2-4

 木々の緑と白砂が美しい日本庭園を囲む形で、その平屋は建設されている。


 平屋内はいくつもの個室で分かれており、庭園を眺めながら食事を楽しめる料亭として利用されている。


 鷲尾は個室の一つに案内され、人を待っていた。


 座りながら周囲を見渡すと、美しく活けられた花や淡い照明により襖にあしらわれた金粉が輝いている。


「鷲尾さん、遅くなったね」


 ガラス張りの引き戸を開け、黒いスーツの男が入ってくる。


 二十代半ば程で、笑みの爽やかな男であった。


 背は百七十程、瞳や鼻筋には気品を感じさせるが視線には鋭い、獣のような威圧感が漂っている。


「いえ、今料理を頼んでいる所でした。それにしても……いい場所だ」


 鷲尾が庭園を眺めるも、視線の端には付き添いであろう体格のいい男二人が、左右それぞれに見える。


「悪いね、今物騒な輩が多くてさ」


 手を顔の前にかざして、男は謝罪の言葉を口にする。


「構いませんよ。用心するに越したことはありませんから」


「話の分かる人で助かるよ」


 黒いテーブルを挟んで、白いスーツの鷲尾と黒いスーツの男が向き合った。


「じゃあ、さっそく来てもらった理由から。鷲尾さん、ウチ以外にアレを売ったでしょ?」


 男は視線を動かすことなく、真っすぐ見据えた状態で切り込んだ。


 鷲尾は弱った、といった微笑みを返す。


「昨夜の事件ですね。そちらの件についてだと思いまして、色々と説明させて頂きます」


 鷲尾はおもむろに、手元に置いていた鞄を開いて器具を二つ取り出す。


 一つは昨夜の物、もう一つは前者より大型の、銃口が広がってラッパに似た形をしているのが特徴的な器具であった。 


「小さい方が昨夜使用された製品です。こちらは、見覚えありますよね」


 ラッパ型の器具を指差すと、男は頷く。


「それで、何が違うの」


「簡単に言えば、前者は模造品です。不完全な製品を撃ち込まれた者による犯行でしょうね」


「模造品? 鷲尾さん所の商品じゃ無い訳?」


「ええ。情けない話ですが、社内でトラブルがありまして……我が社の方針に納得のいかない者が技術を悪用して粗悪品を世に流しているのです」


 鷲尾の表情からは読めないが、声色は残念そうに低く下がっている。


「そいつは初耳だ……興味はあるが、先を急ごう。結局コイツは何が違うの」


 今度は男が昨夜の器具を指差す。


 鷲尾はラッパ型からマガジンを取り外し、弾丸を一つ掴んで見せる。


 緑色の液体が入った弾頭が、美しい宝石を想起させる。


「器具の形状、というよりは中身の違いです」


 

「動植物、あらゆる生物の研究し作られた遺伝子を含んだ細胞です。それがこの弾頭に入っているのですが、我々は強化遺伝子と呼称しています」


 鷲尾は俺にそう言って、弾丸を見せる。


「昨夜のは現地での充填型ですが、こちらは肉体に入り込む際のダメージを考慮して加工されています」


 いや、どっちにしろ気絶すると思うぞ……と撃ち込む機械を見て思ったけど、話が進まないので口に出すのは止めた。


「撃ち込まれた細胞は他の細胞に浸食、強化遺伝子が組み込まれます。そして誕生した遺伝子そのものが起動装置となり、塩基配列を変化させる。配列の変化により肉体は別の存在へ変身を可能とする……と、いうのがシステムの説明となります」


