協定のルール

 無病息災を祈るお守りに、元々ついている紐飾りとは別に赤いリボンがついていることに、沙希は気付いていた。一茶は本来リボンなどとは縁のない無骨な野球少年だ。さらについ最近、修吾も同じようなリボン付きのお守りを持っていることに、沙希は気付いた。それが何を意味するのか……


「……沙希は確かめることが出来ずにいる」

「いや、ホンマになにを意味すんねん」

 美咲の目の前で、千鶴と由香が顔を突き合せた。

「ですから、これが姫百合協定というものなのです」

「つまりなにか、その一茶くんと修吾くんがなにかを約束しとるんか?」

「なんとなく分かると思いますけど、要するに紳士協定なわけですよ。あくまでこのアマチュア小説の中での話ですけどね」

 由香と千鶴は、休憩コーナーの机を挟んで、それぞれの椅子に背を預けた。

「紳士協定」

「二人はこの沙希さんを巡って恋のライバルとなっているわけですが、なにか理由があって、二人は互いの気持ちを封印することを選んだわけです」

 由香は少しキツい印象の目を細めて考え込み、しばらくして一つの結論を出した。

「あれか、この手帳の甲さん乙さんも、やっぱりそういうことしとったんか?」

 由香の手には例の手帳がある。美咲達がこの手帳を覗いてから、すでに一週間ほどが経っている。

「そこまではわかりませんけど、そういう風情ではありましたね。よくあるんでしょう、世の中では」

「いい迷惑やな」

 千鶴はきょとんとした顔になった。

「迷惑というのは、誰の?」

「沙希チャンの。だってそうやんか、なにがあったか知らんけど、男二人でこそこそとライバルだの封印だの、肝心の沙希チャンをそっちのけにして、アホちゃうか?」

 『地獄に落ちろ』と言いたいわけではないだろうが、由香は下に突き出した人差し指で、机をトントンとつついた。

「じゃあ、あなたには沙希さんの気持ちがわかるんですか?」

 トントンが止まった。

「案外、沙希さん自身それを望んでいるのかも」

「そら、あたしは知らんわ。あたしは元ネタを読んどらんわけやし」

「私も知りませんけど」

「ん?」

「つまりですね。このアマチュア小説は不定期連載のようなんですけど、前や後がどこにあるのかまで私は見ていないわけです」

「そやったら、結局ホンマのとこは分からんやん」

「ですから、分からないと言っているんです」

 由香は眉根を寄せた。

「まあ、別にそれはええわ」

 ぎしぎしと音が鳴る勢いで椅子の背に体を預け、由香は話題を切り替えた。

「とにかく、コレのおかげで姫百合協定ってもんの中身が分かりそうなんやろ?」

 これ、と由香が指さした文芸部の古い部誌を見ながら、千鶴は頷いた。姫百合協定に興味を持った美咲の頼みで、この部誌を見つけてきてくれたのは千鶴だ。正式な学校のルールでもない噂話が、こういうのものの中では何らかの形で記録されているのではないかという千鶴の読みが当たった形だ。

