2-5

 薄くオレンジがかった青い空が、窓の外で広がっていた。


 柴田はゆっくりと目を開け、眩しそうに眺める。


「目が覚めましたか」


 鷲尾の声が後方から聞こえ、柴田は首だけ動かして振り返る。


 鷲尾は少し離れた場所でソファに腰掛け、本を読んでいた。


「……俺は、どうなった」


「変身は成功しましたが、制御が出来ず……止む負えずこちらで何とか対処を」


「そうか……すまん」


 柴田が横に目を向けると、自らがもたれかかっているボールリターンが何が起きたのかを物語っている。


 体を起こすと、ひしゃげた部分から破片が落ちる音がする。


「そう気を落とさないで下さい。変身出来た事実は変わりませんし、これから調整すれば完全なコントロールは可能です」


「そう言って貰えると、助かるよ」


 柴田が立ち上がり、体に付いた破片を払う。


 鷲尾はそれと同時に近づき、前に立つ。


「変身してからの記憶は、一切無いですか?」


 柴田は考え込むが、しばらくして首を縦に振る。


 自身が倒れていた場所を確認し、鷲尾に向き合う。


「この感じだと……アンタに襲い掛かったとか?」


 少し間を開けて、鷲尾は頷く。


 柴田はそれと同時に勢いよく頭を下げた。


「すまん! 俺は……アンタを……」


「謝らないで下さい。こうなる事も想定して、こちらはちゃんと備えていますから」


 柴田は申し訳なさそうにうつむき、鷲尾の横を抜け窓へ近づく。


 外は帰宅していく学生や、車が行きかっていた。


「……柴田さん、今日は解散にしましょう。変身が出来るのであれば、完全な制御もそう遠い話でもありませんよ」


「そう言ってもらえると、ありがたいね」


 柴田は路肩に止めていた黒い車が走り去っていくのを、少し見つめたのち室内へ向き直す。


 鷲尾はソファに置いていた鞄を取り、振り向く。


「ああ、柴田さん。一つ守って頂きたいことがあります」


「何?」


「その力は、まだ隠していて欲しいんです。我々のルールといった所、でしょうか。人混みの中で変身されては困りますから」


 まるでスーパーヒーローだ。柴田は相変わらず現実感の無い言葉の羅列に困惑しつつも、頷いた。


「興味本位で聞くけど、それって守らない奴とかいたの?」


「ええ。我々も流石にそういう方を想定して、ちゃんと対処させて頂きました」


「はは……ちゃんと守るよ」


 全く普段と変わらない笑みを浮かべる鷲尾に、柴田は苦笑いを返す事しか出来なかった。



 三雲は特殊犯罪対策課第三班の指令室前にいた。


 広々とした室内には並べられるだけの長机と椅子が列をなし、その上にはモニターとキーボードが用意されている。


 オペレーター達はそれらを操作しながら、耳に装着したインカムか机に設置されたマイクで状況を知らせていた。


 三雲は入室してすぐに、室内の最も奥にある壁面の巨大な液晶パネルを確認する。


 希望島全体の地図が映されており、現在は異常が無いのか変化はない。


「どうだ、状況は」


 少し歩いて、オペレーターの見ているモニターへ目を移す。


「微弱な反応はありましたが、それ以外は特に。一応周辺の調査は向かって貰ってます」


 モニターには希望島を幾つかのエリアに区切った映像が映っている。


「微弱な反応は不安定か、すぐに力尽きているか。この辺りはまだまだ解明出来てないんで何とも言えないですけど、今の所そこから被害が拡大はしてないんで大丈夫だと思いますよ」


 室内に入ってきた女性は三雲の言葉を聞き、歩きながら説明して長机に腰掛けた。


 周囲の人間がスーツなのに対し、一人だけ白衣を着ているが、気にする素振りは無い。 


 百六十程の身長で、すらりと伸びた手足が目を引くものの、青白い肌が不健康そうな印象を先行させる。


 鼻筋の通った顔は美人ではあるが化粧っけも無く、目の下にはクマを作っている。


 ジッとモニターを見つめる大きな瞳は、少々眠そうであった。


「雨宮」


 三雲が名を呼んだ女――雨宮知佳は机から降り、三雲の見ているモニターの方へ移動した。


「エヴォルストラは肉体の変化時に強大な熱を周囲に発生させて外敵の攻撃から身を守る。肉体自体も発熱していて、それらの熱量を波形として捉える。いくつかのパターンを発見し、記憶させ発生時に感知し場所を特定するシステムを構築して運用……どうっすか、役に立ってます?」


