした顔をした。
「ですから、私自身のことを訊くのは協定違反です」
「今のは質問やなくて感想」
由香は人差し指で千鶴の頭をつつき、立ち上がって背を向けた。そういうフルコンタクトなコミュニケーションも苦手なのだと、宣言してやれば良かっただろうか。
由香と入れ替わるようにして、満がやってきた。
「よく分からないわね。あんな協定を結んでおいて、こんなに親しく話すなんて」
「何か自己分析じみたことを言った方がいいですか?」
「どちらでもお好きなように」
満がなぜ件の協定もどきのことを知っているのか気にはなったが、なんとなくそれは放っておいてもいいような気がした。満は片脚にかけた体重を反対の足にかけ直して、上着のポケットから生徒手帳を取り出した。
「湊はさ、本当に協定を結ぶつもりがある?」
「もしあったら、何をしてくれるんですか」
「私が仲人になってあげる」
満は手帳を開いてみせた。栞紐の先に赤いリボン型のバッヂのようなものが留められている。
「そうすれば本当の協定になるんだけど、どう?」
「せっかくですが、間に合ってます」
「そう」
満は小首をかしげて、おもしろくもなさそうに栞紐をしまった。隠すには結構かさばる代物らしい。
「一応協定の意思はあると見なしてるから、気が変わったら教えてね」
手帳をしまった満は、そのまま少しとどまっていた。千鶴は考えをめぐらして、かける言葉を選んだ。
「満、髪切りました?」
「切ってないわよ」
満は奇妙なものを見る顔になり、首をひねったまま何処かへ引き返した。
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