2-2

 俺は謎の男の上着を借りて、血まみれのシャツを隠しつつ二人で事務所を離れた。


 不自然さが無いよう、周囲と同じペースで歩きつつ、俺達は少し離れた路地の奥へ入っていった。  


 飲食店のダクトから香ばしい匂いがしているが、ステッカーだらけの黒くなった壁とたばこの吸い殻やらゴミの落ちた地面、それとさっきの事もあって食欲なんて湧かなかった。


「この辺りまで来れば大丈夫でしょう。こちらを」


 男は横にある室外機の上に置かれていた袋からシャツとズボンと靴の一式を取り出し、手渡してきた。


 えらく用意周到だな……


「買い物の途中で連絡が来ましてね。幸運でしたよ」


 読心術でも出来んのかよという気持ちと、この状況のどこが幸運だという怒りが同時に湧いてきたが、言う気にもなれず『ありがとう』と礼だけ告げた。


 シャツに着いた大量の血はベットリと俺の体にも染みつき始めてて、とりあえず綺麗な布の部分を探して軽く拭いてから男の手にしている袋に放り込んだ。


「なあ、着替えてる間に質問したいんんだけど」


 ズボンはそこまで汚れていないが、ありがたく履き替えさせて頂くことにしよう。 

「構いませんよ」


「アンタ、何者なんだ。ヤクザって訳でも無さそうだけど」


 室外機の上に置いた、借りていた上着を返しつつ投げかける。


 男は俺の服と一緒に上着を袋に入れ、地面に置いた。


「ああ、申し遅れました。私はNLコーポレーションの鷲尾正樹と申します」


 丁寧に名刺入れから取り出し、手渡してきた。


 靴を履いて、姿勢を正し受け取る。


 改めて文字を見ても、聞いた事の無い会社名だった。益々怪しくなってきた。


「端的に申し上げますと、貴方に打ち込まれた物体の製造元です。私はセールスマン、といった所でしょうかね」


 予想外の返答だった。当事者のご登場かよ。


 なら都合がいい。もっと色々聞かないと――


「じゃあ、あの物体は何だってのと……事務所のアレは、何でああなったか教えてくれよ」


「では後者から。前者は時間を要しますので移動してからお話ししましょう」


 鷲尾がシャツのポケットから紙を取り出し、開いて俺に見せてきた。


 画質の粗い、監視カメラか何かの映像を印刷したものだった。


 それでも、映ってる奴がおかしい事は十分に伝わってる。


 暗闇の中に見える白いソレは、まるで骸骨のバケモンだ。


 ……えっ、これって映画の出演依頼とか? ドッキリ?


「お疑いでしょうが、これは存在します」


 鷲尾はまた先手を打ってきた。マジで人の心でも読めんのか?


「これは先ほどの事務所を襲撃した存在です。幸い貴方は気絶しており、殺されずに済んだのでしょう」


 そんな都合のいい話があるか? とも思ったが、何にせよ俺は生きている。これが証拠なのだろう。


「そして、大変申し上げにくいのですが……貴方の体には彼と同じ遺伝子が流れています」


 ……は? どういう事?


「原因は先程の、こちらです」


 これまた室外機の上に置いたケースから、スプレーガンを取り出す。


「撃ち込まれた遺伝子は肉体に変化をもたらし、先ほどの姿へ変身する事を可能とします。ですが貴方は暴走もしていない、コントロールする術を我々が教えれば通常の生活が出来ます」


「待て待て、状況が……というより頭が追い付かない! 俺は……化け物になるのか?」


 マジで混乱してきた。こんな事すぐに理解できるかよ。


「大丈夫です、我々が貴方をサポートして――」


 鷲尾が俺に語りかけ始めた時だった。


 アイツの後ろに、何かが降りてきて軽く地面を揺らした。


 ゆっくり立ち上がったソレは、さっき見た写真の化け物だ。


 

 ビルの屋上から周囲を見渡していた多々良の肉体に『合図』が表れたのは、動き始めてすぐの事であった。


 耳鳴りと共に、全身を虫が這う様な不快感に襲われる。


 いつもの事ながら、慣れない感覚に顔をしかめた。


 屋上から下を見下ろし、目を向ける。


 路地へ目を向けると、一人の男が見えた。


 長髪で、衣服は着替えたのかやけに綺麗であった。


 あれが『合図』の元凶か、と多々良が身を乗り出した瞬間である。


 全身の血液が沸騰するかの如く熱を帯び、肉体が危機を知らせている。


 奥にいる鷲尾の姿を確認した瞬間、多々良は有無を言わせず変身を開始した。


 周囲に熱の壁を纏いながら、赤黒い液体が肉体を包み硬化していく。


 多々良は変化の途中で、ビルの屋上から跳んだ。


 路地の二人の上を飛び、鷲尾の後ろへと降り立つ。



 オイオイオイオイ!! いきなり現れちゃったじゃねーかよ!! どうする?! 逃げ切れんのかコレ!


「早かったじゃないですか」


 いや何冷静に言ってんだコイツ!!


「おい! 逃げるぞ!」


 鷲尾は化け物の前に立ちふさがったまま、動かない。


 何してんだよ!!


