宵君 Ⅱ


「宵殿、此度こたびの戦、真に見事なものでございました。隣国の大軍をあのように鮮やかに撃退なさるとは流石です」


 下馬した宵君を迎えたのは彼の旧友、宵君が美しき朱鬼と称えた暁光ぎょうこうという男だ。成程宵君の文句通り、造り物と見紛う美丈夫である。美しいだけでなく、暁光は逞しい武人であった。


 二人はまだ幼き御門に代わり、この沖去という京を護り、周辺の列強の侵略を幾度も退けた若き名将と言えよう。幻驢芭まほろば家当主である宵君と、白爪しらつめ家当主である暁光と言えば、この近隣諸国ではあまねく名をとどろかす英雄といえる。両家は御門の血筋の親類であり、家臣でもあった。領主である御門の権威、幻驢芭の知術、白爪の武力という巨大な三つの柱で、この沖去京は護られている。

 

「何、あの程度の敵など他愛もない。其方そなたであれば日の落ちぬうちに片がついたであろうな」


「またご謙遜けんそんを」


 酒の席を用意してあります。そう言って宵君を自邸の縁側へ導く暁光の下心は、最早見え透いている。だから宵君は含み笑い、「では甘えよう」と肩を並べた。


 縁側に腰を下ろせば、眼前には腕の良い庭師の施した枯山水かれさんすいが見渡せた。夏の終わりの涼やかな風が程よく吹き込み、戦で疲れた頭と身体には心地良い空間である。


「……して、今度は何だ」


「貴方に少しばかりお願いがございまして。と言うより、相談かな……」


「申してみよ」


 隣に腰を下ろし、宵君の盃に酌をしながら、朱の色男は肩を竦めた。あぁ、この顔は女絡みの相談か、と宵君は察し、にやりと口角を上げる。うっそりと目を細め、先を促す掠れ声と、笑い方ひとつをとっても瑞々しい艶を帯びていた。


「女の扱いなど、自力で何とかなろう?」


「いやそれが……」


 歳とともに折り重ねられたような色香が、宵君の花のかんばせが失せて尚、女房どもを騒がせるのだろう。勝るとも劣らない品格の暁光でさえ、宵君を隣にすれば盃を傾ける手も頼りない。


「その……御門のことなのですが」


「あぁ、あのませたお嬢がどうかしたか」


「宵殿、誰が聞いているとも……」


「構わんだろう。皆そう思っているさ。近頃の御門といえば、政の類は私に任せきりで、其方と歌詠みや説法せっぽうに耽るばかり。信心深いのはご立派なことだが、其方とて暇ではあるまい?」


「……えぇ、実は相談と言うのも、そのことでございまして」


 苦笑いを浮かべ、暁光は盃を煽った。宵君はそういうことか、と伏目で笑い、権威のある御方に気に入られるというのも時には難儀なものだな、と呟く。


「しかしなればこそ、其方は気に入られているのだから一言きっぱりと申し上げればよかろう。多分、其方が言えば御門は聞くぞ」


「申し上げたところその、求婚されまして」


「は?」


「おたわむれが過ぎると申し上げたのですが、『妾が斯様かような冗談を申すと思うてか』と泣かれてしまいました」


「しかし、御門はまだ十二の童。其方にももう正室が居るではないか。御門とてそれが解らぬ只の童ではない。そうまで其方に懸想していたとは……」


 如何してお断りしたものかと途方に暮れる暁光を見かね、宵君は呆れ口を開いた。


あいわかった。私から御門に申しておこう」


「かたじけない……」


「何、其方は私の義弟も同然。無下に捨て置くわけもなしに。それに、私もそう長くはない故、御門には政の一から百までを早う覚えて頂かねばならん」


 酒瓶を傾ける手を止め、暁光は先程までよりいくらか厳かな声を漏らす。


「……やはり、病状はかんばしくありませんか」


 そんな暁光にどこか諦観ていかんの伺える笑みを寄越し、宵君はまぁな、と呟いた。


「此の世に治す術がないのでは、堕們だもんといえどどうしようもあるまい。あれは稀に見る名医故、父君はあれを私に充てがったが」


 表情を曇らす暁光を余所に、当の宵君は随分と楽観的である。


 ーー幼少の折より幾度も病に臥してきた彼にとっては、不治の病といわれても、存外大したことではないのかもしれぬ。そう気を取り直し、暁光は酌を続けた。


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