第3話 ママをナンパと助言するママ
遠目から明と明のいうママは容姿が似ているように思えた。
背丈も同じくらいで、明確に違うのは着ている服だ。明が、おそらく高校生の制服であるのに対し、入店してきた彼女は春口の肌寒さをカバーするためのストールを巻きミントグリーンのロングスカートを履いていた。
「灯」
ママの名前だよ、パパ、と明は発色の良い茶色のテーブルで文字をなぞった。
ママ、ということは将来結婚する相手になるだろう。
本当なら、とつくが。
「で?」
ぼくは促す。
「ぼくにどうしてほしいんだ、明」
忙しいんだ、とぼくはいう。
「死ななかった、ということは、今生きているっていうことだ」
就職活動がある、いいながら胃がキリキリとする感覚がある。
「物語ごっこに付き合ってはいられないよ」
できすぎた話だ、人為を疑う。
「パパは」
「ぼくはパパじゃない」
ママと結婚してよかったっていってたよ、明はいう。
「人間的に成長できた、って」
そのおかげで最初の仕事にありつけた、明の言葉は聞き捨てならなかった。
最初の仕事、ということはのちに転職ができたとも捉えられる。
「パパはねえ、起業するんだよ」
「夢のある話だ」
言葉なら好きなように並べられる、でも、とぼくも心境が変わる。
目の前の少女明は、血縁かどうかは別として、可愛い女の子だ。
言動はあれだが、つながりを持っていくことはいいかもしれない、と思い始めた。
「ママの方には問題はないのか?」
何気ない問いかけだ、ぼくとしては深い意味があったわけじゃない。ただ、ぼくに問題があるのなら、相手にも問題があるのかもというのは、天秤が釣り合っているように思える。
明は、えーっと、と歯切れ悪くいう。
「ママは体が弱い人だよ、よく病院に行ってた」
情報をもとに改めて灯を観察する。
明も細いが、灯も折れることを心配してしまうような体つきだった。
「でもパパと出会う前から舞台に立ってたんだ」
灯のパーソナルデータが増えていく。
知りもしない、興味もなかった人物を、ぼくは知ろうとしている。
「パパは、ここでママと出会う」
予言だ。
抗うこともできる。
「どうやって、灯、灯さんと出会ったんだ」
ぼくは、と疑問を投げかける。
明は笑って、
「ダメだよ、パパ。わたしは教えられないし、教えちゃいけないんだもん」
ママが来るのは最大限の譲歩だよ、といって明は立ち上がる。
「がんばれパパ、わたしがいることがパパができるって証拠だよ」
明るい屈託のない笑顔にぼくは追いかけることができなかった。
「さて」
今日は目まぐるしい時間の流れだ、と思う。
就職活動の成果を上がられず、気の迷いから自殺しかけ、それを助けたのが未来の娘、そして未来の妻といわれる女の子を知り、その子に話しかけようとする。
カランコロンと、喫茶店から明が出ていった。
ぼくも立ち上がり、明からすればママをナンパすることにした。
「すいません、相席いいですか?」
本を読んでいるところに、ぼくという異物が来たが、灯、と明が呼ぶ、女の子は困った顔をしたが拒絶することなく、どうぞ、と促した。
「ありがとうございます」
そうしてからぼくはメニューをとった。
先程も見ていたが、コーヒーのブレンドだけしか頼んでいなかったので、小腹がすいた。
コーヒーをもう一杯と、もう甘味が食べたかったのでメニューを見る。
しかし、喫茶店あるあるでメニューに写真がのっていなかった。
「このお店にはよく来られるんですか?」
ペラリ、と紙をめくる音を数回聞いてから、灯は気がついて答えた。
「え? ……えぇ」
「なにか、おすすめはないですか? 初めてなもので、どのデザートをたべたらいいかわからないんです」
灯はメニューを差し出してというジェスチャーをして受け取った。
そして、顔をほころばせてぼくが見やすいようにメニューを開いて指差した。
「アップルパイが美味しいですよ」
