第7話 誰も彼も役者であるが故

 用意していたとしか思えない、という言葉は未来人とする明の前では意味のない感嘆だ。既知であるといえば、何でも通ることなのだから。

「灯ママの劇が今日あるんだよ」

 観に行こうよ、と提案する。

「何時からだ?」

「十九時からだよ」

 家庭教師のバイトを終えて、すぐ行くことになるか、ぼくは少し考えてからオーケーといった。

 気晴らしも必要だろう。少し落ち着くことも必要なんじゃないかと思う。鬱々としていたから、後先考えない自殺なんてしようとしてしまったんだから。

 朝食を済ませてからぼくは明に合鍵をもたせた。

「――いいの?」

「なくすなよ」

 問いかけの返事はしない、注意が答えと思ったのだろう、花が咲くような笑みを明は浮かべた。

「ぼくは出かける、昼飯は大丈夫だ、夕飯は時間が時間だろうから、劇を見終わってから食って帰るか」

 部屋の掃除とか整頓は任せる、赤の他人に信頼を置きすぎているかもしれないが、少しは頼ってもいいかもしれない、とぼくは思った。

 そのための布石もしていた。

 昨日明が気絶したあと荷物を調べた。取り立てて怪しいものはなかった、盗聴器や発信機のようなもの、カメラもない。財布は調べなかった。個人情報の塊だろうが、疑いを持って調べるうちに、騙そうとする悪意を感じられなかったからだ。

 ぼくは善人ではない。

 ただ、猜疑心が凝り固まって善意を信じようとしない悪人にもなれない。

 自室に入って着替えて、荷物をかばんに詰め込み、wi-hi環境のある公共施設に行くことにした。

 と、そうだ、と思い出す。

「明」

「な、なに、パパ」

 ケータイ、といって尋ねる。

「連絡先まだ交換していなかったよな」

 未来人だから持っていないか? と聞くと、明はこう返す。

「未来人だから持ってるよ、テツくん」

 そうしてぼくたちは電話番号とメールアドレス、を交換する。

 ラインのようなアプリが明の端末には入っていなかったようで、あとから入れるようにといって、ぼくは部屋のwi-fiパスワードを教えた。


 それからぼくはノートパソコンで書類を作成し、PDF化してコンビニでコピーをとって、大学へと向かった。

「どうだ、就活状況は」

 ゼミの四十代の男性助教授に書類を提出すると尋ねられた。

 ぼくは少しいいよどんで、ぼちぼちですと答えた。

 昨日自殺未遂しました、といえるはずはない。

 助教授は朗らかに笑って答える。

「桑島は優秀だから大学院という選択肢もある、ダメそうだったらそういう道もあるからな」

 言外にぼくの就活状況が良くないと察したのだろう、とぼくは当たりをつける。

 すぐ立ち去っても良かったのだが、ぼくはこのよく話したことのない助教授に質問を投げかけた。

「どうして助教授になったかって? あぁ、簡単だ、オレは就活に失敗したからだ」

 逃げたんだよ、と笑う。

「逃げた先に楽園なんてない、ってのは漫画のセリフであったと思うが、半分ハズレで半分正解だとオレは思っている」

「どこが、でしょうか?」

 ホワイでは尋ねない、箇所を聞きたかったし知りたかった。

「オレが今助教授になっているってことは、逆説的にハズレている、そして、逃げた先でも苦労はある、学生の相談事だったり試験の作成だったり、無建設的な会議に時間を空費させられたり、楽園にきたと思えないよな」

 それでもオレが生きている、助教授は笑う。

「そういうわけで楽園といい切れる領域はないが、生きてりゃいいことは確実に起こる、当然悪いことも」

 起きたことに対して善悪は人の受け止め方だ、助教授は憶測だが、とぼくに尋ねる。

「ぶっちゃけ、就活の状況悪いだろう?」

「……はい」

 そういう経験をしているやつは多い、助教授はいう。

「多い、ということは誰もが直面する問題だ、ということだ。そしてこういうこともいえる」

 問題は解決できたら商売になる、と助教授はいう。

「オレを例に出すのは手前味噌のように感じるかもしれないが、例えばオレは学生の就活に対して解決に導こうとしている、これがオレの商売だ。学生の学費に対してオレは問題解決の補助という形で報いている」

