第12話 よく雨の降る天気に、傷が開く
「今日はありがとうございました」
灯に頭を下げる。
「いえ、あ、の」
また、会えますか? 上げた顔が灯の顔を捉える。
上気した頬が見える。どこか既視感があって、嗅ぎなれた香水、
知らず、名前を呼んでいた。
「明?」
雨が降る。
さぁ―っ、と音が聞こえる。
一拍の間があく。
「どうして」
どうして、といわれたことに対して、ぼくは違和感を覚える。
目の前の灯は、名前を間違われたのだ、どうしてという理由を追求するのはおかしい、問うならば、WHOだ。
だから、ぼくは灯に弁明するよりも、灯を等号で結びつける名前が浮かんでいた。
灯は逃げた。
さようならも告げず、その理由がぼくにはわからなかったが、嘘があることに気がつく。
灯は、明だったのじゃないか、と。
だったら、話は都合の良いようにスムーズになる。
好きな相手が、自分を好いていくれる。それが幸福だ。
幸福のために障害があるとすれば、明がついた嘘だ。
僕に対して、嘘をついた。不誠実であるかもしれないし、真摯ではないのかもしれない。あるいは、最初に浮かべた率直な感想で美人局という可能性だってある。
面食らって、雨に打たれて、ぼくは灯も明も追えないでいた。
優しい雨、などというには冷たく、明の虚弱を思えばぼくは手を引いて部屋に一緒に帰って暖を取るということが大事だと思えた。
ただ、動けないでいた。
浮かんだ疑問があるからだ。
明は、自身を未来のぼくの娘だといった。
そして、ぼくが結婚するであろう女性を紹介した。
ということは。
携帯端末が振動する。
LINEだ。
相手は、
・灯:話せませんか?
その後、灯はラインで場所と時間の指定だけして、なにを話すか話さないかの説明はしなかった。
ただ、ぼくには話をしに行かないという選択肢はなかった。
薄々、ぼくは気がついていた。
ぼくが最初から疑っていたとおり、明は未来のぼくの娘ではないし、灯が未来の結婚相手ではない、そして帰結した事実がある。
明には、共犯者がいる。
簡単なことだ。
今回の、事件といっていいか、明一人では成り立たない。
そして、灯を名乗る人物は確実に事情を知っている。
だから、ぼくはその情報の開示を期待して始まりの喫茶店のドアを開けた。
ベルが鳴る。
カランコロンと聞きながら、客数の少ない店内で、おあつらえ向きに以前であったように同じ場所で本を読みながらコーヒーを飲む、灯と同じテーブルに座る。
あぁ、と気がつく。
これは、ぼくと今日デートしていた灯とはちがう、と。
ぼくの言葉でいえば、投資に対するリターンを期待できない人物だ、と断言できる。
「あいにくの」
雨でしたね、と灯は体面に座った僕に対して述べる。
「気持ちよくデートを終えられませんでした」
残念でしたね、と心にもないことを灯はいう。
「お名前を」
伺ってもいいですか? ぼくの問いに目の前の灯と明に似た少女は答える。
「未来」
ミク、です、テーブルに未来と指でなぞって答える。
「今日、ぼくとデートしていませんね」
「わかりきったことを、聞きますね」
「えぇ、でも、必要なことでしょ?」
あなたはぼくを騙していたわけだから、と抑えた語気で言葉にする。
「それは」
どういった意図だったんですか? 心底気になる内容を落ち着いてしゃべる、というのは、なかなかに難しい。がっつく、というのは悪手だ、情報のバトナを持っているのは向こうだ。
ただ、テーブルについている以上勝負はしている。
忘れてはいけない。
この未来を名乗る女は、一度ぼくを騙しているのだ。
彼女はコーヒーを一口飲んで口を湿らした。その行為がぼくに事情を話すためなのか、焦らしてぼくをはめようとしているのか、は考えない。いちいち意味があると捉えていては、身がもたない。
だから、ぼくは意趣返しとして店員にアップルパイとストレートティーを頼んだ。
「ラーメンは」
美味しかったですか? と未来は尋ねる。
不意をつくようなリズムだ。ただ、ずれた、ずらしたテンポにはいらだちよりも、予想がつく冷静さが生まれる。
今日のデートのことを聞きたいのだろう、とぼくは世間話、女友達と世間話をするように答える。
「美味しかったですよ、灯の格好が店の雰囲気に合わなかったギャップもありましたし、楽しいものでした。ああいう店をぼくも知っていますから、機会があれば」
