3-4

「お前さ、思ったより何か……鍛えてるよな」


 ロッカーが壁に並び、中心には長椅子がぽつりと置かれた狭い男子更衣室の中で、総一郎の横に立つ米町が口を開く。


 総一郎の体は大きくは無いものの、細く見える腕や腰回りは皮膚の下にしなやかな筋肉の束が詰まっているのが良く分かる。


 力強い、堅い筋肉の詰まり方とは違うタイプではあるが、そこにひ弱さは一切感じられない。


 研ぎ澄まされた刃物の様に鋭い、そんな肉体であった。


「急にどうしたの」


「いや、俺らの鍛え方と違う筋肉で驚いたっつーか」


 そう言いながら、腕を掲げて眺める。


 しなやかというよりは、力強く盛り上がる瘤に似た筋肉の集まりを感じさせる体であった。


「何じゃそら」


 椅子に座っていた武田が二人の腹の間に顔を割り込ませながらツッコミを入れている。


「あるじゃん、スポーツやってるのとまた違う鍛え方だなってヤツ」


 適切な言葉が見つからないのか、唸りながら腕を組む。


「あー、それ何となくわかるわ。確かに多々良の鍛え方俺らと違うっぽいよな」


 体格のいい青年が後方から話しに加わる。


 彼も大きな体に盛り上がった筋肉がしっかりとついているタイプらしく、多々良より見た目は一回り程大きく見える。


 二人と並ぶことで、より総一郎の異質さが際立つ。


「あれだよな、格闘技の筋肉だよな」


「あーそれそれ、それだよ」


 当の本人を置いてけれぼりにして盛り上がる二人に、総一郎が苦笑いしながら答える。


「僕は元々体が弱かったから、それで筋トレをし始めたんだけど……誰かに聞いたわけでも無いから、それで他の人と違うのかもね」


「なるほどねぇ、いいと思うぜ」


「ってかそんだけ鍛えてるなら何かやらねぇの? ウチの学校だったら空手とかボクシング部とかあったよな?」


 米町が青年に聞くと力強くうなずく。


「いや、それよりウチでラグビーしろよ。アレも中々楽しいぞ」


 青年が総一郎の背中を叩く。


 叩かれた本人は困ったような、いつもの笑顔を浮かべていた。


「いや、ダメなんだ。粘膜の病気でね、血が止まりにくくてとてもじゃないけど格闘技もラグビーも出来ないんだ」


「マジかよ、もったいねぇなあ」


「ごめんね、でも体育くらいなら全然無理しなきゃ出れるから。球技大会とかどんどんサポートに回って頑張るよ」


 そう告げながら、総一郎はインナーを着て上にシャツを羽織った。


「そっかあ……残念だな、非常に残念」


「お前マジで勧誘するつもりだったのかよ、ずりぃぞ」


「なんだよ、バレー部よりパワーのいるこっちのが向いてると思ったんだよ」


「お前らの部、そんなギリギリでやってんの?」


 武田が少々馬鹿にしたような笑いと共に割って入る。


「元々少なくなってんだよ、ほら……精進料理みてぇな名前のアレ? みたいな」


「少子高齢化だろ、全然違うじゃねぇか。ま、勧誘なら他でやれって事だな」


 残念そうな二人を見て、総一郎は申し訳なさそうに笑った。



 屋上の中心、総一郎と武田は向き合う形で立っていた。 


 互いの距離は近すぎず遠すぎず、一歩どちらかが踏み出せば拳や蹴りが届くといった印象である。


 武田が踏み出し、前に出した右を軸足にして左のローキックを放つ。


 速度も威力も無い、形だけの蹴りである。


 武田が足を戻すと共に、総一郎も同様にローキックを放った。


 次は拳を肩に、その次は踏み込んで肘を腹部に、再びローキックを――と、互いに相手に軽く当てるだけの動きを繰り返す。


 鏡写しの如く、二人は同じ技を出し合う。


 互いの動きを確認しあうように、その一連の流れはゆるやかに続く。


 しばらく続いた所で、どちらからともなく繰り出す速度が上がっていく。


 総一郎の攻撃は少しかすっただけでも皮膚を裂く鋭さを、武田の攻撃は一撃一撃に力強く、重さが増している。


 躊躇いの無い、確実に相手へダメージを与えるための攻撃のやり取りが始まっていた。


 それらを両者が捌き、避け、時には打点をずらして受け反撃を放つ。


 武田の出した前蹴りを避け、総一郎が背後へ回る。


 その動きに合わせて軸足の踵を回転させながら、武田が振り返る。


 総一郎は追撃を行う事無く、後方へ軽く跳んで距離を取った。 


 離れた状態で、再び見合った。


「このくらいかな」


 総一郎が軽く上げていた腕を下ろす。


「ま、そうだな」


 武田もその動きを見て、構えを解いて笑顔を見せた。


