chapter 2.変心
2-1
待て待て待て待て、状況を整理しよう。俺の名前は柴田で年齢は……いや、そこまでははっきりしてる。
今思い出さなきゃいけないのはもっと近くの記憶で……そうだよ、何で俺はこんな部屋にいる!?
雑居ビルの中にある一室は、けして広いわけでは無いが室内の中心には高級そうな黒い革のソファとガラスのテーブルが置かれており、奥の窓際にはオフィス用のデスクとは違う、大きな机が置かれている。
しかしそのどれもが、本来の美しさを時間が経過して赤黒く変色した血液にまみれて失われている。
凄惨な現場を、三雲は開いたドアの外で眺めていた。
三名、と思わしき遺体は全て切断されており、血とはらわたを部屋中にまき散らし様々な方向に吹き飛んでいる。
切断面は粗く、誰の半身かは判明しても元には戻らないのは明確であった。
「回収班を早急に。それと第二班にも連絡を頼めるか? 事務所関係は彼らの方が得意だ」
「了解しました」
部下の足音を聞きつつ、室内を覗き込む。
――よし、思い出してきた。数時間前まで遡ろう。
今日もパチンコ屋に入って、店への投資額だけが増えていくのを眺めて……二時間くらい? 打ってたら、あの野郎が俺の隣に座ったんだ。
「お久しぶりです、柴田さん」
一々名前なんて覚えてねぇよ……と思ったが、このやたら高そうなスーツ着てるコイツははっきり覚えてた。
背が高くて、やけにイケメンで、嫌みな野郎で。
「宮地さん」
ニヤニヤしてこっち見やがって。人から奪った金で買ったスーツでご機嫌になってんじゃねぇよ。
コイツ、ぱっと見ヤクザに見えないのも嫌なんだよな。とにかくいけ好かない。
「パチンコ屋に投資しないで、ウチにお金返してくださいよ」
どうせアンタの所がこの辺りも仕切ってんだろうから、返してるようなもんだろとは流石に言えず、曖昧な返事はしておいた。
「いやね、こちらも取り急ぎ払って貰ってこいって言われまして……今、幾らくらいあります?」
急に来てこれかよ。俺はとりあえず突っ込む前の二万を手渡す。
「すんません、今これしか」
「そう簡単に返せないですよねぇ」
急に来て、そりゃそうだろうよ。
「ってか、まだ一週間あるじゃないですか。何で急に」
「それが、大変申し訳ないんですけど……柴田さん選ばれちゃって。返済遅れがちな人の中から」
ん? 選ばれた?
「選ばれ……って何です?」
「詳しくは事務所に来ていただいてから話したいんですけど。今大丈夫です?」
あ。っという間に俺はこれまた高級そうなスーツを着た別のデカい二人にも囲まれた。
逃げ場のない状況に苦笑いしか出来なかった俺の前で、そういや台が大当たりしてたなあ……あれ、どうなったのかな。
で、事務所ってのに連れていかれたんだ。
何か陰気臭い路地の角にある雑居ビルで……そう思い出してきた。
そうそう、そうだ。俺はこの事務所の中心に置かれたソファに座って逃げようにもドアが遠くて……ヤバいと思ったんだよこの時から。
「柴田君さぁ、役者やってるんだって?」
そう、まず組長ってのが話しかけてきたんだ。窓側の高そうな机の後ろで見下してきやがって。
ドアの近くには宮地とさっきの片割れ。一人は……外だろうな。
組長とやらは、どうもインテリっぽくてヤクザには見えなかった。普通の、それこそ投資家って感じの爽やかな男だった。
それがまたいけ好かなかったけど。
「ええ。まあ一応」
「おー、いいね。俺あんまり詳しくないんだけどさ、アイツとか好きなんだよ……あの、カート・コヴェーンみたいな名前の」
そりゃミュージシャンだろ。カート……だと、あれか?
「カート・ラッセルですか?」
「そうそう! あの年代の映画がシブくていいんだよね。そういうの好き?」
「え? まあ、そこそこ」
妙にいいチョイスしてんな……俺ほとんど観てないぞ。とか思ってたらペースに巻き込まれちまいそうでちょっと焦る。
「演技が出来るなら、掛け子とかどう? いろんな人に電話する仕事なんだけど」
いや詐欺じゃねーか、何でサラッとそんな誘いしてくるんだ?