今度はぼくがエスコートしたいよ、ぼくは本心からいう。
「本屋では、灯はなにを買った」
「北欧神話の本だった思う。ぼくでも知っているトールのイラストが書かれていたはずだ」
それから、未来は静かに今日のデートの内容を聞いていた。
終わって、問いかけが、おそらくは未来自身が本当に聞きたかった質問が飛んできた。
「灯を、どう思う?」
「好きですよ」
「それは灯だから?」
ぼくはそれには齟齬がある、と素直にいった。
「事情を飲み込めていないぼくにとっては、灯イコール明という式が結ばれている。未来の娘を名乗る明がぼくを成長させてくれたという事実が、ぼくには重要で好きになった理由だ。だから、ぼくが灯を好きなのは明と同一人物ということに気が付き、彼女の行動に勘違いでなければ」
好意を感じられたからだ、といいきった。
「それが」
未来はいう。
「悪意だったとしても?」
役者らしい見るもの聞くものの視点に立った効果的なセリフと語調だ。
「その悪意も、可愛いものだと思うよ」
「ふざけないで」
「真剣だよ」
うぬぼれでなければ、ぼくはいう。
「最初に好意を持ったのは灯だ」
「うぬぼれね」
「それは哀しい、そして」
きみにこそ悪意を感じる、と未来に対していう。
「きみはぼくを嫌いだ」
「わたしはあなたを嫌うわ」
「その経緯はわからないし、ならばなぜ、灯を手伝うのか」
灯と明の嘘を成立するには、未来が必要だ。
「灯、は」
あなたを傷つけたいと思ってあなたの未来を装った、ミクはいう。
「未来の娘、幸せな結末、幸福の確約、そんなものは」
「期待していない。ぼくが期待できるのは灯が明と同じ人物で、ともに歩めるかもしれない今だ」
未来、結末、確約、ぼくは繰り返して結論をいう。
「最優先だった今はないものよりも、灯と一緒だったら乗り越えられると革新できた今の自分が気に入っている」
「灯が、それを望んでいないとしても」
ぼくの気勢を削ぐように未来はいう。
珍しく、語気が早いな、落ち着きの無さに気がつく。
「灯が、あなたの娘なんていったのは、こんな風にばらして、あなたがまた死に触れるようにするため、愛させ、愛を取り上げ、死に向かわせるため。灯は、あなたを」
愛してなんかいない、ミクの白い首に赤みがさしているのに目が行く。
「あぁ、そうか」
ぼくは気がつく。
だが、口にしない。
愛だ、悪意だ、というが、この未来という娘は、誰よりも灯を、灯からの愛を受けたいのだ、と。
代わりにぼくはいう。
「きみには、騙されているからね、ぼくは信じたい灯の言葉を信じるよ」
言外に、話は聞いたといい、ぼくの主観で勝負はついた、と思う。
後は、灯と話をするだけ、面倒くさく絡み合った話の糸をほぐすのも、そう難しくはない。
「灯も、あなたを騙した」
「問題ないよ」
好きな人に自分をよく見せたい悪いところを見せたくない、というのは、ぼくはいう。
「自然なことだ」
そして、数日前のことを思い出していう。
「ぼくもやってるしね」
ストレートティーとアップルパイが届く。
未来がテーブルを両手でついて席を立つ。
負けたとか、逃げたとかは思っていない、だが、心底で認めてしまった目でぼくをにらみ、彼女はこういう。
「あなたに、灯は渡さない」
「店員さん」
彼女の会計は別ですよ、という。
ペースを取ろうとしていたのは未来だったはずだが、ぼくの発言に調子が狂わされただろう。
「嫌な、男だな」
「ぼくはお金の貸し借りは大事にしている。だから――」
返そうとしない相手には貸さないって決めてるんだ、ぼくはにこやかにいう。
伝票をとって未来はレジへと向かった。
だから、ぼくの一言には気が付かなかっただろう。
「きみからも返してもらえるよう、認められるように」
頑張るよ、と。
最近は良く、雨が降る。
傷を開かせてしまったのだろう、と未来の背を見て思う。
だから、行動すると、どうしてぼくは思わなかったのだろう。
ぼくが部屋に返って、あったのは灯の、明の嘘の結末だった。
未来へ帰る。
漫画にあるような虚無や寂寥はなかったが、宛のなさだけはあった。
それが、一番困ることである。
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