 総一郎はゆっくりと武田の方向へと歩いていく。


 先程より少し離れた程度の距離で、武田が動いた。


 腰を下ろすと同時に、そのまま前へと体を突き出したのだ。


 予測していたかのように、総一郎はタックルに来た武田の下に潜り込み、片腕を掴んで両脚を首に絡めていく。


 掴んだ腕を足で首元との間に挟み、締め付ける。


 武田は自身にぶら下がる形で技を極めている総一郎の体を、力任せに持ち上げた。


 総一郎はその瞬間に技を解き、手は掴んだまま地面に足を着け、再び向かい合った。


「うん。反応も鈍ってないな」


「相変わらず気が抜けないなあ」


「ってか、三角締めってアイツらに効くの?」


「いや、首の皮膚が硬化してるから頸動脈を絞めるまでは出来ないだろうね。だから今の体勢から、腕をしばらく使えないようにする」


「折るのか」


 武田が掴まれていた腕をその言葉を聞いてからすぐに上に持ち上げて、総一郎の腕を振り払った。


「回復するにしても、片腕を封じるだけでこちらとしてはやりやすくなるからね」


「なるほどねぇ。でも、昨日の相手なら三角絞めは有効なんじゃねぇの?」


「現状なら、ね。パワードスーツが完成した場合はやはり折るしか無いだろうね」


「そんなに強かったのか」


「うん、かなり。骨組みであそこまでしっかり戦えるなら相当戦えるよ」


「じゃあお前の負担は減ら……ねぇか」


「だろうね。あの人達からしたら、僕も敵の一人だし」


「……これから厄介な事になりそうだな」


「うん」


 二人は同時に溜息を吐き、空を見上げた。



 同じように、空を見上げる男が一人。


 海浜公園駅の改札から少し離れた場所で、じっと立っている。


 背は百九十程、シャツの上からでも分かる程の筋肉が張りつめている。


 巨大な岩、そういう印象を持たせる男であった。


 彫りの深い、四角い顔を動かして周囲を眺めている。


「兄貴」


 百七十程の身長で、兄と呼ぶ男より小柄ではあるが筋肉の質は近く、しっかりと全身は鍛え上げられている。


 蛇のような目と、細長い面持ちの男であった。


「この辺りで間違いないな。でも、動き出すのは夜だろうよ。まだガキだからな、お勉強中だ」


「……ああ」


「奴らも動きを起こさなきゃ、ここじゃおっ始める気は無いだろうし……時間が空いちまったな」


 蛇の男が饒舌に喋る中、岩の男はただじっと周囲を見ている。


「……まずは、飯だな」


 岩の男はそれだけを言って、再び黙った。


「よし来た! 早速探すか」


「……ああ」


 二人の男は、同時に足を踏み出し歩き出した。



『粘膜の病気なんだって?』


『ええ、鼻血が出ると止まらなくなるんですよ』


 ブラウン管の中で、獲物を狙う獣の目をした青年がサンドバッグを打ちながら後方のトレーナーに話しかけている。


 その映像を、総一郎と武田が弁当をつまみながら観ている。


「これが元ネタか」


「まぁ、本当に使う日が来るとは思わなかったけどね」


「上手い言い訳なんだ、ありがたく利用し続けさせてもらおうぜ」


 うっすらと、二人のいる書庫へ向かってくる足音が聞こえる。


 規則正しく靴音を鳴らし近づく誰かに総一郎は気づき、弁当を食べる手を止めてドアの方へ歩いて、開く。


 もうすぐドア前にたどり着くという所でタイミングよくドアを開かれ、絵里が少しだけ目を開いて驚いている。


「……びっくりした」


「先輩の足音、分かりやすいんで。何かありました?」


「何それ、何か怖いから絶対他で言わない方がいいと思う。……あ、香苗達がまた帰りに寄りたいとこがあるって」


「またですか」


「うん。また」


 少々呆れた声色で話し合う二人の横で、窓が開く。


「えっ、断らないよね?」


「断る権利とかまず無いんだけど」


 顔から肩まで部屋に突っ込む形で、窓枠にすっぽりと井出と真野が収まっている。


「準備万端じゃないですか……」


 総一郎の困惑する眉が、更に下がった。


「逃げ道は二見先輩が来た時点で無かっただろ、行きますよ」


 行きますよ、という言葉をため息交じりに告げる武田に、窓枠の二人が笑いかける。


「いや、何か私が悪いみたいな流れになってるの、納得いかないんだけど」


「あ、いやそういう訳じゃ無いんですよ……」


 必死に弁解する武田に、冷めた目を向け続ける絵里。


 空はじわじわと淡い光を放ち始めていた。

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