19

 事件から三日が経ち、憲次は埠頭に出向いていた。


 激闘の地となった倉庫の周囲はバリケードテープで囲まれ、封鎖されている。


『犯人が潜伏する倉庫を捜査の末に発見し、周囲の避難を終えた後突入し確保に至った』と警視庁から発表があり、避難と封鎖まで行った場所である埠頭が現場なのは明らかだと、翌日には報道陣が集まった。


 しかし、三日経った今はほぼ姿も見えない。


 遠くで、再開した作業を行う音が聞こえる。


 近づいてくる車両の音が混じっている事に気づき、憲次は振り返った。


 車を停め、降りてくる三雲に手を挙げ軽く挨拶する。


「こないだは悪かったな」


「いえ、元気そうで何よりです」


 三雲は横に並び、同じく倉庫を眺めている。


 しばらく無言で立っていたが、憲次が先に口を開く。


「それで、もう一人はどうなった」


「工藤を倉庫内に放置して逃亡、足取りもつかめずです。工藤についてはこちらの施設にて管理、現在検査を行っています」


「……しっかり約束は守った。って訳か」


 憲次の呟きに何か反論をする事なく、無言でスマートフォンを取り出し手渡す。


 画面には工藤のものと思われる胸部が映し出され、その中心には四角い小さな傷跡が見える。


 抉れた跡は、多々良の回収した塊の形状に酷似している。


「それ、消えないんですよ。奴と交戦したであろう犯人は全員同じ傷が付いてて、他の外傷は治癒していくんですが」


「倒した相手にマーキングか? 意外とえげつない事しやがる」


 憲次がスマートフォンを返し、相変わらず皺だらけのジャケットのポケットをまさぐり缶コーヒーを取り出す。


「……お礼のつもりなら、遠慮しますよ」


「馬鹿、俺が飲むんだよ。不味いが未だにこいつが一番効くんだ」


「安心しました。俺はもう思い出したくもないです」


 缶を開け、しっかり不味そうに飲む。


「……一つ、聞いてもいいですか」


「おう」


「絵里ちゃんには、どこまで」


 事件は広く知れ渡ったものの、工藤の名は未成年という事もあり伏せて報道されている。


「……今はネットで何でも出回る。近いうちに勘づくだろうな」


「どうするんです」


「……俺は寄り添うしか、方法を知らん。それが上手く出来る自信は、無いが」



 憲次の危惧する通り、犯人捜しは既に始まっていた。


 その中には工藤の名も挙がり、本人との連絡も取れない事が更に疑惑を深めている。


 絵里と井出は錯綜する情報の中に友人の名を見つけて、困惑していた。


 休日が明け、互いの動揺を感じ取りながらも二人はいつも通り学校へ向かい、普段と変わらない日常を送っている。


 確信は無くとも、絵里は井出以上に異変を感じていた。


 原因は、父親の憲次である。


『事件が終わったから、明日から数日休む』とだけ告げ、三日間家に籠り始めた父親の姿は、明らかに普段とは違うものである。


 特に何か話すわけでもなく、ただ近くにいた。その姿は自分を心配してくれている事は絵里にもはっきりと伝わっていた。


 と、同時に何故そんな行動を取っているのかという理由に、確信を持たせる原因にもなっていた。


 嘘が下手だ、と母がいれば笑ったのだろう。絵里はそんな事を思いつつ気持ちの整理がついた頃に、礼を改めて言おうと考えていた。 


 が、その気持ちの整理は未だつかずにいる。


 絵里は屋上で一人、目の前に広がる森や遠くに見える街並みを眺めていた。


 井出と話す事からすら逃げ、授業も受けずにここへ辿り着いた自身の状況に情けなさすら感じていた、その時であった。


「あれ、先客」


 扉を開き、多々良が歩いてくる。


 制服は相変わらずサイズが合っていないので、不格好なままだ。


「……多々良君」


 無意識に名前で呼んでいる事に気づいていないらしく、多々良は指摘せず横に立つ。


「意外ですね、サボりなんて」


「……そっちこそ。本当にサボってるとは思わなかった」


 普段以上に淡々と話す絵里の姿は、どうみても異様であった。


「普段はしないんですよ? たまたまです」


 少々無理に明るく返事をするも、絵里は多々良を少し見てまた視線を前へ向ける。


「そう」


 しばしの無言に耐えきれず、多々良が口を開いた。


「……すみません。実は井出先輩に頼まれてきました」


「えっ?」


 絵里が驚き横を向くと、多々良は何やら紙を広げて凝視している。


「……何それ」


 唸る多々良に、思わず絵里が横を見る。


「あ、いや何でもないんで。ちょっとあっち向いてて貰っていいですか?」


 不自然すぎる動きを、多々良の方をしっかり向いて睨む形で眺めた。


 よし、と小さく呟き多々良が絵里を見る。不意に向き合う形になった事もあり驚き視線を逸らした。


「えっとですね……元気が無い時はパーッと遊びましょう! とりあえずサボって映画でも観ませんか? えー……井出先輩たちも合流するって追記が」


「追記?」


「えっ、あ、いや何でもないです!」


 思い切りメモの部分を読んだのを誤魔化そうとする多々良を見て、絵里は思わず吹き出して笑った。


 久々に、人前で笑っていた。


「な、何ですか失礼な」


「ごめん。それで、その文章は誰が考えたの?」


「さっき井出先輩が。なんで横向いてくれなかったんですか」


 多々良がふてくされた声色で抗議するも、それがまた面白くて絵里は再び小さく声を出して笑った。


「あんな状況で向くと思う?」


「……思いませんけど」


 ひとしきり笑った後、すっきりしたという面持ちで多々良に向き直る。


「何か、ちょっと元気出た。ありがとう」


 穏やかな表情を見て、多々良も安堵の笑みを浮かべる。


「じゃあ行きましょうか。何観ます?」


「学校が終わってからね、戻ろう」


「井出先輩と真野さんが嫌がりそうな答えですね」


 先に前を歩いていた絵里が振り向く。


「ほら、早く行くよ」


 多々良が頷き、相変わらず柔らかな笑みを向けた。

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