遅すぎた英雄

 朗読会の飾りを作るため、歩夢とりんごはリストにある本を読んでいた。せっかくなのでそのなかからモチーフを選んで飾りを作っていくという訳だ。

「夏帆は?」

「あれ、知らなかったっけ?あいつは今日、真奈美ちゃんとデート」

 知らない。デートのことも、真奈美ちゃんという人のことも。しかしなんだか質問する気にもなれず、歩夢は曖昧に会話を流した。りんごもりんごで、さほど気にした様子もない。りんごはあぐらを組んだ足に絵本を乗せて、開いた頁をじっと見つめている。

「なあ、歩夢。この本って、怖くないか?教訓話みたいにしてるけど、旅人がたまたま干し柿を持ってなかったらアウトじゃん」

 それは昔話の本で、孝行息子がある事情で鬼に因縁をつけられる話だった。孝行息子は結局、縁あって手に入れた干し柿が鬼の弱点であることを知り、難を逃れることに成功する。

「もともとは教訓とか関係なかったんじゃない?昔話ってそういうもんじゃん」

「最近のお話だってさ、そういうのあるよ」

 歩夢はりんごの髪がいつもより低い角度で結ばれているのを眺めた。しかし、妙な空気の原因はそんなことではないはずだ。

「りんご、なんか祭りの日から変じゃない?」

 夏帆の落とし物を捜しに行っていたりんごが歩夢と再会したのは、美咲たちが帰った後だった。輪投げをする夏帆を遠巻きに見ながら、りんごは大まかな事情を確認した。りんごとのやりとりを、歩夢はまだ覚えている。

「そっか。先輩が代わりにくれたんだ。それじゃ、もういいのかな」

「りんご?」

 シャツの袖から飛び出した前腕を、提灯の光が照らしていた。

「夏帆もりんごも、変だよ。小さい頃から宝物にしてたんでしょ?約束の証にしてたんでしょ?代わりがもらえたからはいそうですかで済むわけないじゃん」

 歩夢はりんごの手に例のマスコットがあるのを見た。

「それ、りんごの?」

 りんごは考え事でもしていたのか、少し呆けた表情をしてから、口を動かした。

「違うよ。これは私のじゃない。これは夏帆のだ」

「なんだ、あるんじゃない。バカなりんご。あんなアホ姉に遠慮することなんかないからさ、ちゃんと夏帆に渡してきなよ」

 結局りんごは夏帆にマスコットを渡し、歩夢は美咲のマスコットを姉に返した。それでよかったのだと、歩夢は自分を納得させる。だって、歩夢に他の選択肢なんてなかったはずだ。


 ++++++


 真奈美の細い指がナイフとフォークを動かす。夏帆がそれをずっと見つめていると、視線に気付いた真奈美が、不器用に微笑んだ。その優しさが、夏帆は好きだった。真奈美が夏帆の前に現れたのは、夏帆が中学一年生の夏のことである。しばらくして、真奈美は夏帆の母親になったが、夏帆は彼女を姉か何かのように感じていた。

「真奈美ちゃんはさ、昔から、こうなるって思ってた?」

「達之さんと一緒になって夏帆ちゃんのお母さんになるって?全然これっぽっちも想像してないよ」

 達之は夏帆の血のつながった父親で、真奈美の今の夫だ。

「なんか、わかるよ。私もお母さんいなくなっちゃったけど、だから真奈美ちゃんと会えた」

 真奈美は先を促すような表情をした。一発で伝わらなかったことにわずかな失望とつまずきを覚えながら、夏帆は説明した。

「私ね、全部遅いの。自転車乗るのも、九九のテスト受かるのも、逆上がりできるようになるのも。でも、どれだけ遅れても、どこかで間に合うの」

 真奈美はハンバーグを切り分ける手を止めて、何かを考える顔になった。やはりこれでも伝わらないのかもしれない。考えをまとめるのが下手な夏帆のことを多少なりと理解できるのは、父の達之と友人のりんごだけだ。それでも、真奈美や歩夢はまだ優しい部類の人間だと、夏帆は信じていた。

「そうかもね。どこかでつり合いが取れてるのかも」

 ほら、優しい。夏帆が口元にたれたグレービーソースを拭おうと紙ナプキンに手を伸ばすと、一足早く真奈美の手が届いた。夏帆は行き場をなくした紙ナプキンを、適当に放り出した。


「私ね、これまでずっとりんごちゃんによくしてもらってばっかりで、これじゃよくないと思ったの。だから今度は、私からりんごちゃんになにかあげたいと思って」

「いいじゃない」

「だから先輩をあげたの」

 サラダにコショウを挽いていた真奈美の手が止まった。以前一度真似してみたことがあるが、コショウをかけ過ぎて咳き込んでしまった。

「りんごちゃん、先輩のこと好きだから、きっと喜ぶよ?そしたらね、私がお荷物じゃないってきっとりんごちゃんも分かって、また前みたいによくしてもらえるようになるの」

「りんごって子は、知ってるの?その先輩って人は?納得してるの?」

 夏帆は手を出した。真奈美はまだ納得いかないような顔で、それでも夏帆の意図に気付いてペッパーミルを渡してくれた。

「りんごちゃんね、先輩のこと好きだってはっきり言ってたよ」

 真奈美は複雑な表情で夏帆の手元を見た。夏帆はゴリゴリという感触を感じながらミルを挽いた。前は結局食べきれなかったコショウサラダを真奈美に処理してもらった。真奈美はそれが好きな食べ方なのだから、利害は一致しているはずだ。


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