「ここはお逃げください、私が時間を稼ぎます!」


「時間をって……そんな事出来るわけ無いだろ!」


 ズボンのポケットから刀身が緑に発光したナイフを取り出す。


「彼らを作り出したのは我々です。対抗策はあります……早く!」


 コイツを信頼するかどうかより先に、俺は背を向けて走り出した。


 我ながら情けないが、今頼れるのは奴以外いない。


 ただただ、俺は無心で逃げた。



「俺はお前に作られた覚えはない」


 多々良はその場から動かず、吐き捨てる様に投げかける。


「まあそう言わずに……お元気でしたか?」


「世間話をするつもりもない。小道具まで用意して、相変わらず人を騙すのが好きだな」


 鷲尾は笑顔を崩さず、手にしているナイフを再びポケットにしまう。


「こういう玩具で信頼を得ないと、貴方と話が出来ませんからね」


「さっきの男、もう撃ち込んだのか」


「我々のではありませんが。しかし変わった反応を見せているので……こちらで管理出来ればと思いまして」


 その言葉を受け、多々良が嘲笑の声を上げる。


「お前らの管理外が増えてるらしいな。紛い物の方が多いんじゃないのか?」


 鷲尾は表情を一切崩すことなく、にこやかに答え始める。


「数が多かろうと紛い物に変わりはありませんよ。まあ、こちらにも色々とありまして……貴方が協力すれば、救える命も増えるかもしれませんが?」


 鷲尾の放った言葉と同時に、多々良は動いていた。


 地面を蹴りつけ、右拳を放つも空を切る。


 鷲尾は飛び上がって回避し、その場で滞空していた。


 その背には黒褐色の大きな翼が生えており、多々良を見下ろす形で眺めている。


 しばらく見合っていたが、残念そうに鷲尾が軽く会釈をして飛んでいく。


 鷲尾の姿がほとんど見えなくなると同時に、多々良の肉体も変化を始める。


 硬化していた皮膚は赤黒い液体へ戻り、煙を放ちつつ全身がうごめく。


 ものの数秒で、多々良は人の姿へと変身した。


 変化と同時に、イヤホンからノイズ交じりに声が聞こえ始める。


『……おい、大丈夫か!? 聞こえたら返事しろ!』


「……今聞こえた」 


 ノイズは収まり、クリアな武田のため息が聞こえる。


『何があった』


「ブローカーだよ。何やら色々ややこしくなりそうだ」


『また面倒な……。とりあえず戻ってこいよ、俺らが動ける雰囲気でも無さそうだ』


「了解」


 多々良がイヤホンを取り、通話を終えて路地から出た直後である。


「すみません、少しいいですか?」


 多々良の前に、三雲が立ちふさがった。



「回収班と清掃班、今向かってます」


 血だまりの少ない出入り口のドア付近にいた三雲に、捜査員の一人が声を掛ける。


「分かった」


 中へ一歩踏み入れ、軽く状況を確認し始めた時であった。


 階段を上る、大きな足音が聞こえてくる。


「銅さん、お疲れ様です」


 振り返った三雲の前に、大男が現れた。


 一七〇程で三雲より背は低いが、鍛え上げた肉体は横へ膨れて、まるで巨大な岩が向かって来ているかの様であった。


 顔全体のパーツは中心に少々寄っており、肉体以上に動物的な印象を与えている。


 銅〈あかがね〉と呼ばれた大男は、そのまま捜査員の間を割って中の様子を探っている。


 惨状を確認し、顔を歪めた。


「お前からの誘いが、飯じゃなくて残念だよ」


 巨大な岩の様なゴツゴツとした肉体とスキンヘッドの出で立ちが、三雲より少し低い背を感じさせない程の強い印象を周囲に与えている。


「管轄外の捜査協力、感謝します」


「昔は良く組んで捜査したんだから、気にすんな」


 銅は細い眼を更に細め、笑う。


 銅禄朗、特殊犯罪対策部・機動捜査隊第二班班長。


 対策部発足時からのメンバーで、以前は組織対策部で暴力団を中心に担当していた事で組織的な犯行の可能性が高い案件であると判断した上層部から早い段階で要請を受けた人物である。


 三雲自身も信頼を置いており、まさしく今回のように『組織』で起きた案件の協力を真っ先に頼み、今に至っていたのだ。


「しかし、だ。この惨状もだが……場所が悪い。この組は海山会の傘下だぞ」


 海山会は希望島の太平洋側、沿岸部で勢力を拡大している暴力団である。


 比較的新しい組織でもある事から、薬物の取り扱いに抵抗が無い点や血の気の多い若い者達のトラブルが絶えない、物騒な情報が大半である事は三雲の耳にも届いていた。


「その為に銅さんをお呼びしたんです。手回し……とまでは行きませんが、抗争なんて事にならないようには出来ますか?」


「そりゃあ、しっかり説明してやれば何とかなるだろうが……その、エボ……エヴォ何とかの情報は出せないんだろう?」


「エヴォルストラです。まあ、そこは上手く誤魔化して頂ければ」


「厄介なことになってきたなぁ」


「ついでに、海山会に探りを入れれないものかと」


「……それが狙いか」


 銅は冷たい視線を室内に向け、状況を確認している三雲の横でため息を吐く。


「我々の仕事はあくまで奴等を追う事ですから。海山会は関りがあると思うのが妥当です」


「それはほぼ確定だろうな。探りを入れてみるよ」


「ありがとうございます」


 視線をソファに向けると、光を反射する何かが付着していることに気が付く。


 三雲が近づいて手に取ると、魚の鱗によく似た欠片が輝いている。


『報告、付近のビルから熱量反応。現在路地に移動しています……至急確認をお願いします』


 捜査員のイヤホンに、焦りを含む隊員の声が響く。


 瞬間、その場にいた全員の顔が強張る。三雲は鱗を小袋へ回収し、急いで室内を出た。 

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