第9話 知って足り、足るを知る

「とりあえず、生二つで、そっちのお嬢さんにはソフトドリンクの何か――」

「結構です!」

 雪路が店員に注文しようとして、明は声を荒げて断った。

「じゃあ、ぼくが頼もう」

「ありがとう、パパ!」

「パパ?」

「違います」

 ややこしくなるから、と明にいう。


 話は劇場にいた頃に戻る。

「じゃあ、今から君からの依頼を受け付けようか」

 君が落とされた理由の説明、と雪路はいう。

「ついでに今日の演目についてでも話そう、いや、面白い劇だった」

「それについては同意します」

 その子は? と雪路が尋ねると、ぼくは親戚の子ですと答える。

「わたしは雪下雪路、きみは?」

 あ、といって、続かない。

 何故か戸惑いがあったのだが、その何故がぼくはわからなかった。

「明」

「明ちゃんかぁ、いいね、桑島くん。この前いってた女の子を連れてきてってのクリアしてるし、わたしの案件も達成したいんだけど」

 いいかな、と尋ねられて明が吠えた。

「なんですか、わたしの意思は無視ですか」

「そんなぁ、堅苦しくないよ? パパっとアンケートを五、六問くらい答えてもらって終わりだから」

 うぅ、とうなってる明は警戒している様子だった。

「明、こちらはぼくの面接を指導してくださる方だ」

 落とした会社、と言ったらどうにもすわりが悪くなる。ぼくが言い換えると明は不承不承にうなずいた。

「まず、箱を出ようか」

 ハコ? といわれてピンとこなかった。

「劇場のことだよ、テツくん」

 明が説明していて、ぼくたちは役者たちに出迎えられた。

 ありがとうございました、と口々にいい彼らは観客を見送る。

「あ」

「どうも」

 灯こと未来と出会った。

「劇、観に来てくださったんですね」

 嬉しい、と灯は静かな笑みを浮かべる。

 美人だ、と思う。

 演劇をするためだろう、遠目からでも印象をつけるために濃いメイクをしているが、柔らかな人間味が未来の笑顔から見て取れる。

「わー未来さん! 今日も良かったです! つぎの劇もたのしみにしてますねぇえ!!」

 ぼくを押しのけて雪路が灯の手を握って過度のスキンシップをとっていた。

「ゆ、雪路さん、あ、あの――」

「ん? 今日の未来さん、なんか――」

 しとやか、と雪路がこぼす。

 その言葉が僕には何故か印象的だった。

「ほら、キャストさんに迷惑がかかるでしょ! 行くなら行くよ!」

 と、明がグイグイと雪路を引っ張る。

「じゃ、すいません、また今度」

 今度、と灯がいうと、ぼくたちは背を向けて会場をあとにしようとした。

 不意に、なぜか気になってぼくは振り返った。

 視線があった。

 灯は僕たちを見ていた。

 その表情が、見えたのはメイクのおかげだろう。

 怒りのような、嫉妬のような、羨望のような、複数の感情がない混ぜになったものだった。

 ぼくが足を止めているのが気にかかったのだろう、ヒラヒラと手をふって灯は背を向けた。

「桑島くん、行こうぜ、わたし焼き鳥美味しい店知ってるからそこにしよ!」

 疑問が解消されないまま、ぼくたちは居酒屋、雪路の言葉を借りれば焼き鳥が美味しい居酒屋へと向かった。


 雉も鳴かずば撃たれまい、長ったらしい居酒屋の名前が書かれた暖簾をくぐって僕たちは今に至る。

「割り勘で」

「いいよ、わたしも学生さんにおごってもらおうなんて考えていないから」

「わ、割り勘で」

「いや、こんな小さい女の子にお金出させるあれだから」

 明ちゃんの分も割ろう、と雪路は提案してきた。

 ぼくもそれでいいだろう、と判断する。

 明も納得しきってはいないだろうが、メンツをたてると考えを直したらしい。うなずいてメニューを見ていた。

「お、来ました来ました、来ましたよ!」

 泡が多い生ビール二つと、ソフトドリンクはドリンクバーで飲み放題ということらしい空のグラスが一つが卓上に並んだ。

「明ちゃんなんかついできなよ、乾杯したいからさ」

 そういわれて明は渋々ソフトドリンクを注ぎに行った。

「さて、桑島くん」

 きみを落とした理由をいおう、と雪路はいう。

「きみが私達の会社に提供できる価値が、そうだな、ありきたりなものだったんだ」

 例えばきみは面接の際に、チラチラとビールを見ながら雪路はいう。

