第8話 『灯/未来』の『演劇/舞台』
「センセー、なんかいいことあったっすか?」
家庭教師先の生徒にそんなことをいわれる。
週に一度が五回ほどあるわけだが、この生徒は地頭がいいが努力をしようとしないというタイプの子で、楽をしようという意識が大きい。
「デートするんだ」
いいことに含められるかはわからないが、ぼくは答える。
「マジすか! え、どこ行くんですか? 今から? 疲れちゃったからの、ラブホコンボ?」
「それは女側からしかけるやつじゃないか?」
面白いことをいう、といって生徒に対してのパーソナリティを思い出す。
彼は理系の大学に進みたいということで親から家庭教師を頼んだ、というのだ。
努力はできない、とはいったがゲーム感覚で捉えることが得意なのだ。
だから、ぼくはそれに合わせた課題を作ることもある。
「そっかー、ふーん、センセ、オレがヒィコラ勉強している間にミミクリーチチクリーしちゃってるんですね、絶許」
「きみもそういうふうにいわれるときは来るよ」
まぁぼくの例に取れば未来からきたという設定の女の子とデートするわけだから、なかなか特殊であるが、デート自体はあるだろう。
「あーあ、オレも海外行ってパツキンのチャンネーとイイコトしてぇな、ほんと」
そう、なかなかに現代では古くなった言葉を使うがこの子は海外に移住してみたい、と思ったから学位がほしい、それがこの子のモチベーションなのだ。
「とりあえず、海外、日本だけしか知らないのはグローバルな人材になれないっしょ」
海外の永住権が学位の有無で関わっている、ということ動画で知ったらしい。そこから調べる貪欲さはあるようだ。
「でも、センセ、いい顔してるよ」
年下からそんなことをいわれても普段だったら反感を覚えるだろう、生意気だ、と。
けれども、妙に気になった。
「ウンウン、だって先週のセンセー、死にそうな顔してたもん」
そっかーだから彼女と燃え上がったのかー、とこぼして、最後に、
「絶許」
「それはいいから」
しばらくして、時間が過ぎ、ぼくは生徒の住まうマンションをあとにして待ち合わせの場所へといった。
十分程待つことになったが、ぼくは生徒たちについて何故か考えた。
彼らの多くはやりたいことを持っていない、直近の彼もとりあえず海外に行くという目的はあるが、それを使ってなにをやりたい、というプランがない。
まだ、ない、というところだろう。
けれども未来に対しての期待がある。
それだけしかない、ともいえるだろうが、ぼくには眩しかった。
希望を持っているやつはくじけない。
ぼくは今はくじけない。
希望を持っているからだろう。
「おまたせ、テツくん、パパ」
「……よぉ」
振り返って目線は下向きになる。小さな明は目元大きく隠す眼鏡をかけていた。
「なんかいかがわしいバイトしてたんじゃないだろうな」
「大丈夫だよ、これはママに見つからないようにするためのものだから」
わたしは二人のキューピッドなんだから、と明はいう。
仕掛け人がバレてちゃダメでしょ、ということなのだろうぼくは当たりをつけた。
その他にも明はおしゃれをしていた。ストールもつけてたし、昨日買っていないはずのつばが広い帽子だって身にまとっている。
資金力はあるわけだ。
ますます、動機がわからなくなってくる。
「さ、いこ」
ママの舞台が始まっちゃうよ? 明に手をひかれぼくは会場へと足を踏み入れた。
会場に入り、チケットを見せて半券を返されパンフレットを受け取る。
チケットにも劇のタイトルは書かれていたのだろうが、あまり興味もなかったので、パンフレットに飛び込んできた文字を見て、この劇が脱サラしようとする主人公とそれを止める上司の喜劇的なテーマにした演目ということを知る。
脱サラキング、というタイトルをしたパンフレットを開き、キャストの項目や芝居のストーリーを要約した梗概、舞台中に見ることになるだろうイメージなどをまじまじと見ていた。
明はというと、なれたもので客席に座っている他の観客を見る余裕があった。
「なぁ」
明に尋ねる。
「灯、という名前がないんだが」
「あぁ、それは」
ママは芸名を使っているんだよ、と明はパンフレットに書かれたキャスト名を指差す。
未来。
示された名前は未来だった。
ブザーが鳴る。
『ご来場の皆様へ、本日はご来場誠にありがとうございます――』
アナウンスが流れる、照明が落ちる。
――劇が、始まる。
演目は素晴らしいものだった、主人公の古旗勤が上司に退職届を出すところから始まる。
ここで区切って始まってもいいのだが、この劇は更に三人の社員が続けざまに退職届を出すのだ。そこで観客はどっと笑った。
場所は変わって居酒屋へとなる、ここでは五人のキャラクターにフォーカスが当たる。
古旗勤、加賀恭司、幸島北条、長久手桐里、そして未来扮する榎坂涼花。
上司こと加賀恭司は引き止めるポジショントークをする。他の退職届を出した面々は自分たちの夢や次の仕事についてを語る。
そのうちある一人が残ってもいいかな、といい出す。
彼は、不安だったのだという。
精神を患うほど心労が耐えなかったというのだが、実は上司である加賀恭司も躁うつ病にかかっているという。
上司も病でも頑張っているなら、自分ももう少し頑張ってみようかな、と考えが変わったのだという。
そして、未来扮する榎坂涼花は古旗勤をスカウトするのだ。
彼女はフリーランスとして活動しようとし、古旗をパートナーとして誘うのだ。
そして、各々の明日が始まり、舞台は幕を閉じた。
時計を見る。
二十一時を指し、二時間が経過したことを知る。
キャストが緞帳の前で勢揃いしお辞儀をし、その後は慌ただしく終わりが始まっていた。
「面白かったな」
エンターテイメントとして見る分には優れた作品であり、演出だと感じた。
演劇もドラマも映画も、ぼくには縁遠い世界だ。
頑張れる気力をもらえた気がする。
素直に、明にありがとうといおう。
いった。
しかし、反応がない。
明がなにをしていたのかといえば、パンフレットの余白びっしりとペンで文字を書き込んでいたのだ。
特に慌てることもなく、ぼくは明の気が済むまでの時間を一緒に座っていた。
といっても暇だったので、携帯に電源を入れて、アナウンスで電源を切る指示があったので、メールをチェックしていた。
チェックが終わってからも明はまだ書き込んでいたが、明だけではなかった。
ぼくから見て出口側で僕たちが出ていくときにはどいてもらわなければいけない客席にでんと座って、書き込んでいる女性がいた。
「あ、ごめん、テツくん」
「ん、いや、大丈夫だ」
僕たちが出ていこうとして、その女性はまだ書いていた。
「あの」
「ん? あ、あぁ、すいません、邪魔しちゃいましたね」
と顔を上げて、ぼくはその女性をどこかで見た覚えがあった。
「ん? んー」
あぁ、とぼくの顔を見て彼女は呼んだ。
「桑島くんじゃないか」
親しげに聞いてくる。
はて、どこであったか、という内声を聞いていたのだが、後ろにいる明がジトッとした粘質な声を上げた。
「パパぁ?」
「パパ?」
「違います」
話がややこしくなるから少し静かに、と明に対していってからぼくは目の前の女性を改めてみて、気がつく。
「雪下さんですか?」
「そそ、久しぶりだね」
面接以来? と彼女、雪下雪路は尋ねた。
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