そんな曖昧な理解で
少しして、夏休みも近づいたとある平日、美咲が千鶴を手伝って学校図書館のカウンターに座っていると、由香が小柄な少女と一緒に現れた。
「新聞部の森智里です。毎度どうも」
「あなたは?」
首をかしげる千鶴に智里は笑いかける。
「去年の朗読劇を取材させてもらいましたよね」
千鶴はますます首の傾きを大きくした。
「だって、あなたは一年前はこの学校にいないはずですよね?」
智里の制服の胸ポケットには生徒手帳が覗いているが、その縁は青いラインで飾られている。それは、彼女が一年生である証だ。
「でも、あなたは湊千鶴さんですよね」
「そうですが……」
由香は二人を見比べ、続きはないと判断したらしく、口を開いた。
「あんたがこないだ楽しそうに読んどった小説な、こいつが続きを探してくれてん」
智里は文芸部の部誌らしいものを何冊か取り出した。
「あんた、続きを読まんと沙希チャンのこと分からんって言ったやろ。答え合わせといこうや」
怪訝な顔の千鶴を押し切るように、由香が文芸部の部誌をカウンターに置いた。付箋のついた頁をめくると、例のアマチュア小説の続きが現れた。
「相変わらず沙希チャンは悩んどるな」
面白くもなさそうに由香が文章を追う。
「ほとんど沙希チャンの思い出話か。なんや、もう終わった。そんで続きは」
「ありませんよ」
こともなげに応えた智里に、由香は疑うような視線を向けた。
「なに、これで終わり?」
千鶴が別の部誌をパラパラとめくりながら口を挟んだ。
「いえ、多分、未完なんだと思います。アマチュア作品なら珍しいことでもない」
「ザンネンやったな。千鶴チャンのお気に入りの奴、結局最後まで読めんで」
「別にお気に入りなんかじゃありません」
千鶴の表情は、メガネのフレームに遮られてよく見えない。
「なあ、千鶴。あんた、例の手帳の人らのこと知りたないか?」
由香が穏やかな声でたたみかける。つり上がった目の目頭がきゅっとすぼまった。
「この智里ちゃんな、知らんかもしれへんけど新聞部やねん。せやから、本気で調べてもらえば、分からんこともないで」
「必要ありません」
「というか、私、手伝うなんて一言も言ってませんよ」
オケラのように手を広げた智里の掌に、由香が自分の手を重ねた。
「報酬は応相談」
「私は気分でしか動きません」
由香はにこりとしながら智里の頬を引っ張った。智里が「あ、痛い。痛いでふ」と呟くのが聞こえた。
「そもそも千鶴チャンはなんでこんなことしてたん?美咲のために調べたかったんか?」
由香はなぜこんなに千鶴にこだわるのだろう?由香は何を求めているのだろう?
「なあ、千鶴。あんた、美咲と一緒に金柄祭に出かける約束してんねんな」
固い声にやや違和感を覚えながら、美咲は由香の顔を見た。智里は無心に頬を撫でている。
「約束破らせるみたいで申し訳ないけど、私のお願い、聞いてくれんか」
++++++
立花南図書館の地下書庫の中は意外とうるさい。温度や湿度を整えるための空調が常に働いて通奏低音のようにうなっているし、一部では電動書庫も稼働している。木目を模した開架と違って、無愛想な白い金属のラックが並び、そっけない外国語のタイトルが書かれた分厚い本が押し込まれている。それは本棚というより、まるでそういう飾りのようだ。
閲覧申請のあった閉架図書を探して書庫の間を歩いていた岸田さやかは、妙に高い声の話し声を聞いた。朗読会のために使う本を集める手伝いをしている高校生たちだ。
「ねえ、りんごちゃんいいの?」
「なにが」
声の主には覚えがある。八ヶ瀬高校の小山夏帆と酒匂りんごだ。気は進まないが、あまり話し込んでいるようなら声をかけていさめなければいけない。
「本当は、りんごちゃんも美咲先輩と一緒に金柄祭りに行きたかったんじゃないの?」
「だれかそんなこと言ったの」
さやかは声が高い。背の低さからくる印象と相まって、よく子供っぽい声だといわれる。けれどやっぱり、本当の子供と比べれば一発で違うことがわかると、さやかは思う。
「だってりんごちゃん、美咲先輩のこと好きなんだもん」
「そうなの」
「そうだよ」
話している二人とさやかの間は、書棚一つ分の距離しかない。
「ね、りんごちゃん、認めてよ。りんごちゃんは美咲先輩のことが好きなんだよ」
さやかは息を止めていたことに気づいた。二人にとって、大人であるさやかは外国の本や古い郷土資料と同じように、背景でしかないのだろう。だからこうしてここにいるのに、気付かれないのだ。
「そうだね、好きだよ。私は美咲先輩のことが好きだ」
ここで声を上げたら、やはり子供の声に聞こえてしまうのだろうか?そうなったら自分は背景ではなくなり、盗み聞きをとがめられてしまうのだろうか。それともやっぱり、いくらかん高くてもさやかの声は大人の声にしか聞こえないのだろうか。
さやかは試さなかった。
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