「協定を結ぶ人間は、互いに赤いリボンのついた『協定の証』を受け渡すんです」

「それって、なんでもいいの?」

 美咲は、由香と千鶴の間に割り込んだ。

「慣例的に、普段から身につけられるものがいいとされているようですね。常に協定を意識できるように」

「結局、リボンがあるとかないとか、何か違うん?」

「というか、私が気になるのは、普通の約束と協定とで何が違うのかってことかな」

 美咲の言葉を受けて、由香がそれそれ、というように首を縦に振った。

「あえて挙げるなら、第三者の立会いでしょうか」

「立会いが必要なの?」

 千鶴はポリポリと頬をかいた。説明の順序がめちゃくちゃになったことに戸惑い、でもまあいいか、みたいな表情。

「協定を結ぶためには、『仲人』の立会いが必須です」

「『仲人』って、あの仲人か?」

「まあ、そういうことですね。言葉遊びですよ」

 由香は首をかしげて斜め上にくるりと視線を向ける。反対方向にももう一回。それから指をパチンと鳴らした。

「わかった。約束破ったらそいつにしばかれんねや」

「カモの中で仲人のイメージってどうなってんの?」

 美咲の固い声にもめげず、由香は質問を重ねた。

「で、結局、協定を破ったらどうなるの」

「明確なペナルティはありません」

「ふうん」

 なぜか由香は不満そうに口をとがらせる。

「その仲人って今も居るの?」

「分かりませんね。一時代の流行だとすれば、もう廃れてるかも」

 由香は手帳の表紙にレリーフのように刻まれた図案を指でなぞった。それが姫百合の花を図案化したものであると、千鶴に教えてもらったのはついさっきだ。

「ただ、仲人は協定を結ぶと宣言した当人に対しては正直に身分を明かすと、とにかくそういう話です」


 ++++++


 一足早く帰宅する由香を、美咲は近くまで送ることにした。自転車を押す由香の隣を、ふらふらと歩く。

「なあ、湊サンって、やっぱ本が好きなんか」

「んー?」

 美咲は生返事もどきのうなり声を出して、手持ち無沙汰な両手を遊ばせた。

「好きなんじゃない?委員会の仕事でも、カウンターにいる間はほとんどなんか読んでるし」

 そうか、と由香は自転車のベルに指をかけてもてあそんだ。

「なあ、美咲とあの子って、どうやって仲ようなったん?」

「さあね、よく覚えてないなあ」

「例えばな、なんかこう、二人ともおんなじ本が好きで、共通の話題で盛り上がったとかとちがうん?」

「ドラマの見過ぎだよ」

 美咲が苦笑し、由香が少し面白くなさそうになる。そして、そのどちらでもない声が聞こえた。

「最初のきっかけは本ですよ」

 聞き覚えのない声を聞いて、美咲はその出所を探した。由香の視線を追うと、彼女を挟んで美咲の反対側に、小柄な少女がいるのが見えた。美咲たちと同じ制服を身につけている。

「お久しぶりです。新聞部の森智里です」

 とろんとした目が美咲を射すくめた。

「どこかでお会いしたこと、ありました?」

「以前図書委員の取材をした時にお会いしたじゃありませんか」

「私、美化委員なんだけど。図書委員の仕事は手伝いでやってるだけで」

「でもあなた、牧村美咲さんですよね」

「……はい」

 眉ひとつ動かさずに続ける智里に、うっかり押し切られてしまった。智里はそれで納得したようで、改めて由香に向き直った。

「牧村さんが工藤渚の本を読んでいたところに、湊さんが声をかけたんです」

「工藤ナニガシって、作家?」

「そうです」

 智里が頷く。

「覚えがないな」

「偶然かもしれませんが、とにかく牧村さんは湊さんのお眼鏡にかなったんです。名誉なことですよ」

「なんか歯切れ悪い話だな」

 智里は肩をすくめ、何事もなかったように歩く。由香が美咲に向き直った。

「じゃあ、あたしとはどうやって仲良うなったか覚えとる?」

「それこそ、はっきりきっかけがあるもんじゃないでしょ。転校生で珍しかったし、困ってそうだったから、かまってるうちに」

 由香がややげんなりした顔になり、「あたし、そんな情けなかったか?」と言った。

「珍しいものは私も好きですよ」と智里。

 それからなんとなく会話が途切れて、十歩ほどの間自転車のカラカラと鳴る音だけが響いた。

「なあ、学校から風力発電の風車が見えたの、覚えとる?」

「ああ、そんなこともあったっけ」

「あたしが初めて見たっていったら、関西に風力発電はないんだーとか、寝ぼけたこと言っとった」

 美咲は曖昧に相槌を打った。

「あれ、この近所らしいねんな。ほら、あの丘の裏っかわ」

 由香の指さす先を見ると、確かに丘だか山だかが盛り上がっているその稜線の向こうに白く突き出した構造物が見える。傾き始めた日差しが少しまぶしい。

「見に行ってみいひん?この自転車で」

「二人乗りで?感心しないなあ」

 由香は歯をむき出して愉快そうに笑った。

「じゃあいいわ」

「そうですね。そんなことになったら私も記事にしないといけません」

 歩きながらカメラをいじる智里の言葉がどれほど本気なのかはいまいちよく分からない。

「バイクやったらよかったのにな。どうして自転車は二人乗りできるように出来てへんのやろ」

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