 説明を終えて得意げに笑みを見せる姿に、三雲は不器用な笑みを向けた。


「ああ。助かってるよ」


 雨宮はキーボードを操作し、モニターに波形のデータを幾つか映し出す。


「数パターンあるのは分かってましたが、やはり波形が一人だけ以上に大きいのは彼でしょうね」


 波形の変化が一番大きなパターンの横に、変身した多々良が映し出される。


「でも判明してるのはここまで。これ以上研究しようにも情報が足りなさすぎです」


 お手上げだと、言葉通り手を挙げる。


「死亡すれば自壊、生きていても四番目の奴は犯人に能力の痕跡すら残さない。謎が多すぎる中、研究部は良くやってるよ」


「それはお互い様っしょ。弾丸の強化と、アレの準備も進めていくつもりです」


 雨宮が指先で虚空に人の形をなぞる。


「頼んだ」


 雨宮は胸元まで伸びた髪が机に付くのも気にせず、モニターに近づいて凝視する。


「しかし、四番目のエヴォルストラに関しては気になることが多すぎるんですよね。何者なんすかね」


「さあな。何者であろうと、敵だ。俺達の……敵だ」


 三雲はモニターの多々良を忌々しげに睨む。



「多々良ぁ」


 多々良が名を呼ばれ振り返ると、制服を着崩した青年が立っている。


 百八十程ある高い身長と浅黒い肌、鮮やかな茶髪とパーツの大きな顔が特徴的な男であった。


 多々良の同級生の、米町である。


「何してんの」


 多々良は両手で抱えた紙の束を見せる。


「プリント。持って来るよう頼まれちゃって」


 米町は呆れた表情でその姿を見つめる。


 担任の授業が長引いたらしく、ホームルームには大きな定規やら何やら大量に抱えたまま入ってきた姿を思い浮かべ、持てず多々良に頼む姿が完璧に脳内再現された。


「お前さあ、断りゃいいんだよそんなの。先生がもう一回来れば済むんだから」


「でも、こうすれば手間が減るでしょ」


 相も変わらず真面目な返答が返ってくる。


 まだ一か月と少しの付き合いだが、米町は多々良を気に入っていた。


 馬鹿が付く程真面目で教師からの評判もいい、そのくせ時折授業を無断欠席する事もある。アンバランスな部分を、米町は面白く感じていた。


「まあ、お前意外と体力あるしな。それくらい大丈夫か」


「手伝ってくれないんだ」


 下がってきた腕を持ち上げながら、残念そうに笑う。


「馬鹿野郎、お前が受けたんだから知らんぞ俺は」


 巻き込むな、と肩を小突く。


「そういえば、部活は?」


「いや、今日ウチの顧問風邪で休んでたろ? それで練習は休み」


「あー……近々練習試合じゃなかった?」


「そうそう! 一年は出れないにしても、折角試合を間近で確認できると思ったのによー」


 大げさに天を仰ぎ、ため息を吐く。


 息を吐き切った所で、米町が本来の目的を思い出し多々良の方を向く。


「それでさ、お前今日も視聴覚室で何か観るんだろ?」


「視聴覚室じゃなくて、書庫だから」


 訂正をしつつ、階段を目前にして足元が見えるようにプリントの束を右に寄せる。


 米町の体に当たりそうになり、互いに少し離れた。


「まあそれはいいとして、暇だから俺も参加していい?」


「いいよ。じゃあ何観るか選ばないと」


 器用にゆっくりと降りる多々良の横で、米町が少し先で様子を見つつ降りていく。


「武田はもう行ってるんだったら、鍵開いてる?」


「多分。開いてなかったら僕がすぐ鍵持っていくよ」


 階段を降り切り、職員室の前に立つ。


 米町は扉を開けてやり、多々良は会釈してから室内へ入っていく。


「失礼します」



「失礼します。お疲れさまでした」


 福島はオフィスを出て、挨拶を交わした先輩とは反対の道へ歩く。


 ふと振り返り、遠くなる先輩の背中を見つつ『飲みにでも行けばよかった』と帰宅すれば柴田がいる事を思い出し後悔していた。


 二、三日泊めるよう上手く言いくるめられた自身の情けなさに、今更ため息が出る。


 救いようのない馬鹿な男だが、どうしても憎めない。


 別れた際も奴の不甲斐なさが原因だったが、許せない程ではない。


 そういった評価を下してしまっている自分に対して、福島は更に深いため息を吐いた。


 数日の食事と家事の負担が減るのがせめてもの救いかと思いながら、帰路を歩いていく。


「あー、福島美奈さんですか?」


 突如前方から声を掛けられ、足を止めた。


 青いスーツの、見るからに胡散臭そうな男が立っている。


「……何ですか」


「突然すみません……柴田君、どこにいるか知ってます?」



 そのマンションの一室は、とても綺麗に手入れされていたのであろうことがうかがえる。


 玄関を抜け、リビングへ向かう廊下は左右にあるキッチンと洗面所に倒れている男達の体から流れている血で汚されてしまっていた。


 二人共肩口から胸辺りまで斬りつけられている。


 白い壁にはその周辺だけ焦げた跡があり、その場で変身したと推測できる。


 リビングは一目で全体を見渡せる程の広さだが、テレビの横には観葉植物が置かれていたり棚の上には動物を模した小さなフィギュアが置かれている。


 穏やかな雰囲気の中心に置かれたソファには、この場に似合わない男が座って項垂れていた。


 心臓を一突きされて即死したのか、血はそこまで流れていない。 


 システムが反応した為、現場へ急行した三雲らが見た光景は、昨夜ほどでは無いといえ悲惨なものであった。


「反応は消えてるが、そう遠くには行けないはずだ。付近の捜索を要請、俺達もすぐ加わるぞ」


「了解です」


 回収班に連絡を入れようとしたその時、スーツのポケットでスマートフォンが震えだす。


 『銅さん』の文字を見て、通話を押す。


『ああ、三雲か。今連絡が来たが、もう現場か』


「ええ。どうしました」


『海山会の方に話をしに行ったんだが、奴ら犯人を知っているみたいでな。俺が何言っても吐かなかったが、探ってみたら傘下の組を動かして何やら準備を始めてるみたいだ』


「準備? 抗争ですか」


『違う違う、多分犯人と会うんだ。そちらに部下を送って調べさせてるが、場所は――』


 三雲は場所を聞いて、銅に礼を言い通話を切る。


 インカムのマイクを下げ、手を当てる。


「第三班、出動準備」

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