「プログラミング言語を学びました、それを活かして御社に貢献したい、ウンヌンカンヌンといった」

 でも私達からすれば、といったところで、明が帰ってきた。ソフトドリンクはメロンソーダを注いだらしく、透明なグラスは緑色になり気泡がふつふつと湧いていた。

「よしよし、じゃあ、皆々衆、よろしいか?」

 ぼくはコクリとうなずき、明はハイと不機嫌そうに返した。

「じゃあ、かんぱーい! 仕事なんかやってられるか!!」

 ぼくを落とした人物がいうことかな、と思いつつ金色の麦酒を流し込む。

「さて、さて、そうそう、ありきたりなんだよ」

 繰り返しになってるぞ、と明がいう。ぼくも思ったが、まず聞くことにする。

「ウェブ関係の会社でプログラミングできますってのは、水泳で息継ぎできますってくらいに当たり前なんだよターコ」

「わたしからすればすごいと思う」

 明の擁護を、雪路はウンウンとうなずいて尋ねる。

「じゃあ、その凄さをどうやってマネタイズ、お金を得る仕組みにする?」

「それは、わからないけど」

 明ちゃんは可愛いねぇ、と雪路はぐいとビールを飲む。

「だけどおバカさーん、すごいだけで崇めてお金を落とすなんて原始人でもやりませーん!」

「あの、雪路さん、少し落ち着いて」

 微妙なタイミングで焼き鳥が届く。たしかに美味しそうではあったが、味を気にかけていられるほど、和やかな食卓を囲めるとは思えない。

「金儲けだけが企業のあるべき姿じゃない、そうだね、でもそう言ってるところはしっかり稼いでいるからいえるんだよ」

 兵隊はいっぱいいる、雪路はネギマを塩で食べながら続ける。

「わたしだって人事やってるけど、もとは兵隊上がり、兵隊ってなにかっていえば、桑島くんが後生大事に掲げているプログラミングできまーすって、ところ。飽和してんだよなぁ、それで、例えば、桑島くんと他の仮にBさんを面接しますっていったとき、Bさんはプログラミング×アパレルで働いていました」

 そうなったときわたしたちはBさんをとってきみを落とす、白レバーを平らげてビールのおかわりを要求していた。

「ただの兵隊に投資できるほど我社に余裕はありまっせん!」

「じゃあ、あなたはどうやって兵隊から卒業できたのですか?」

 自己投資かねー、と雪路はこぼす。

「ほら、わたしいま超絶ウザキャラやってると思うし、実際そうだけど、飲み会とか人の話を聞くの好きなんだよ、あと、きみの娘なのか親戚なのかわからないけど女の子にアンケート書いてもらってる」

 これはわたしの行動、雪路はそれを全肯定するような自慢はしなかった。

「まぁ、それうまくいったこともあるし、失敗したこともあるさー。

 きみとわたしの違いは、きみは自分の活かし方を会社に任せ、わたしは自分の活かし方を自分で考えて、行動した」

 それだけだよ、雪路はビールのおかわりを頼んでいた。

「もし、なにか商売の話があるなら、わたしに尋ねてご覧、ウチで企画が通るかもしれないし、おじゃんになるかもしれない」

 でも行動したら価値が出る、と雪路は笑っていた。

「やめやめ、でも、わたしは言いたいことはいったし、きみも聞きたいことは聞けたんじゃないか?」

 はい、とぼくはうなずいた。

 就職活動はするべきだ、その方針は変わらない。

 代わりにすべきアクションが増えた、といっていいだろう。

 最後に一つだけ、と雪路に尋ねる。

「ふにゅ」

 明が寝ぼけている声が妙に響いた。

 雪路が質問に答えてから、明について評した。

「この子未来ちゃんに似てるのねー」

「そうですか?」

「うんうん、未来ちゃんみたいにきれいだけど、未来ちゃんを可愛くした感じにも見える」

 親戚? 問いかけに似たようなものです、とぼくは答えた。

 それから一時間くらいして解散することとなった。

「今日は奢らせてください」

「悪いねぇ、でも、わたしもきみにとってそれくらいの価値あることをしたでしょ?」

「ぼくはお金の貸し借りにうるさいですが、ケチなわけじゃないんですよ」

 知って足り、足るを知る、とでもいうのだろうか、とぼくは明に感謝を覚えながら会計を支払った。

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