3-3

 薄暗い部屋の中を、窓越しに街灯の光と青白く染まり始めた空が淡く照らしている。


 アパートの一室、台所と洗面所とリビングだけの簡素な部屋であった。


 テーブルとテレビだけしか置かれていないリビングで、伊達が目を覚ます。


 軽く上半身だけを起こし、テーブルの上にあるペットボトルを開けて水を一気に飲み干す。


 テーブルには昨夜食べた惣菜のパックと、雑誌が乱雑に置かれている。


 伊達はパックを台所へ持っていき、軽く洗ってラックに立て掛けた。


 出していた水で顔を洗い、その場で来ていたシャツとトランクスを脱いで全裸になって隣接する狭い洗面所へ入っていく。



 シャワーを浴び、歯を磨いて昨日の汚れを落とした後にジャージに着替えを済ませて、伊達は外に出た。


 2階にある部屋から音をあまり立てずに階段を降り、軽く柔軟をした後に走り出す。


 ゆったりとしたペースを崩さずに、三十分程かけて少し離れた公園まで走って辿り着く。


 その頃にはようやく空が白み始め、人がまばらに外へ出てきている中で伊達は公園内で軽く柔軟をし、再び三十分程走ってアパートへと戻る。


 到着する頃には陽が完全に登り、外が騒がしくなっていた。


 伊達も普段ならシャワーを浴びてスーツに着替えて自らも基地へとバイクを走らせる、毎日のルーティーンを終える所だが、謹慎中の身ゆえ今はシャツとジーンズに着替えて洗濯機の回る音を聞きながらリビングで大の字になって寝転んでいた。