 この商売が成り立っているのはどこか、わかるかという質問の言葉はなかったが、ぼくは答える。

「助教授が問題に対して解決を提供できるから、でしょうか?」

 三分の一正解だ、と、三分の二はハズレという事実をあたっていた面のみにぼくの思考を向けさせた。ぼくはハズレの方を見たが、当たらなかった部分が知りたいと思い、助教授の言葉を聞いた。

「多くの商売は三つの柱があって成り立っている。

 一つは、桑島がいったとおりオレは問題解決の提供、という商品だ。これだけあってもしょうがない、というのが二つ目のでわかる。

 二つ目は、顧客。当然だよな、オレがいくらいい商品です、いいサービスです、といっても、買うやつがいなかったら、お金は商売人であるオレに入ってこない。そして、この二つだけあっても土台崩れになることが三つ目でわかる」

 もったいぶって、あぁ、と聞けば納得できる答えを助教授はいう。

「最後に、集客だ。わかりやすいだろう? 簡単だと思うが、よくできていて、一つ目の商品を世間に広めるためにも必要だし、次の顧客も問題を解決するための手段を探している、そこで採用することで問題を解決できますと聞けば諸手を挙げてカネを落とす」

 まぁ、オレの商売は能動的なものじゃないがな、とこぼす。

「集客はこのゼミの教授がやっているし、商品はオレだけが提供しているわけじゃない、顧客に対しては大本の大学自体がやっている」

 ひとりひとりがちっぽけというのがわかるだろう、と助教授はいう。

「就職した先もそういう構造が多かったりする、起業ともなるとまた変わってくるが、大なり小なり役割を演じている」

 誰も彼も役者なんだよ、と助教授は笑う。

「今、桑島は役をもらえない役者といえるだろう」

 でもそれはなぜか、どこを直せば役をもらえるか、助教授は最後にこういって締めた。

「あるいは――脚本家や演出家になってしまうか」

 いっていいよ、と助教授は自分の仕事に取り掛かった。


 昼飯を食いながら助教授のいっていたことを考えていた。

 百円ショップに立ち寄り二百枚入りのメッセージカードとボールペンを一つ購入し家庭教師のバイトまでの時間、ちょっとしたゲームをすることにした。

 移動時間前までにメッセージカードをすべて書き込むかボールペンのインクが尽きさせるかをする、というものだ。

 目標は二つ立てたが、これらは達成できなくても問題はない。

 行動こそが目的だ。終わったら、ある程度達成できたといえるだろう。

 書き出しこそは時間がかかったが、エンジンを暖めるようにペンを走らせると、思いが、考えが、出力する時間が足りないとは、不足に歯がゆさを感じていた。

 書き込んだメッセージカードは、ぼくにとっては価値がない。

 捨ててもいい、書き込んだという行動がぼくには残る。

 百八十枚ほど裏表に書き込み、ボールペンのインクが尽きた。

 立てた予定は電話を企業にかけることだったが、これはこれで充実している。

 時間はまだある、昨日看病しながら良さそうな企業のリストアップをしていた。

 ぼくは電話をする。

 企業にとってこの撒き餌の味はお好みではないだろうが、行動する。

 行動していて、ぼくは進んでいると感じた。

 そして、一社釣り上げた。

「あぁ、はいはい、覚えてるよ、桑島さんだね」

 雑談を交えながら、ぼくは自分がほしい果実をもらえるように、へりくだって尋ねた。

「いいよ、明日でもいいかな。わたしは今晩からフリーだけど、そこまで社畜しなくてもいいかな、って思うし」

 あぁ、そうだ、と電話越しにいう。

「女の子を連れてきてよ、なに、悪いことはしないからさ」

 ぼくは、一人の異性が頭に浮かんだ。

「会社の仕事を進めたいという社畜マインドからだよ」

 安心しな、というが、この会社に落とされてよかった、ともぼくは思った。

 それからセットアップは進み、ぼくは家庭教師のバイトに赴いた。

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