第10話 誰でもない誰かといる日常

 それから一週間、充実していた。

 出会う人々からいい顔になった、やる気がある、ポジティブなワードがかけられた。

 それがなんのおかげか、とすると複雑な気分だが、明のおかげだろう。

 感謝はある。素直に言葉をかけるのは面映いが、事実だ。

 だが、明の様子がおかしい。

 体調に関してではない、明の言葉を借りれば母親に似たため健康ではないし、ぼくが気をもんだことも何回かある。

 どこか上の空、料理を、悔しいが、美味しいといって喜ぶ顔にもどこか影があるように見えるのだ。

 心配、できない、というには接した時間によってほだされた。認めるのも気に入らないが、認めない悪さも許容できない。我がことながら面倒くさい。

 言葉をかけなかったか、というのはノーだ。

 最初に気がついたのは、演劇を見に行ってから二日後、月曜日だ。

 朝食と夕食、さらには弁当まで作ってくれる、というのが温かい、と思いつつ、娘というか、恋人というか、通い妻というか、と明の行動は善意であり好意であり、勘違いでなければ愛情がある。

 味の感想を聞いていないな、月曜日の夕食、家庭教師のバイトを終えてから家に帰り、普段ならどこかで食ってから帰るが作ってくれると言うため行動が変わった、夕食を食べながら、そういえばと気がついた。

「美味しいな」

 どれどれぇ? もう、パパったらこれが好きなんだね、早くいってよぉ、とか善意的に見れば照れた、悪感情が先に立てばうざいとも取れる言葉が帰ってくると短い付き合いだが掴んだキャラクターで考えた。

「ありがと、よかった」

 儚げにいわれると、困る。

 ぼくとて男だし、弱っている異性というのは庇護欲は湧く、そこから愛欲もある。

 いうたびによしてくれやめろとぼくが返す、パパというワードもなかったから、彼女の言葉を借りれば未来の娘に対する意識というものもなく、性欲が昂ぶるというのは、まぁ、男としてはある。

 ヤりもできない女の子と一緒に同居するのは、健康に悪い。いとこの女の子と二人きりで一週間過ごした経験もあるが、彼女自身が異性を感じさせるような魅力がなかったし、料理も共同で作るということもなくぼくにやらせていた、ということに不快感しかなかった。その過去は今ある欲求不満の耐性に役に立っていない。


 目覚めたときに匂いが鼻についた。

 いい匂いだ、ただ、陽光や花弁のものではなく人工的なものだ。香水のような。

「まさか、な」

 と、その後に、自分の下着が湿っている感覚がわかる。

「あぁ、マジか」

 焦りはしない、男性としては健康的だし、自然なことだ。それはそうと夢精するなんて随分と久しぶりだ。

 一人暮らしだったら、タオルと下着を用意して汚れた下着をシャワーを浴びながら洗い落として洗濯機を回すというのもできるが、同居人がいるというのはいい面もあれば不都合な面もある。悪いとするほど、恩恵に対してわがままではいられない。

 ミッションとして夢精したことは悟られたくはない。言い訳として寝汗をかいたというストーリーはできた。

 明はどうやら朝食を作っている様子で、コンロを見ながら食器を洗っているのが音でわかった。

「あ、パパ、おはよ」

「……おはよう」

 眠いながらも自分の行動が生理的であると装って行動できた。

 幸いはシャワーを浴びて着替えまではスムーズにいったこと。

 不幸は、脱衣所に洗濯機が回したあとで洗って絞った、下着を入れられなかったことだ。

 更には、明の下着が入っていたことだ。

「結構、いやいや」

 大胆である、二重の意味でとなるが、深く考えない。

 仮に娘がいたとして、扇状的な下着を身にまとい魅せたい相手がいる、という前提を置かれるようになったら、ぼくはどんな感情を抱くだろうか。

 自認する立場が父親ではなく家主兼成人男性だ。その立場で行けば、正直押し倒していても不思議ではないし、勝手に思っている明に対して文句はいえないだろう。

 なにが、抱き犯すことの障害なのか。

 はっきりしている。

 明は彼女の母親でありぼくが結婚したという相手灯が、ぼくを人間的に成長させた、といっていたが、ぼくはちがう、と認めながらシャワーを浴びた。

「明がいたから、ぼくは成長できた」

 その恩情、あぁ認めよう明はいいやつだし異性的にも気になる、その上で愛しいんだ。

 でも、明は、どのような理由かぼくを父と呼び線を引いている。

 その線を超えるというのは、文字通り鬼畜だ。

「いっそ鬼畜だったら、話は簡単だったのかもな」

 犯し愛し男女の関係になってしまえば、あぁ、たしかに、簡単だ。

 そのシンプルさには欲がある。その関係には魅力はある。

 だから、彼女の言葉は静かな霹靂だった。

「パパ」

「パパじゃあ、ないぞ」

 決まりきった問答に、明は笑った。

「うんうん、わたしね」

 そろそろ出ていくよ、と、ぼくは――

「そうだ、な」

 引き止めたかった。

「正直、明への貸しは十二分以上に返してもらっている」

 借金を理由にしたってよかった。したかった。

「ありがとう」

 行かないでくれ。

「明のおかげで、ぼくは変われたよ」

 未練たらしく、一緒にいたい。

「そのために来たんだよ」

 だったら、言葉より先に明はいう。

「パパ」

 パパじゃない、という明が笑ってしまう問答をぼくはいえなかった。

 失恋なのか、肉欲を満たせないことへの失意なのか、娘を名乗る女の子にぼくは言葉を、ぼくの思いを、告げられなかった。

 朝食を終えて、やることがない。

「あぁ、面接があるな」

 成長したんだ、成長できたんだ。

 明がいてくれたから。

「安心して、未来に帰れないんだ」

 猫型ロボットとの別れで主人公がいったセリフだ、耳に残る。

 明が男だったら、こんな感情にはならなかった。

 明が女だったから、こんな関係になれた。

 タラレバがぐるぐるとループしている。

「面接の準備、しなきゃな」

 言葉にして、心を調えようとする。

 不思議なもので、行動しているうちは考えなくても良かった。

 そして、準備ができて、今日が面接の日ではないことに気がつく。

 さて、時間がある。今日に限って家庭教師のバイトもない。大学も行く理由が低い。

 携帯のアラームが鳴る。

 LINEだ。

 相手は、

「灯」

 と書かれていた。

 

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