舐めんなよ、俺はそんな事のために演技してるんじゃねぇんだ。
「それは……まずくないっすか?」
ここで上手い切り返しでも出来れば、俺もこの道で大成してたかもなぁ……なんて感じの返答を、弱弱しくしてしまった。
「いやいや、受け子みたいに外でなくてもいいから大丈夫だって。人生の大先輩からお金を頂く仕事だよ」
そんな危ない橋を渡るなら今すぐ金を返してやりたい。
「いや、流石にそういうのは……今すぐお金返せるよう考えますんで」
そう言うと組長は妙に驚いた表情をしてた。いや断るだろ普通。
「そっかあ……柴田君何でもやってくれそうだから、すんなり終わると思って最初に呼んだんだけどなあ」
何だその偏見は。やる訳ないだろ。
「宮地、じゃあアッチ任せよっか」
「ですね。こうなるとは俺も思ってなかったです」
ドアから宮地が移動して、テーブルに何か……そうだ、アタッシュケースだ。
「え、何すか」
俺の発言を聞く前にドア前の奴も近づいて、俺の肩を抑えたんだ。
「さっきの断ったんで、治験のバイトに移行してもらうんです」
「はあ!?」
がっちり掴まれて動けない俺の前で、ケースが開かれた。
そう、中に入ってたのがデカいエアスプレーガンみたいなのと試験管だ。緑色の液体が入ってて……思い出してきた。
「ウチの取引先がお宅の組員にって持ってきたんだよ。でも良く分かんない物いきなり若いのに打つのは怖いしねえ」
「それで、金の返せなさそうな人呼んで誰かに打つかって話になったんです」
宮地が説明書を読んでスプレーガンの後部に試験管を差し込んだ。
液体が充填されていくのが鮮明に……完全に思い出した。その後奴は、
「すみませんね、トべそうなら教えてください」
そう言って、俺の胸に当てて躊躇いなく撃ったんだ。
で、起きたらこれだよ。何がどうなってんだ!?
余りにも予想外の状況過ぎて、声も出ない。こういう時って案外叫ばないんだな……生きて帰れたら演技に組み込もう。
って、そんな場合じゃない! 何で俺は死んでない、外の奴はどうなった、それと……まだ犯人は近くにいるのか?
周囲を見渡せ! 武器になるものを探して、この場を逃げ切れる道を掴め!
「おや、中々酷い状態ですね。大丈夫ですか?」
ドアが開いて、全く知らない男が覗き込んでる。
犯人か?
「あんた、誰?」
知らない奴だが、コイツも高そうなスーツを着てて、モデルみたいに手足が長い。
金髪で青白い肌でイケメンで、まるでマネキンみたいな奴だ。
少なくとも、犯人では無さそうだが。
「誰かは後で説明するとして、逃げるお手伝いをします。そのケースと器具を持ってこちらに」
「いや、待て。アンタが犯人じゃ無いって証拠は? こんな状況じゃ誰も信じられないって」
男はなるほど、とか言いながら両手を見せた後、スーツの上着を脱いでポケットからスマートフォンだけ取り出した。
腰にはホルスターも無いし、ナイフも無い。
「……よく分かんねぇけど、今はアンタを頼る他ない」
俺はあのデカいスプレーガンみたいなのをケースにぶち込んで、血で重くなった服の不快感を感じながら出口へ走った。
まだ二十一時前という事もあり、繁華街内は人で溢れている。
今から食事を楽しむ者、既におぼつかない足で帰路を目指す者がすれ違っていく。
事件発生から三十分程経過していたが、まだ事件は騒がれていない。
入口の端に停まった原付の後部から、多々良が降りる。
被っていたヘルメットを脱ぎ、エンジンを切り座席に座っている武田に手渡す。
「真っすぐ行って、二個目の角を左。事務所前のビルに入ってエレベーターで屋上に上がって、連絡してこい」
「了解」
多々良はイヤホンを片耳に装着し、スマートフォンの通話を繋げた状態を武田に見せて確認させる。
無言で頷いた姿を見た後、繁華街へと入っていく。
「聞こえてる?」
多々良が少し歩いた先で、イヤホンを抑え確認する。
『こちらは大丈夫だ。そちらは?』
「うん。OK」
『よし、何かあればすぐ報告しろよ』
多々良は指示通り角を左に曲がり、事務所の向かいにあるビルへ向かう。
事務所の窓はネオンの光で気づかれにくいが、赤く染まっている。
既に事務所の入ったビルの入り口には、数名のスーツを着た人物が立ちスマートフォンで周囲を見渡しながら連絡をしている。
ヤクザでは無いが、既に対策部が動いている――多々良は警戒をしつつ、目的のビル内へ侵入した。
エレベーターで最上階へ上がり、そこから屋上へ階段で進む。
「武田、到着した」
『どうだ、そこから結構見えると思うんだが』
端へ進み、下を覗き込む。
「窓が血まみれで様子はほとんど……周囲に反応は無いね」
『逃げた、か。流石にこんだけ時間経ってりゃなあ」
「いや、あれだけの状態だ。まだ近くにいるか、移動の痕跡くらいは……」
多々良の声が突如消え、無音になる。
『……おい、何か見つけたのか?』
武田が全てを話しきる前に、イヤホンから低く鈍いノイズが流れ始め遮られてしまう。
武田はノイズの意味を理解しており、一瞬にして表情に焦りが浮かび始めた。
多々良が、変身を開始しているのだ。
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