可愛らしい笑顔だ。その中に食欲もあるように見えた。
「一緒に食べませんか?」
ぼくは申し出る。
灯は、キョトンとし、一呼吸を老いてから慌てた。
「そんな、悪いですよ」
「じゃあ、ぼくのお話に付き合ってくれませんか?」
食べながら話しませんか? というと灯は少し不信感を覚えながら、いいですよ、と僕にいった。
「キリマンジャロとアップルパイ二つ、えぇっと」
「私はブレンドコーヒー一つ」
注文して伝票を受け取る、そういえば明と一緒のときに飲んだコーヒーの分を支払っていない。過去へ旅行なんてしたことがないから、金銭面では明は大変だろう。
未来から来た、という前提で話を勧めているが、疑うことにも信じることにも今日は少し疲れた。
「さっきいた」
女の子、灯から切り出してきた。
「彼女さんですか?」
「みたいなもんです。えぇっと――」
灯です、と答える。
「ぼくは桑島です、桑島哲」
どうもよろしく、と灯はお辞儀をした。
慌ててぼくも礼を返す。
「振られちゃったんですよね、それでぼくの恰好見てわかるかもしれませんが、就活生なんです。就職活動を何十という会社で面接を受けて、落ちて、で、愛想ついたみたいです」
「そんなこと、ないと思いますけど」
それはどうして、と聞き返すと、灯は本にしおりを挟んでおいた。
「声が嬉しそうでした」
愁嘆場は切羽が詰まるものです、と灯はいう。
「疲れているだけですよ、哲さん、こうお呼びして、よろしいでしょうか」
えぇ、といってコーヒーとアップルパイが届く。
「わたしはまだ一年生で就活は大変だというのは知識の中でしかないんですが、どこが大変なんですか?」
「心が折れるところですかね」
履歴書はテンプレートがあり蓄積されたものが制作自体には手間はあまりない、質自体も悪くはないと自負できる。
問題なのは、ぼくはいう。
「何がダメだったのか、わからないことです」
灯はキョトンとして、さも当然のようにリアクションを吐き出した。
「聞いてみてはいいんじゃないでしょうか?」
灯のいったフーはぼくにとって埒外だった。
「その落とした企業に」
聞いて、コーヒーを飲む、少し熱くピリッとやけどした痛みがある。
確かに、という頷きがある。
前向きな言葉だ、と思う。ぼくは会社の上っ面ばかりを見ていて、そこで働き指示を出す人というものに目を向けていなかった。
「それは、いいかもしれませんね」
「すいません、思いつきだったんですけど」
いえ、といってぼくは頭を下げる。
「光明が見えた気がします。灯さん、ありがとうございます」
いえそんな、と口元を隠して灯は照れていた。
「そのLINE、交換します?」
これもなにかの縁ですから、と灯からいってきた。
「私も入ったばっかりの大学で知り合いとかいないので、友達ができたらいいなって思ったので」
わたしの相談にものってくださいよ、灯はいう。
「いい取引ですね」
「私が出せるものは少ないからわたしのほうが得しちゃってますけど」
そんなことはないです、とぼくはいう。
「こんな可愛い子と知り合えたし、ぼくもラッキーです」
というと、灯は困ったように慌てて返した。
「そういう言葉を彼女さんにいったほうがいいですよ」
そうだね、と相槌を打ち、少しは脈があるかな、と打算的に思う。
今後の方針も見えてきた、あとはセッティングだ、と思って灯と少し喋ってからぼくは自宅のマンションの帰路についた。
階段を登り、自室のある回廊に立ち、ぼくは声を出した。
「明」
「あっ、パパ」
「ぼくはパパじゃない」
どうしたんだ、という。
「寝るところなくてさ、泊めてくれない?」
本当に、今日はいろいろなことがある。
疲労もあるし、理不尽さも感じる。
それでも前に進んでいる、と思えるのは、この奇妙な関係のおかげなのかもしれない。
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