 ……頭が痛くなってきた。


「もっとこう……分かりやすく要約してくれない?」


 鷲尾は笑顔のまま頷く。なんか見下された気分。


「簡単に言えば、スイッチが肉体に出来たという話です。スイッチを起動する事で人の形態から別の物へ変わる……と、いった感じでしょうか」


「あ、ああ……何となくは分かったよ」


 理解は出来たが、混乱してないわけでは無い。クラクラしてきたな……


 原因は訳の分からない話だけじゃない、選んだ場所も悪かった。


 最近潰れたボウリング屋のビルで合流したが、防犯上の理由で完全に閉め切っていたせいか妙に暑い。


 人のいない、がらんとした室内はレーンが延々と並んでいる。


 俺と鷲尾だけしかいないと思うと、不安なくらい広く感じる。


 俺は窓を開け、思い切り外の空気を吸った。


「とりあえず大体は分かった。それで……スイッチはどう起動すればいい?」



「なるほど、中身の問題か。じゃあ昨日のは?」


「紛い物は所詮紛い物……変身出来ても精々数回かと。しかし、今はまだスイッチが使える状態と思っていいでしょう」


「スイッチが壊れたら、どうなるの」


 男は身を乗り出して質問を続けた。単純に『製品』に向けるもの、というよりは興味から生まれた疑問を消化したくなっていた。


「今までのケースですと、適合しない方は即死か……今回のパターンであれば暴走ですね。自身の力に溺れて、肉体が限界を超え崩壊するまで殺戮を繰り返す……と、いった感じでしょうか」


 淡々と事実だけを説明する鷲尾の冷静さに、男は残酷さを感じるとともに好感を持っていた。


 自分達の仕事は、このくらいドライな方がいい。だからこそ鷲尾の突拍子も無い謎の『商品』を受け入れたのだ。


「……じゃあ、昨日のも近いうちに?」


「それを見極める為にも、この後お会いする予定です。彼が適合して生き残るのであれば、こちらに引き込む事が出来ますし」


「なるほどねぇ……まあ、海山会は外れクジに食いついちゃった可能性が高いんだ」


「ええ。運も実力の内……猪名川様は引き続き我々と良い関係を築いていただければと思います」


「はは、もちろんだよ」


 男――猪名川は乗り出していた体を戻し、笑った。


 鷲尾がテーブルに置いた器具を戻したタイミングで、戸が開き料理が運ばれてくる。



 駄目だ。全っ然分かんねぇ。


 意識を集中させ、肉体の変身を促す。とまあ説明は簡単なのに実践してみれば全く上手くいかない。


 俺は『適合』はしているらしく、撃ち込まれた時に適合していなければ死んでいたらしい。


 とはいえ、いわゆるスイッチとやらの切り替えを覚えないと制御出来なくなる可能性もあるらしいし……普通の生活に戻れないのはもちろん困る。


「制御出来ないと、通常生活内での感情に合わせて変化が起こってしまうかもしれませんから。では、昨夜の事を思い出すのはどうでしょう? 危機を感じる事でスイッチを入れる感覚を覚えるのは、一番効果的です」


 なるほど。とはいえあの時の危機感を鮮明に思い出せるかどうか……


 俺は昨夜の事を思い返す。自分が考えているより、鮮明に目の前にあの時の光景が広がっていく。


 俺を囲むヤクザ、変な器具、撃たれた弾丸……死体の山、路地で遭遇した骸骨の化け物の事も浮かんできた。


 化け物が近づいてくる。


 化け物め!


 俺は貴様に怖気づく程弱くは無い!


 俺は……選ばれたんだ!



 鷲尾の目の前には、怪人が立っている。


 手は大型化してヒレに似た形状になっており、硬質化した皮膚の一部はうろこ状に変化している。


 背中には鋭い棘も見え、全体的に攻撃的な見た目であった。


「カサゴ……ですかね。中々強そうだ」


 柴田から返答は無く、荒い息を繰り返すのみである。


「……変身できたからといって、私を殺そうとしないで下さいよ?」


 鷲尾は異変に気付き、後ろに下がる。


 その足に合わせ、柴田が前進すると同時に腕を振る。


 鷲尾は軽々と攻撃を受け、もう一方の手で胸部へ掌底を放つ。


 怯んで数歩下がった柴田を、今度は鷲尾が追う。


 側頭部へ前進する勢いと共に上段蹴りを叩き込む。


 蹴ったまま鷲尾の体は半回転し、その動きに合わせて柴田が横へと吹き飛ぶ。


 柴田の直撃したボールリターンはぐにゃりと曲がっている。


 煙を放ち、肉体の変化が解けていく。


 鷲尾はその様を見つめながら、乱れたスーツを整えていた。

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