私の方が昔から

 ひぐらしの鳴き声に紛れて、しゃりしゃりと鳴る金属音がある。それは、満の足首を飾るアンクレットが立てる音だ。

「それでなんでカモが千鶴を誘う流れになるわけ?」

「さあ?本人に訊いてみれば?」

 牧村美咲は、三原満と連れ立って歩いていた。

「鴨川さんが自分を奪おうとしてると思った?」

 美咲はわざとらしく顔をしかめて見せた。

「そうは言わないけど、千鶴と仲悪いんじゃなかったの?」

「私はまだ結構信じてるんだけど」満はいたずらっぽく笑い、美咲を焦らした。「あるじゃない、誰かと仲良くなるために、まずその周囲と仲良くなるって」

 つまり、由香は美咲と仲良くなりたくて、その準備のために千鶴を利用していると。そういう見解なのだ、満は。

「誰かを特別扱いするのってさ、誰を特別扱いしているか知られるのって、怖い?」

 満にとってその回答は予想外だったようで、意外そうな表情が返って来た。美咲は気にすることなく続けた。

「千鶴も大変だね。無関係の人間関係に巻き込まれてさ」

「私の方が、前から美咲のこと好きだったのに」

 しゃりしゃりと鳴る音が止まったので、美咲は振り返らなければならなかった。満はいっそ不思議そうな顔で美咲を見ていた。流石に一瞬驚いたけれど、すぐに『そういう』話ではないと判断した。満の声は、何かを読み上げるような芝居がかったものだった。

「あんがいそんな風に思ってるかもしれないわよ。湊は」

 満が再度歩き始めて美咲を追い越したので、美咲は抗議の目でそれを見つめた。満は振り返った。

「それで、どっちを選ぶのよ。もしそういう話だったら」

「そりゃあ、先約の方だよ」

「だったら、歩夢と来てあげればよかったのに」


 ++++++


 牧村歩夢は、ふわふわした毛玉をぼんやり見つめていた。歩夢とはまた違った意味で癖のある小山夏帆の髪は、後ろから見ると菊の花をひっくり返したように丸く層になっている。

「ねえりんごちゃん。選んでよ」

 夏帆が振り向きもせずに手を伸ばした。選ぶ、というのは夏帆がにらめっこしている屋台のかき氷のことだ。酒匂りんごはそのとき別の屋台を覗きに行っていたので、そこにはいなかった。

「りんごちゃん、薄情」

 そこにりんごがいることを疑いもしない夏帆の様子が面白くなかったので、歩夢はそれを放置した。しばらくすると、りんごが戻ってきた。その手には、赤く光る飴が握られている。

「お、りんご飴」

「その先言ったら、ゼッコーだから」

 りんごは冷めた目で言った。夏帆は結局メロン味のかき氷を選んだらしく、緑色の山をストロー製のスプーンでシャクシャクやりながら輪に加わった。

「あ、りんごちゃんがりんご飴」

 歩夢はこっそり夏帆を指差し無言でりんごに問いただした。りんごは真顔でゆっくり首を横に振った。


 ++++++


 鴨川由香は、ゆっくりと目を開けた。瞬きをすれば多少は夢が覚めて、マシな世界が広がっているのではないかと思ったが、そんな手品はなく、目の前には相変わらず湊千鶴の猫背気味の立ち姿があるだけだった。

「晴れて良かったな、今日」

「晴れましたね」

「千葉のなんとかいう町で熱中症十三人やって、怖いな」

「そんなことがあったんですね」

「今日何しとったん?午前中」

 千鶴は黙った。話題が千鶴自身のことに及んだからだ。そもそも、彼女は数日前から自分の感想すら話さない。ことの始まりは由香が千鶴をこの祭に誘った日だ。その日、由香は彼女から協定もどきを持ちかけられた。


 もともと由香が持ちかけた話は、本来千鶴が美咲と約束していた祭の予定を、由香に譲るというものだ。千鶴はそれに条件を付け、協定もどきとして成り立たせた。

「本当にすまんな、約束を破らせて」

 そう声をかけた由香に、千鶴は言った。

「それは許します。その代わり、私から出す条件を呑んでください」

 千鶴の条件は、簡単であり、そして複雑なものだった。

「今後、私のことは話題にしないで」

「無視しろってこと?」

「そうではなく、天気のこととか、ニュースのこととか、私自身と関係がないことを話題にして欲しいんです」


 結局、その場は曖昧な空気のまま話が流れ、それでも千鶴は待ち合わせ場所に現れた。つまり、すでに由香には協定もどきを守る義務が発生しているということらしい。

「あたしはな、午前中、本を読んでたんよ。知っとる?工藤渚って」

「知っています」

 千鶴は興味なさそうに返事をした。

「よう分からんかったわ。頭いい人はああいう無駄に難しくした言い回しがいいんかね」

 自分の声は、考えていた以上に皮肉っぽく、意地悪に聞こえた。そんなことを言わせた千鶴に対して、一層理不尽な怒りがわいた。

「私、あれがいいなんて一言も言ってませんが」

 盗み見た千鶴は平和な顔で屋台を眺めていて、その落差に由香は失望のような感情すら覚えた。二人の沈黙を割って、声が聞こえた。

「うーすカモ」

 手をあげて近づいてきたのは、橋本凛だ。バスケ部のチームメイトである。凛は首を伸ばして千鶴の顔を見た。

「奇遇じゃん、そっちの彼女は……妹さん?」

「ちゃうちゃう。これはウチのオカンやねん」

「へえー。若いって言われるでしょう」

 ジロジロと眺め回す凛を制して、千鶴が口を挟んだ。

「お言葉ですが、私は鴨川さんの家族ではありません。ただの友人です」

 凜が「ほう」と真面目ぶった声を出して、二人の顔を見比べた。由香は居心地悪く千鶴の横顔を見た。メガネのフレームが見える。

『友人』という言葉は由香の心をざわつかせた。ほとんど傷ついたようにすら感じた。自分は千鶴の友人になりたかったのだろうか?混乱した心の中では、答えは出なかった。

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