3-2
多々良の体はヘリポートの中心に叩きつけられ、地面をそのまましばらく転がってから動きを止めた。
緊急時にはこのビルで集合しよう、と取り決めていたその屋上に何とか辿り着いたが、多々良の肉体は既に限界を越えていた。
上半身を持ち上げようと体を起こすも、上手く腕が動かずに再び倒れこんでしまう。
自分の意志と反して、多々良の中で何かが蠢き出している。
硬化した皮膚はひび割れ、その隙間から普段の赤黒い物ではなく、真っ黒い液体が流れ出ていた。
液体は前腕を包み始め、肥大していく。
筋繊維は煙を上げ、徐々に腕と同じく浸食されている。
多々良は腿の部分に手を当て、意思に合わせて溶解した一部から柴田を倒した際に取り出した塊を手に取った。
肥大した手で、塊を握り潰す。
赤黒い電流が腕を伝い、固まり始めていた腕の肥大化が止まり液体状へ変化する。
黒い液体は再び皮膚の隙間へと収まっていく。
皮膚自体も液状化を始め、赤黒く染まっていく。
血を纏ったように変化した多々良の姿は、徐々に人へ戻る。
最後の液体が胸部へ消えていく中、多々良の視界は霞み始めていた。
「畜生――おい、多々――お――」
駆け付けた武田の掛ける声を微かに聞きながら、意識が途絶えた。
目の前で炎が揺らいでいた。
燃え盛るその火は、赤い車から上がっている。
揺れる火の隙間からは、ひしゃげたボンネットがうっすらと見えている。
自分が立っているのか座っているのかすら、多々良は気づかない程にただ美しさすら感じる炎の姿を見ていた。
不意に、少し離れた場所から声が聞こえ、視線を向ける。
車の持ち主らしき数名の男女がその場を離れようと走っている。
突如、彼らの声と動きが止まり、その場に倒れこむ。
多々良はただ、その姿を眺めていた。
倒れた少し先に、暗い影が現れた。はっきりと見えないが、手には刀らしき物を握っている。
影は、徐々に多々良へ近づいてくる。
ジワジワと自らが置かれている状況に気づき、多々良は体を震わせながらゆっくりと影の方向へ体を向き直す。
近づいても黒い影のままのそれが、後数歩で刀を振れば届く距離に入った。
その瞬間、多々良は吠えた。
「うがらあっ!!」
倒れていた体を起こし、飛び上がるようにして目の前の空間に多々良は裏拳を放っていた。
先程まで見えていたはずの影は、その場にいない。
空を切った拳の先へ、視線を向ける。
カーテン越しの窓から月光が差し込み、うっすらと部屋を照らしていた。
シンプルな部屋であった。
一人部屋としては充分といった感じだが、最低限の家具のみが置かれているだけというのもあってか実際よりかなり広々としているように見える。
参考書や図鑑の並ぶ本棚と洋服箪笥が壁際に、窓際にベッドと勉強机が置かれている。
そこは、自分自身が良く知る部屋であると、多々良は徐々にはっきりと気づき始めていた。
ここは多々良の部屋である。
扉の前には、長身の男性が立っていた。
ウェーブのかかった髪は肩まで伸びており、精悍な顔には険しい表情が浮かんでいる。
「……父さん」
父――多々良一彦はジッと目の前にいる息子、多々良総一郎の姿を見つめている。
総一郎は片膝を立てている態勢を崩し、座り込む。
「大分うなされてたぞ。大丈夫か?」
「ああ……もう大丈夫だよ。体も、動くみたいだし」
「武田君から聞いた。また無茶したんだろ」
声色は軽いが、一彦の視線はいまだ鋭いままだ。
「うん、囲まれてるのに気づかなくて……薬を使ったんだ」
「そうか……」
一彦は続けて何か言いかけたが、口を閉ざす。
『お前がそこまでして戦う必要はない』と、父の飲み込んだ言葉を総一郎は理解していた。
そして、その言葉を発さなかった理由も、理解しているつもりであった。
「ごめん」
総一郎にはただ、謝罪の言葉しか思いつかなかった。
「……明日、武田君に謝っておけよ。ここまでわざわざ運んでくれたんだからな」
一彦は告げ、扉を開ける。
「後、母さんが飯温めてる。風呂入って食えよ」
「……うん」
扉を閉め、一彦が階段を下りていく音を聞きながら、総一郎はベッドに横たわってため息をついた。
しばらくして、一階に降りた総一郎の視線は母の背を捉える。
百七十程の背と姿勢の良さも相まってか、総一郎は少し顔を上げる形でその姿を見つめていた。
「母さん」
声を掛けられ、振り返る。
肩まで伸びた髪を揺らし、スッと線を引いたような目が総一郎の方へと向く。
柔らかな印象は、笑顔だけではなく全身から放たれる雰囲気そのものが、刺々しさを全く含まないためにそう感じさせていた。
母――多々良きりなは総一郎へ近づく。
「ああ、起きた? ごめんもうちょいご飯待ってもらっていい?」
「あ、いいよ。先にお風呂に入るから」
「そ。じゃあちょうどいいかも」
一彦と違い、きりなからは家に運び込まれた事についての追及は無い。
心配していない訳では無い。むしろ、心配だからこそ気を遣って話題を逸らしているのは、総一郎には痛いほどに伝わってきた。
「母さん、僕……」
言い終わる前に、きりなが総一郎の額を小突く。
「まあ、帰ってきたんだから今回は許す! これからも、それだけは必ず守りなさい」
「……分かった」
額を押さえ、総一郎は微笑んだ。
「分かったならさっさと風呂入ってきな、もう0時近いんだから」
「うん」
話が終わったところで、一彦がリビングへ入ってくる。
隣接するキッチンへそのまま移動し、稼働しているレンジの中を覗く。
「きりなさん、これ俺も貰っていいかな? 腹減っちゃった」
「いや総一郎の分しか残ってないんだけど。それにこんな時間に食べたら太るよ? 早く寝なよ」
「総一郎、頼むわ! 分けてくれ!」
先程までの張りつめた雰囲気は一切ない、両手を合わせて大げさに願い出る一彦に笑いながら首を横に振って、総一郎は風呂場へ向かった。
翌日の朝、総一郎は武田と書庫に集まっていた。
二人は並んで座り、窓際のブラウン管に映るノイズ交じりの映画を眺めている。
画面の中では屈強な男が酒を飲み、隣室の死人になった友人に目を向けている。
「なあ、多々良」
「ん?」
「お前さ、こないだ蜘蛛の時に出た被害者の葬式わざわざ行ったろ」
「……うん」
二人は互いに視線を合わせる事無く、画面を観たままである。
画面の中で、死人となった男が蘇って立ち上がろうとしていた。
「俺さ、お前のそういう所は個人的に気に入ってて、だから協力してるってのもあるよ。でもさ、お前がそれを続けて責任感に潰されんのは別だ」
武田は呟くように言い、総一郎はただ黙ってその言葉を受ける。
画面の中で動く死人となった友人を、男が苦々し気に睨みつけている。
「お前は神様じゃねぇんだ、全人類救えるわけじゃない。それでも、お前はよくやってると俺は思う」
視線は画面にまっすぐと向いたまま、はっきりとした口調で武田は伝えた。
「俺は、お前が責任感ってので動けなくなって死ぬのを見るのは、ごめんだからな」
「うん……うん」
総一郎はまっすぐ画面を見つめ、噛みしめるように返事を返す。
画面の男が、銃口を友人へと向けた。
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