 久々の休日だが、伊達の心境は落ち着かずにいる。普段とは明らかに違う、もどかしさのような物が胸につっかえている。


 洗濯機の振動で揺れる床を感じつつ、伊達は体を起こして出かける準備を始める。


 外からは、学生らの声が薄っすらと聞こえてきていた。



 希望島の羽田空港側沿岸部は、その大部分を海中に設置された可動式防護壁と同じ材質で作られた壁で囲われた基地で占められている。


 特殊犯罪対策課第三班の本部である。


 巨大な平屋の司令部と、輸送ヘリなどの格納庫が幾つか建っているだけではあるが、少人数で活動する彼らにとっては十分すぎるほどの設備である。


 周囲には駐屯地として知らされており、壁により内部の状況が外に漏れることも無い。


 正面ゲートの前に、ワインレッドの鮮やかな車体が目を引くバイクが停まる。


「あれ、伊達さん?」


 ゲート横の検問所から隊員が現れる。


 髪の短い、若い男であった。


「おお、お前が今日は門番係か」


 跨ったまま、伊達がヘルメットを外す。


「しばらく休みじゃなかったでしたっけ」


「ん? まあそうなんだけどさ」


「おうおうおう! 謹慎処分食らった奴が何しに来たんだよ」


 ゲート内から眠たげな眼を更に細めて、雨宮が伊達を睨みつけている。


 相変わらずボサボサの髪と羽織っただけの白衣は、昨日から変わらないんじゃないかと思えるほどに同じであった。


「……何でいるんだよ」


 心底面倒くさそうに、伊達が返事を返す。


「お前の持ち出した試作機の修理と調整。それより何か用?」


「いや、暇だからトレーニングに来たんだよ。設備も整ってるし、ここを使わないと損だなって」


「他にやる事無いのか、悲しいねぇ」


 口に手を当て、憐れむような声色ながら笑みを浮かべて伊達を見ている。


「うるせぇよ、研究について以外何もしないお前も同じようなもんだよ」


 悪態を吐きつつ、バイクから降りて押しながらゲートを通過する。


 雨宮は検問所の隊員に手を振りつつ、後を追っていく。


 並ばずに、後方から追う形でゆっくりと歩いている。


「でさ、天才の作り出した試作品はどうだった」


「動きの制限は無いけど、制御類が最悪。ちょっと気を抜きゃ俺がスーツに引っ張られちまうパワーだ」


 『天才』の部分を強調して問う雨宮に対し、伊達ははっきりと文句を告げた。


 雨宮も特に抗議をするわけでも無く、深くうなずいている。


「じゃあ上々だな。制御類はお前が軟弱なだけだろ」


「お前のはいつもそうだけど、使う側の事をもう少し考えろよ。出力が強すぎるんだよ」


「無理言うな、こっちだって情報が少ないんだから出来る限りスペック上げるしかないだろ」


「……まあ、制御系統をどうにかすりゃ十分戦えるのは事実だ。そこは認める」


「当たり前の事を言うな、誰の設計だと思ってんだ」


「珍しく褒めたんだから、素直に受け取れよな」


 軽口を互いに叩きながら、司令部の入口前にバイクを停める。


 先に入口へ歩く雨宮が、何かを思いついたように声を上げて振り返った。


「ちょうどいいや、お前起動と調整のテスト付き合えよ。経験者が動かした方が楽だしな」



 雨宮の言葉から数分後には、司令部の一室に伊達は強制的に移動させられていた。


 隊員服に着替え、その上からパワードスーツを装着している。


 昨夜の戦闘による損傷は完全に修復され、稼働にも問題は無いように見える。


「さて、各箇所にセンサーは付いてるし……問題なく始められそうだな」


「俺は昨日みたいに動き回ればいいのか?」


 見渡す限り灰色の、コンクリートで地面も壁も固められた広々とした室内を眺めながら伊達が問う。


「そりゃテストだからな。でも、それだけじゃ足りないから」


 雨宮が手に持っていたヘルメットを伊達の頭に被せる。


 普段のヘルメットと同じように見えていたが、妙に重い事に気づく。


「バイザーの部分に細工してる。こちらからデータを投影して疑似的にお前には戦闘を行ってもらう……ま、簡単に言えばVR技術を利用した戦闘テストって訳」


「なるほど、そいつは実戦的でいいや」


「直感的に、感じた事を言え。テストに関してはちゃんと聞いてやる」


「了解」


 ノートパソコンを手に持ち、雨宮が調整をしている横を研究員の男性が通る。


「伊達さん、制御システムはこちらで調整をしておいたので、昨夜よりは言う事を聞いてくれると思います」


「おお、ありがとう。助かるよ」


「そのおかげで本来のパワーは出てないけどな。8割くらいまで減少だ」


 不満そうに告げる雨宮に、研究員は呆れたと言わんばかりに溜息を吐く。


「そうでもしないとこの暴れ馬は使えませんよ……」


「そうだそうだ、良く言ってくれた!」


 研究員の言葉に便乗して抗議する伊達に大きな舌打ちをして、雨宮は隣の部屋へ移動していく。


 研究員も伊達に一礼した後、追いかける。


「まったく……」


 ため息を吐く伊達の視界に、ノイズが走り始める。


「起動した。しばらくしたら動きがあると思う」


 隣の部屋とこちらを繋ぐ、壁に埋め込まれたガラスから器具の調整と確認をする雨宮の姿を、伊達は横目で捉えた。


「相手が見えて、準備が出来たら言え。テスト開始だ」


 段々とクリアになる視界の中、目の前に人型が現れ始める。


 その姿は、骸骨の怪人――多々良総一郎に酷似していた。


「今後も戦う事になるやつのが、データも取れる。そいつの戦闘データは昨日以外にも多く取れてるしな」


「こいつは戦いを見るたびスタイルが変わる。納得の人選……怪人選って方が正しいのか?」


「軽口叩くのはここまで。始められるか?」


「ああ。いつでも」


 言い終わるかどうかの時点で、伊達は掌を軽く開き腰を低くして構えた。


 怪人は少々ノイズの入った体を揺らし、飛び上がって距離を一気に詰めた。


 両腕で伊達が放たれた跳び蹴りを防御する。


 衝撃は無いが、当たった腕に振動が伝わる。


「流石にダメージは無いが、臨場感って奴だ。一応攻撃を受けたら振動する」


「いい仕掛けじゃねぇか、その方がやり合ってるって……感じが出る!」


 防がれた怪人は足に力を込め、後方へと跳躍し距離を取る。


 伊達は追いかける形で近づき、体を回転させソバットを放つ。


 勢いの乗った足先は怪人の体をすり抜け、そのまま全身も通り過ぎていく。


『よし、脚部可動域は問題なさそうだな』


「当たった感覚が無いのは気持ち悪いが、制御も上手くいってるし思う存分暴れさせてもらう……ぜ!」


 怪人の背中に向けて高く飛び上がってからのドロップキックを繰り出す。


 地面に受け身を取りながら着地するも、思い切り背中のバッテリー部を叩きつけている。


『おい!! お前マジでいい加減にしろよ!!』


「耐久力のテストになるだろうが! 合格だ合格!」


 雨宮の大きなため息を聞きつつ、倒れている伊達へ怪人が放った蹴りを地面を転がって避ける。


 立ち上がり、再び構えた。


 足でリズムを取りながら、怪人と向き合う。


「どんどん動かせ! ジャンジャンデータ取ろうじゃねぇか!」


『言われなくても、そのつもりだよ』


 雨宮の操作と同時に、怪人が動き出す。


 伊達もそれに合わせ、体制を低く構え迎え撃つ。

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