幕間04 彼女たちにとっては誠実な愛情で

 沢渡未来は灯を愛している。

 愛に気がついたときは、灯が私を導いてくれたときだ。

 私は灯と同じで病弱だ。

 弱く、打算的で、しかし明確な未来のコンパスなど持たない平凡さで、人生を漂っていた。

 泳げるようになったのは、灯が私を誘ってちょっとした劇団の芝居をみたときだ。

 あぁ、こうなりたい、と私の心は砕かれた。

 情熱があり、真に迫る名演があり、賛美される拍手があった。

 私も浴びたい、私も演じたい、私は私になりたい。

 なにかを演じるということを、別の自分になると解釈することを否定しない。

 でも私は演じるということは自分を自分以上にする手段であると考えた。

「すごかったね」

 灯が私にいう。

 すごいのは灯だ、と私はいえなかった。

 言葉を投げられなかったのは、感動があって声にならなかったのと、彼女の笑顔が眩しかったから。

 あのとき、いってしまえば私は私の愛を諦められたかもしれない。

 今は、諦めなくてよかったと思う。

「ねぇ」

 髪をすく。

 長かった灯の髪も演劇に、演じるために切り捨てた。

 信仰に近い行動に見習わなければ、と思う。

 美しく見られた目の努力をした艶のある黒髪に口づけをする。

「私、灯のことを愛しているわ」

 問いかけが起こる。

「どうして」

「どうして?」

 後手で結ばれたきつく縛られた麻縄に食い込んだ手首は赤くなっていた。ほかの肌は白いため、妙に欲情を覚える私がいる。

「なぜ、問うの?」

 私は私の報酬をもらうために灯に協力した。

 灯は桑島哲を好きだった。

 いつ入り込んだ芥虫かはわからない。

 その感情は灯のためにならない。

 だから、契約した。

「私が協力する」

 だから、対価を口にする。

「私の一番欲しいものを頂戴」

「なに、それ」

 約束を交わした後と同じ言葉を、しかし、痛みに身悶えする唇で震えていう。

「あなたよ」

 灯。

 私は灯が一番欲しい。

 少し、情熱的になったかもしれない。この愛を丸裸にされて覗かれたような気恥ずかしさがある。

 灯は、そうは思っていないようだったのが、少し残念だった。

「ふざけ、ないで」

「私に勇気がなかった」

 事実をいう。

 わかってくれると信じているからだ。

「あなたに愛を告白される勇気がなかった、拒絶される痛みが怖かった。それだけ、あなたを愛しているのよ」

 灯。

「だから、耐えられなかった、耐えるように灯を演じて、あの男にあなたを演じて見せた」

 弱いあなたをあなたの演出でしたくもない演技であなたとしてあなたをよく魅せた。

「あぁ、でも、あなたの初めての口づけを得られなかったのは残念だった」

 私にも迷いがあった。

 灯が望む幸福を認めてしまって、私の思いを殺してしまえば、と、勇気を与えたつもりで、行動のきっかけを与えてしまった。

「あの男は、明を選んだ」

 今のあなたじゃない、あなたが演じた架空の人物を愛した。

「あなたはあなたのまま愛せない男の、あなたを見ない愛に耐えられない」

 見ているのに、見ていない。

 視線を共有できない。

 その辛さは私自身がこの恋でわかっている。

「だから、雨に打たれながら逃げたのでしょう?」

「ちがう」

「あなたをあなたのままに愛せるのは私だけよ?」

「ちがう」

「灯」

 愛しているわ、といい、ちがう、という灯の唇を柔らかく塞ぐ。

 拒絶がある。

 舌先にエナメル質でなめらかな感触が当たる。ラーメンを食べた後だというのにミントの香りがある。

 この努力を私に向けさせたらと想像で楽しくなる。

「っ」

 唇に、私の唇に痛みが奔る。

 鉄の味がした。

「わたし、は」

 灯はいう。

「ミクが嫌いだ」

「しってる」

 でも好きにさせてみせるわ、という。

「ちがう、わたしはミクに嫉妬していた」

「しってる」

 知らないとでも思っていたのだろうか?

「私の演技を見るときのあなたの視線は、いつも気になった」

 好きな人の視線だもの、気にならないはずがない。

「最初は、私の演技が下手なのかな、と思った」

 下手だから直すために矯めるために口をわななかせ、時に引き結んで見ていたのだと思った。

「でもちがう」

 私の演技は上達していった。それは周りの俳優たちの評価から、舞台に立った後の喝采から、様々な舞台への出演依頼から、事実としてわかった。

「灯は、私に嫉妬している。灯はそれだけ私に夢中だった」

「ちがう、わたしは疎ましかった。ミクが、あとから始めた、役者を演じた、ミクに追い越されるのが嫌だった!」

 いい表情をしている。

 ああ、やっぱり、灯はわたしを導いてくれる。

 そこに、色が刺す。

 私の嫌いな色だ。

「テツくんは、そんな私の嫌な感情を消してくれた」

「あの男がなにをしたっていうの!」

 言葉をくれた、灯の声は盲信だ。

「わたしが、この嫉妬を抱えたままで、わたしのままでいいっていってくれた」

「明を選んだ、あの男が!」

「その弱さも、テツくんなら」

 飲み込んでくれるよ。

 あぁ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 こんなにも思われるあの男が憎い。

 こんなにも慕われるあの男が許せない。

 こんなにも認められるああの男が、

 その次に浮かんだ言葉が、わたしが選ぶ行動につながる。

「じゃあ、殺してしまおうか」

「え? え」

 そうしてしまえば、灯は私を憎んでくれる。

 そうしてしまえば、灯は私を許しくてくれない。

 そうしてしまえば、灯は私を、

「そうしてしまえば、私を愛してくれるでしょう?」

 憎悪も愛も、似たようなもの。

 裏返してしまえば、私の感情もあの男を愛している、とも言えるかもしれない。

 認めないけど。

 ――ピンポーン。

 インターホンが鳴る。

 誰だ?

「ちょっとまってね、灯」

 言葉を待たないで玄関に立ち、魚眼レンズを見る。

 愛しさを得るための、桑島哲という贄がやってきた。

 私は扉を開けた。

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